あなたにとても会いたくて、本当に会いたくない。
咲き誇る紫陽花は、晴天よりも雨に濡れたほうが美しく見えますね。
「水も滴るなんとやら」は内側からの瑞々しさだと聞きますが、湿気でヘアセットが崩れるタイプなので、雨粒のお化粧が似合う紫陽花が羨ましいです。
(こんなに早く各地で梅雨が明けると思わなかったので梅雨めいた挨拶になってしまいました…)
雨は苦手だけど、水辺は結構好きです。
滝とか川とか海とか湖とか、水族館とか噴水も好きです。(ダムはちょっとこわいです。)
あとはお風呂も大好き。入浴剤が常に5種以上はあります。
その日の気分で選べる贅沢を一度知ったらもう戻れなくなりました。お風呂は贅沢が許される空間だと思っている節があるのと、命の洗濯をするところだと聞くので、心地よい時間を作るためのお風呂掃除も割と好きです。
↑なんか変な日本語ですね。疲れていたのでしょう。
私の鬱憤と性欲を文字に起こして発散しようと思って生まれた"ぐみたべる"のフォロワーが、先日1000人を超えました。
ちょっとビビってます。ふふ、いつも言ってますね。
始めた当初「誰にも会う気はない」と豪語していたものの、会いたい人がたくさんできたし、なんなら会った人もいます。内緒だよ。
元々私は人が好きだし、こんなに内面を晒しあえるようなアカウントで仲良くなれたら、そりゃ会いたくもなりますよね。無理もないです。素敵な人が多すぎる。大人になってから仲良くなれる人は本当に貴重だし気が合うから最高ですね。大好きです。
でも変わらず「会わない系」アカウントとして生きていきたいな。
手当たり次第誰にでも会いたいわけじゃないです。
★
自分で言うのもちょっとアレなのですが、私は割と誰とでも仲良くなれるほうだと思います。
学生時代も社会人になってからも、周りに恵まれています。
もちろん、"ぐみたべる"でも。
人への好感度メーターのMAXが100だとしたら、私は大体の人のことを、最初から80くらい好き。
人の良いところに目を向けるの上手なのは私の特技です。
ただ、「多くの人を好きでいたい私」と「人の好き嫌いがはっきりしてる私」が両立してます。
例えば居酒屋さんで知り合った人でも、気が合えばLINEを交換してしまう気さくな私の他のSNSのアカウント、ことごとくフォローもフォロワーも少ないです。
SNSって自分の中身や生活を少なからず見せるところだから、むしろ多くにフォローされるのは苦手だし避けてきました。(LINEは教えるくせに、インスタ教えてって聞かれたら「やってない」って平気で言っちゃう)
リアルの友達とつながるためのInstagram。
「私の日常」を記録するように残していたかったから、作った当初から鍵をかけてます。昔の同級生でも、何回か遊んだことがある人でも、申請通してません。
Twitterでメインで使っていたアカウント。
フォロワーが200人を越えて把握できない人が増えてきて、鍵をかけてそれ以上増えないようにしましたし、それを機に知らない人はどんどんブロックしました。
最初から80くらい好きな「ただの友達」には見せたくないんです。
高感度メーターのMAXの100をゆうに超え、もうこの人は来世まで絶対好きだなっていう「スペシャルな友達」にしか、私の日常や、お気に入りの家具、食器、綺麗な景色、見せたくないんです。
フォロワーが何人いるかとか、本当にどうでも良いんです。渡辺直美のフォロワー数を見てすごいなぁとは思うけど、同じ数の人にフォローされたいわけではないのです。
多くの目に晒されていると思うと、むしろ、ちょっと、こわいです。
「見つけてくれた人とだけ関わりたい」と掲げた"ぐみたべる"が、こんなに多くの人に見つけてもらえると思いませんでした。フォロワーが50人くらいになった時にそこそこのサイズのバス借りても埋まるんだって思ってちょっと怯えたのを覚えてます。
それでも"ぐみたべる"に鍵をかけていないのは、色んなSNSのアカウントを閉鎖的にしてしまう「人の好き嫌いがはっきりしてるネットでの私」と違い、「多くの人を好きでいたい」リアルに近い感覚でやってるアカウントだからなのかなって思ってます。
★
基本的に「対面した人と仲良くなる」ことへの抵抗はないけど、「自分が知らない人に自分を知られている状況」は苦手です。
裏垢向いてませんね。自分でもそう思います。
それはもしかしたら、体育祭で応援団をした私を覚えていた子が、自動車学校で「わぁ!ぐみちゃんだ!」って名乗りもせずに親しげに話しかけてきたときの「(この子は誰だろう)」というなんとなくの不信感に似ている気がするし、私が1番最初の記事で話した軽度のネトストが若干のトラウマになっているからかもしれません。(もう何年前になるかわからないし笑い話にできる部分も多いけど、思い返せばやっぱりちゃんと怖かったのでしょうね)
人が好きといいながら、他のSNSで閉鎖的なぐみたべるの中にいる"わたし"を、性格が悪いと思いますか。器が狭いと思いますか。
もちろん思っていいですからね。私も自分で器狭いし性格悪いなって思います。わざと嫌な表現を選ぶなら、おこがましくも人を選んでいるのですから。
多くの人を好きでいたいと思いながら、仏でも天使でもない不完全で未完成な私は、多くの人を平等に愛することができないです。
自分の私生活を切り売りしてまで得たいものもないです。
変に探ったり、ひっかけるみたいにぐみたべるから私をほじくり返そうとしないでほしいです。
私が残しておきたいことだけ。
見せてもいい私だけを置いているんです。
ぐみたべるは100%"わたし"でできてるけど、私は100%"ぐみたべる"じゃないです。
多くの人に好意的に接してしまうことは、魚が泳ぐように、猫が日向で眠るように、私にとっては当たり前な習性です。
やめられないし、やめようと思ってもないです。
人が好き。いろんな人と仲良くしたいです。
誰とでも仲良くなれるのは私の長所ですが、私の首を絞める日もあります。どう首を絞められるかをここには記しません。苦しくなったとしても救いはあるし死にはしないです。
所詮SNS。苦しくなれば辞めます。私の中の優しい心でできたぐみたべるが潰れないように、心に気の強いギャルを宿しているんです。
★
きゅーっと小さく仲の良い人とだけ楽しく過ごしたい気持ちもありながら、それに反して多くの人との一期一会も望んでもいます。面倒くさいタイプです。
本や映画にふれるのが好きなのは、普通に生きているだけでは私1人分しか生きられない人生で、様々な人生の追体験ができるからです。
人と接することでしか得られない価値観や思想があります。
他者と関わることでしか生まれない葛藤や苦悩もあるけど、喜びや感動の方が多いです。圧倒的に多いです。多くの出会いに感謝しています。
お話して、内面を知って、尊敬できる人はずっと好きでいられます。リスペクトがないと人間関係の構築なんかできないです、私は。
仲良くしてくれているあなたが好きです。
「袖擦り合うも多生の縁」好きな言葉です。
特に信仰している神仏がいるわけではないのですが、輪廻転生の概念が好きです。
生まれ変わりはリレーのようにバトンを繋いでいくものではないんですって。知ってました?
街中で袖が触れた人が、席を譲った時ににっこり頭を下げてくれたご婦人が、ベビーカーから落ちた靴を拾ってあげたあの子が、コンビニでおしぼりをつけてくれた人が、いま電車で隣に座って私の肩で寝てる学生が、いつかの私の家族や恋人や友人かもしれないし、もしかしたら前世や来世の私自身かもしれないのです。
そう思うとなんだか優しくなれます。
いまの私が大事にしたいあの人のいつかの姿が、いま目の前にいる人かもしれない。
あの日大事にしたかった私自身が、いまにも泣きそうなこの子かもしれない。
そうでなくても、私の目の前にいる人は、今生も誰かにとって特別に大事な誰かなのです。
きっとパズルのピースがはまるように、私と出会うべくして出会う人がいるはず。
あのときそう考えることができてよかった。
私がいなくなると、いつか出会う誰かのピースが足りないまま、私のピースも埋まらないまま、空白にすら気付けなかったのです。
あなたがいなくなると、あなたがいつか出会う誰かのピースを奪うことになってしまうのです。自分のために生きられることが1番だけど、いつかの誰かのために生きてみるのもいいかもしれませんね。それは多生のあなた自身かもしれないですしね。
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これはupするか悩んだnoteです。
内容が明るいわけでも楽しいわけでもないし、なんなら私の性格の悪さを露呈してしまうものだから。
お見せするには文章散らかっているし、内臓をお披露目しているようにグロテスク。
可愛いおばけのアイコンの奥、どろりとした生ぬるい肌色の人間の気配がして嫌ですね。
"わたし"からあらゆるタグやレッテルを剥がしたぐみたべるは、誰にも会うつもりがないからちょっと強気でいられたところがあります。
たくさんの人が見つけてくれて、良い人たちに恵まれて、会いたい人が沢山できた今、"わたし"のコンプレックスが浮き彫りになるのです。
自分の素性を隠せば隠すほど、色んなタグやレッテルを外した本当の"わたし"を見られてる気になるけど、それも結局私が見せたいわたしでしかないから、不思議な感覚です。
自分の嫌いなところがあります。
でも、自分の好きなところもあります。
私は一生私でしかいられないから、自分の味方でいてあげたい。世界中探しても私は1人しかいないのです。それって実は尊いことなのかもしれません。
例えばドッペルゲンガーに会ったとしたら仲良くなれるくらいに私は自分のことが好きだけど、誰かと比べたら、そりゃあ私より素敵な人は世界に溢れているんです。
悲観しているわけではないのですよ。
その不平等さが、あなたのような素晴らしい人をこの世に生むのですから。
★
ぐみたべるは姿を明かさない代わりに、あなたの想像するかわい子ちゃんを想像してください、と、見る人ごとに違う姿が浮かぶような、想像力を借りて存在してるアカウントです。
私でありながら私じゃないぐみたべる、楽しいです。
私の中のぐみたべる像と、あなたの想像するぐみたべるが、どれくらい重なっているのでしょうね。
8ヶ月もTwitterをやってると、ありがたいことに「会ってみたい」と声をかけてもらえることが増えました。
(裏垢始めてすぐ、御子息を送りつけてくるタイプの人からのはノーカウントです。)
私の固定ツイートを読んだ上でそう言ってくれる人は、大体私もそう思っている人が多いです。
私も会いたいです。あなたに。
ただ、私は自己肯定感高い割に自信がないという厄介なタイプなので、男女関係なく会って幻滅されたらやだなーって思います。
SNSで「見せてもいい一部分」だけお見せするのとは訳が違うから、私の見た目や、纏った雰囲気や空気感、間の取り方、笑い声、歩き方やご飯の食べ方、髪型や靴下ひとつだって、あなたの想像してた私に沿わなかったときに、幻滅されないかなって不安です。
「まじで気にしすぎ〜!私の魅力がわからないような人とか見る目ないから用はねぇ!」って心のギャルが言ってます。
でも、そう簡単に切り捨てられないくらいにあなたとやりとりする毎日が好きです。楽しいです。
あなたにとても会いたくて、でも会いたくないです。がっかりされたくないな。私が人の形のふりをした怪物でも好きでいてくれるかな。
フットワークが軽い人を見ていいなーとも思います。
でも、"ぐみたべる"というシーツを被ったキャラクターを楽しんでくれている人のイメージを崩したくないなーって気持ちも強いです。
会ってもっと仲良くなれる人は絶対いると思うものの、会わない方が長く仲良くいれる人もいると思います。
むしろ、会わずにこれだけ仲良くいられることの奇跡が嬉しいです。
冒頭で話をしてたTwitterの別のアカウント、10年くらいの付き合いがある仲の良い人が数人いて、みんな会える距離にいるし会いたいねって話はするものの、一度も会ってません。それでもずっと仲良しでいられることを知っているからこそ、そう思うのかもしれませんね。
★
世の情勢のせいで、気軽に人と会いにくいですね。
職場の年齢層が高めなので、あなたに会いたいと思ったときに、なんだかこそこそ会いに行かなきゃいけないのがもどかしいです。休みも取りにくいし。くそぉー!
何がきっかけで幻滅されちゃうかわからないから会いたくないけど、きっとあなたは幻滅なんかしないよって言ってくれるのでしょうね。
そんなあなただから会いたいんですよ。
会いたいです。
ねぇ、いつかあったときには「会いたかったよ」ってハグしてもいいですか。
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