幼少期の祖母のいじめとカチカチのご飯
小さい頃の私は、人見知りが酷く母にしかつかなかった。
親戚の家に行くのは苦痛だった。
話すのが苦手な私は、よく愛想笑いをしていたと思う。
私には兄弟がいて兄弟(A)は誰にでも愛想よく、よく可愛がられていた。
気づいた時には両親は不仲で、父は家にほとんどいない。
母は育児ノイローゼ気味だった。
私たちはよく家にいるとヒステリックに怒られ、兄弟で暗くなるまで外で遊んだり時間を潰して生きてきた。
だから、Aは親戚の家や祖母が大好きだった。
親戚の家や祖母の家に行くと人見知りしないAはよく可愛がられていた。
可愛い可愛いと言われ、よく褒められていたのを覚えてる。
一方で、人見知りの酷い私は親戚の家に行ってもどこに行っても【可愛くない】と言われた。
周りに田んぼしかない、周りの目を気にするようなど田舎に住んでて、人見知りというのはいかに損なことか。。。
今思い出しても悲しくなる。そしていまだに人が怖い。
私が死ぬまでの物語だから洗いざらい話したいと思う。
父は家にほぼいなくて母はヒステリックで育児ノイローゼ。
そんな私たちはよく祖母の家にあずけられていた。
祖母は、兄弟Aにとってみたらとても良いおばあちゃん。
私にとってみたら人間じゃない何か…だった。
夏のある朝、祖母が「朝ご飯何食べたい?」と言った。Aが「納豆ご飯!!」と嬉しそうにいった。
私は小さく「私も…」と言った。
「ちょっと待ってて」と言って、祖母が立ち上がり台所に行った。台所から炊き立てのご飯の良い匂いがしてくる。
私は何か手伝った方がいいんじゃないかと台所に行った。Aはテレビを面白そうに見ていた。
祖母が「手伝ってくれて、ありがとう。」と言い、私はとても嬉しくなった。
「これ、持っていってくれる?」
手渡されたのは、Aには炊き立てのご飯。
私にはひからびたカチカチのご飯。。。
炊き立てのご飯や納豆をテレビを見て笑っているAに持っていく私。
カチカチのご飯を持っていく私。
仏壇にあげてたご飯なのか、固くて噛めないようなご飯だった。
気づかずにパクパク食べるA。
私は食べるのをためらった。
白いご飯が固くなって、透明な塊になっていたから。
Aが「納豆ご飯好きでしょ?何で食べないの?」と私に言った。
すると、祖母が私の透明なカチカチのご飯を隠すように納豆をかけて「好き嫌いしないで食べなさい。」と言った。
泣きたい気持ちをこらえて固いご飯を何とか飲み込む。
私はまだ小さかった。幼すぎてわからなかった。
私はただ、手伝いに行ったのがダメだったのかな?
何か機嫌をそこねることをしちゃったのかな。
と、ぐるぐる悩んだ。
こういうことは一度じゃなく、何度も繰り返された。そのうちに私は祖母の家に行くのを拒否するようになった。
しかし、いっぱいいっぱいの母に怒られ、祖母宅によくおいていかれた。
勇気を振り絞って祖母を手伝いに行った小さな私。
ガビガビのかたいご飯を食べて、にこにこ微笑む私。
今、あの頃の私に会えたら「怖がらないで。」と言って抱きしめてあげたい。
あの頃の幼い私が、今は誰も住んでいない祖母の家でしくしく泣いている夢をたまにみる。
畑までのあぜ道、隠れ家のように田んぼの中にぽつんとある一軒家、夏の蝉の大合唱。
夕暮れの田舎のいい匂い。
夕方に流れる音楽。
いい思い出にならなくて残念だ。
非力で無力な私には全てが地獄だった。