双子出産記#4 2歳長男と暮らしながら、双子の妊婦でいるということ
長男のときと、今回の妊娠での最大の違いは何か?と聞かれたら、それはもう、「2歳児が家にいること」に尽きる。
私の場合は単胎か多胎かの違いより、上の子の有無による違いが何より大きく感じた。
まず、つわりだろうとお腹が張っていようと、2歳は容赦してくれない。具合の悪そうな母を心配してくれたことも何度かあったけど、まだ2歳。
ゴミ袋を抱えて嘔吐していたら、「おかし食べてるぅ?なにたべてるぅ?」と袋を奪おうとするくらいには何も分かっていなかった。
赤ちゃんがお腹にいることも、いまいちピンときていない様子。「お腹に乗らないで!蹴らないで!」と何度言ってもきいてくれない。
咄嗟にお腹をかばって声を上げると、困ったような顔で固まる長男。悪意は全くなくて、ただ母に甘えたい、くっつきたいのだと分かっている。ついこの間まで、トトロとメイのように、私の上にうつ伏せになって寝付いていた。身体をいつものように母に預けたいだけなのだろう。
しかしこちらもお腹の中の2つの命を守ることに必死。もうどうしたって、お腹の上に乗っけてあげることはできない。
双子が産まれたらもっと構えなくなることは確実で、今のうちに甘えさせてあげたいと思うのに、そうもいかない。大切な、愛しい我が子の要望に、うまく応えてあげられないのはもどかしかった。
2つも命をお腹に預かっているのだから、自分の身体と赤ちゃんたちを大事にしなくては、と頭では分かっていても、実際にはなかなか難しい。どうしたって、まだ見ぬお腹の子より、目の前の、2年以上愛情を注ぎ続けてきた存在を優先してしまう。
風邪をひいて弱っている子に「抱っこしてぇ…」とベソをかかれたら断ることはできなかったし、寝起きに「おしっこ漏れちゃう」と泣き出したらもう、急いで息子を2階の寝室からおんぶして階段を降り、1階のトイレに駆け込むしかない。隣で寝ている夫は寝起きに弱く、動きが鈍い。息子はそれをわかっていて、「かか、トイレ」と私を起こす。
客観的に見ればそんな危ないことよくやるな、と思うのだけど、我が子を前にして感情より理屈で動くことは難しかった。
そして保育園から持ち込まれるウイルスも脅威。2歳児は体調が悪いと、いつも以上に私に身体を密着させて眠ろうとした。「トントンして」と腕の中にもぐりこみ、両足を私の足の間に入れ、丸まるかわいい息子。背中をさすったり、トントンするうちに眠りに落ちていく……ところまではいいのだけど、その姿勢のまま咳を至近距離で顔面に吹きつけられ、鼻水を衣服にこすりつけられ、咳が苦しいといって夜間に何度も起こされる。
妊娠中の免疫が弱った身体にこの状況が続けば、感染を防ぐことはほぼ不可能。長男のときはコロナウイルスが流行りはじめたことだったこともあり、感染対策は万全で、風邪ひとつひかずに過ごせたが、今回はどんどん風邪をひいた。RSも、アデノウイルスも、ただの風邪も、2歳児が感染すればもれなく私も一緒にダウン。大人だけの生活では出会いにくいウイルスが、保育園児がいるだけで簡単に自宅に持ち込まれる。そして自分の体調がどんなに悪くても育児は休みにならないところが、何より辛かった。
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母子ともに健康に(母体はつわりや風邪や副鼻腔炎などに苦しめられはしたけれど)、無事妊娠後期を迎えたが、切迫早産による管理入院の可能性は常に見え隠れしていた。
切迫早産の指標となる子宮頚管(子宮の出口)の長さは自覚できず、経腟エコーをしてみないと分からない。妊婦検診の日にエコーで見てはじめて、「短いですね、このままだと赤ちゃんが早く出てきちゃうので今日から入院です。」となる。
忙しかった週に緊張しながら診察をうけてみたら意外と長さが変わらなかったのに、特に思い当たる節のない翌々週の診察でいきなり半分になっていたこともあった。自覚できないから、ただなるべく安静にすることしかできない。
そして2歳児と暮らしながら、この「なるべく安静」は結構難しい。前述の通り、抱っこせざるを得ない状況になったり、子どものごはんを作ったり、夫婦2人だけの生活だったときよりは遥かに「なるべく安静」のハードルは高かった。
入院となると当然、2歳の息子のお世話はできなくなる。出産予定の病院はコロナ対策として面会を実施しておらず、「中学生以上の親族による15分以内の洗濯物等の荷物の受け渡しのみOK」となっていた。
つまり、入院した時点で、出産して退院するまで長男とは一目会うことすら叶わなくなる。
子どもに寂しい思いをさせるのが心苦しいのはもちろんのこと、まだ2歳の長男は成長目まぐるしく、その様子を近くで見れなくなってしまうと思うと、私自身が寂しかった。そして私が入院してしまえば当然、夫の負担も大きくなる。仕事をしながら、2歳児と2人暮らしをするのはとても大変だろうと容易く想像できた。できる限り長く、自宅で出産までの日々を過ごすことが家族全員の願いだった。
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「来週には入院かも」と最初に言われたのは6月頭、ちょうど産休に入る直前の26週のことだった。
子宮頚管は33㎜で、それ自体は数値として問題はないのだけれど、2週間前の診察時から10㎜一気に短くなったことがよろしくないとのこと。このとき初めて張り止めの飲み薬(リトドリン)が処方された。双子たちは1人約1000gずつ、計2000gになっていて、たしかに少し動くだけでもよくお腹が張った。産休前にいろいろと終わらせようとして、いつもより仕事をしていたのも少なからず影響していたと思う。
これはまずいかも、タイムリミットが近づいているかも、と思ったので、急いで(でもなるべく安静に)次の診察までに入院準備をすすめた。
そして覚悟をしながら迎えた28週の診察で、入院することに……ならなかった。
子宮頚管の長さは前回と同じ33㎜。産休に入って生活が落ち着いたからか、その次の30週でもほぼ横ばい。さらに次の32週もあまり変わらず29㎜。20㎜台に入ったので念のため1週間後も診察することになったが、毎度「次こそ入院かも」と言われるのにセーフ、というのを繰り返し、だんだん「とはいえこのまま乗り切れるのかも」という気分になっていた。
が、あっけなく、33週の診察で「このまま帰宅せず、入院してください」と言われることになった。子宮頚管は23㎜。一気に短くなっていた。覚悟して、毎度入院準備をしてから診察に来ていたものの、やっぱりいざ言われると「え、うそ。」と思う。嘘なわけないんだけど。分かっていたけど、急にもう家に帰れませんと言われると信じられない気持ちになる。普通に歩いて診察を受けに行ったのに、入院宣告された途端に院内を車いすで運ばれることになった。
その日はタイミング悪く携帯が壊れていて、病院の公衆電話から夫に電話をかけることになった。油断していたので入院用の荷物が自宅の分かりづらい場所に置いてあったり、朝保育園にでかける長男を慌ただしく見送ったりしたことも悔やまれた。覚悟も準備もしていたはずなのに、いざとなったらバタバタだった。
ああ、こんなことになるなら、今朝、長男にちゃんと入院になるかもしれないと話して、いってきますを言っておけばよかった。と思うと同時に、前日の朝、唐突に長男から「いつもありがとう」と言われたことを思い出す。
寝起きに私の頬に両手を添え、甘くささやいてキスされた。あれは前触れというか、お別れ前のご褒美というか、何か長男も感じるところがあったのだろうか。あの記憶のおかげで、急な入院になる罪悪感と悲しみは少し薄れた。
長男のそういうタイミングの良さや、幸せの濃度をグッとあげてくれるような行為に救われることは多い。彼がいるから大変で、でも彼がいるからなんだって頑張れる。
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こうして、2023年7月28日、33週1日目から、管理入院生活が始まった。出産予定日まで約1か月間、私は病院で、息子と夫は2人で過ごさなくてはならない。
双子たちは計4500gとなり、長男の出生体重を優に超えて、未知の領域に突入。お腹はいよいよはち切れそうで、そりゃ入院にもなるわな、という重みになっていた。
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