今あるものが全部なくなって 戸籍しか残ってない状態になって そうなったら、 たとえそれでも 私は私 って言えるのかな? 言えない気もするし言える気もする でも言えたとして それは過去の記憶から作られた私を認識してるわけだから となると、全てを捨てたことにはならないんじゃないの? 現実的に考えても無理な話をしてるんだけど だとすると どこに居るか、誰といるか でしか自分を決められなくて 幸いにそれは選べる 対外のものでしか 私自身を定義できないものなんだ
人生最大に幸福すぎて、鎮火させようと必死にネガ思考を発揮させてる。ほんと今が一番しあわせだ、どうしよう怖いw
一緒にいることを目的とした関係が破綻するように、生き続けることを目的とした人生は不健全と化すのかもしれない
こわい 怖い コワイ 怖いってなんだ? 私はずっと何かに怯えてる でも皆んなそうなのかも 皆んな怖くてだから強がって 怖さは人間のデフォルトなんだ そう思ってしまえば 少し心が落ち着いてくる 怖い、は無くならないんだ きっと
何にも捨てられない人ってのは 正直なところすべてを必要としてないんだよ 全部に執着するってことはさ 全部の価値が同一なのだよ 私、要らないもん
ぜんぶ捨ててもいいな たった一個だけ残せるなら あとはもうぜんぶ無くてもいいや
人生なんて変えなくていいから、それよりも己の感度を磨け!今を生きる力をつけろ!現状から楽しさを感じとる力を増やせ!と、私の中の何かが言っている。
弱かった自分、常識に縛られてた自分、見えない世間に固執していた自分、だれかに評価されるため、嫌われないためにもがいてた自分、はぜんぶ捨てちゃおう。それを思い出すものもぜんぶ捨てちゃおう。今変わりたいから。
正しい正しくない、良い悪いとかは別にして、みんな色々考えながら一生懸命生きてるんだなって思ったら、なんだか愛おしく感じてきた。ナニに?って感じなんだけど、でもなんかみんな頑張ってんだな、そういう意味で仲間だなって思ったの。
信じるのは、愛するってことだと思うし 愛するってのは与えるってことだと思う 与える人は、自分の痛みも悲しみもぜんぶ越えてしまえるくらい愛があって っていう 愛ってのはそういうものなのかな
わあなんか仕事たのしくなってきたな
戻れなくなりそうで怖い と ずっと思ってたけど もうどこにも戻れないんだから もうどうでもいいよね? そもそも戻る場所なんて ずっとなかったんだ
やっぱり言葉では全てを表しきれない 言葉は全てを表さない だからといって言葉を全面否定するわけでもない でも、言葉は一つの概念だから 用いた瞬間その概念に閉じ込められてしまう気がして
そこは牢獄のようだった。 苦しく狭く息がしづらい場所だった。 じめっとした空気に 自分の中のヘドロみたいな感情が ベッタリまとわりついていた。 布団とスマホしか頼るものがない。 というのは言い過ぎだけど でも、それくらい 私の世界は小さかった。 だけど当時は そこが安息の場で、 そこから抜けることなんて 考えられなかった。 抜けるとしたら 誰かと結婚するとか それくらいしか思いつかなかった。 私はずっと家族に縛られている。 縛られている、というか 縛られにいって
朝ちゃんと身なり整えるとやる気出るな。部屋の整理もして、家事もちょっとやって、ってすると、すごく気分がいい。この余裕を死守するといいのかもな
本当に大事なものほど、口には出さないのだと思う。誰にも気づかれないよう、悟られないよう、心の奥底にしまっているんだと思う。表に出てくるものは全てお飾りなんじゃないかと思う。人を複雑に捉えすぎ?