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生まれてから死ぬまでずっとわたし。

noteの更新3回目です。文字を書くのは楽しいなぁ。
のーとのこうしんさんかいめって、口に出すとなんかテンポ良くていいですね。ふふ、どうでもいいですね。

正直、自己紹介だけ書ければ満足なところもあったけど、あなたが読んでくれるから、もう少し続けてみようと思います。

嬉しいの。読んでくれて、ありがとう。大好き。えへへ。

noteのアイコンは心臓なんですけど、気付いてました?
Twitterのアイコンは白いシーツをかぶったおばけなのですが、noteはそのシーツの中身、"わたし"の皮膚や肉よりもっと奥、私の大事な大事な心の中を見せたいから、心臓をアイコンにしました。

脆くて無防備、命に関わる大事な部分。
本物の心臓はいくらあなたのことが大好きでもお見せすることは叶いませんが、真っ赤に燃える命を文字にしたためて、残しておきたいです。この脈打つ心臓を見てくれ。

私はよく化粧をしながら「今日のまつげの色可愛い…」とか、着替えた後に「今日の服装最高に優勝〜!」とか言うのですが、どう思いますか?
ヤベーやつだなって思います?
わかります、ちょっとヤベーやつですよね。

でも、こういうことを口に出しているとその日いちにち、なんとなくハッピーになれるのです。

好きな色や物を身にまとう、なんと素晴らしい贅沢!
こんなに素敵なものを選んだ自分を褒めてあげることで、昨日よりも自分を好きになれる(気がする)。
これは、そういうおまじないです。
右足から靴を履くような、2回唱えるHIDEOUS KINKYのような、誰も知らない私だけのささやかなおまじない。

目で見て、脳で認識して、口に出して、耳で聞くの。
今日もちゃんと起きた自分に贈る、可愛いの魔法。


自分自身のことを手放しに褒めるよりも、自分の好きなものを褒める方が簡単じゃないですか。
少なくとも私はそうなのですが、「赤いマスカラって可愛い!」っていう気持ちを「そんな可愛いマスカラを塗ってまつげが赤い私も可愛い!」に変換させてるんです。

これって結局自分自身というより物由来の「自分好き」にはなるのだけれど、そうやって自分を褒める癖をつけてからというもの、だいぶ生きやすいですね。

今は変換させなくても「私ったら最高にキュート!」って思えるし、自分の好きなところも挙げられるし、他人の良いところも見つけやすくなった気がします。ちょっとヤベーくらいでちょうどいい。
誰かと比較するのではなく、自己満足のための可愛いです。

ささやかな日常のハッピーと好きを見つけて、あえて言葉に出すことで、そういうものがちゃんと見つかるようになってきます。



自分の好きな自分になるために、理想や、やりたいことを書き連ね、長期的な目標と短期的な目標たててみてます。
自分の努力で埋められるところを埋めていけば、理想の自分に昨日よりも近付けると信じています。

目標を立てることへの苦手意識がある人もいますよね。
大丈夫ですよ。その目標を達成しようと頑張る人はとても輝いているし素晴らしいけど、個人の目標は達成できなかったからといって法に触れるわけでもないし、命を落とすものでもないです。目標とは、ただのゴール。

ゴールのないマラソンを走るのってしんどいじゃないですか。10年後20年後にこうなりたいというゴールを立ててもいいし、明日の朝起きたら洗濯をするというのも、近い未来のゴールですよ。最初は低いハードルの目標でいいのです。洗濯だって掃除だって、わざわざ目標として設定することで小さな「できた!」を繰り返せます。ささやかな達成感の積み重ねが、心を励ましてくれるのです。


自己肯定感が低い人は、鏡を見るときに「あぁ、私ったらセンスいいなぁ!今日のメイクかわいいなぁ!」ってにこにこ自惚れるくらいでちょうどいいと思うのです。
あなたが選んだあなたの好きなものは、あなたを守る鎧です。

今日も目が覚めただけでもえらいし、お日様に当たるだけでもえらいよ。
歯磨きして顔を洗ったら、それだけでもう優勝でもいいじゃないですか。
お皿を洗うのもお風呂に入るのも日常的なことだけど、その当たり前に生活するためのことを頑張っててえらいなーって褒めると、自分に優しくなれますよ。


これを読んでくれている今日もあなたの頭上に隕石は落ちてこなかったし、氷河期も訪れていないのでしょう?
あなたが生きて私の文字を読んでくれていることは見えない奇跡の連続なのだから、それだけで花丸をあげたいです。いつも、どうもありがとう。


自分のことを嫌いで嫌いで毎晩泣いて暮らすくらいなら、そういうささやかな自尊心の積み重ねで、自分自身のことを大事にしていきたいな、と白いおばけは思うのです。

うんと甘やかしてもいいじゃないですか。自分の嫌いなとこなんて黙ってても目についちゃうんだから、好きなとこをみつけてあげたいです。
私は死ぬまで私でしかいられないのだし、どうやらまだ付き合いは続きそうだもの。1番近くにいるのだから、どうせなら味方になってあげたい。


私は自己肯定感が高いけど、自分に自信はないとよく言っています。
ただ、自信がない割には変なところで強気だし、自分のこと好きです。

チャームポイントのおめめはよく褒めてもらえるし、なんといっても性格良いし(自分でそう思えるあたりの性格の"良さ"も含め)、恋人もそれなりにいたし、友達もまぁ少なくはないです。アカウントの特性上、多くをここで語れませんが、人間としてトータルで考えれば、充分に愛してもらえるタイプだと思います。おめでたいですね。そんなとこも可愛いでしょう?

私のことを嫌いな人がいても別にいいと思えるくらいには気も強いです。私は私のことが好きだし、どんなに性格が良くても万人に愛される人はいないことを知っています。
不思議なもので、お互い善人だからといって必ず仲良くなれるわけではないし、匿名で陰口を叩くような浅ましい人もいます。(ちなみに私はそういう呪いは効かないので、その人たちも誰かにとって愛すべき誰かであることを祈ります。歩む道が違えども、それぞれ幸せになりましょう、と優雅なカーテシーで見送れます)


私はありがたいことに、周りの人に恵まれています。
素敵な人が周りにたくさんいるの、幸せです。

ただ、そんな素敵な人と自分を比較するとしんどいです。私の自信のなさは、ここに由来するのだと思います。素敵な人と比較すると、自分の嫌いなところが浮き彫りになるような気がします。

だからといって素敵な人を妬むなんてしたくないし、自己嫌悪にも陥りたくない。そもそも私が人を好きになる理由のひとつは"尊敬できること"なので、仲良くしている周りの人が魅力的なことはしかるべきなのです。
なので、勝手に比較して勝手にへこむのは辞めました。

私が尊敬する好きな人たちが、私を好きだと言って仲良くしてくれている。ならば私もきっとその人たちにとって魅力的であるに違いないのです。私は自信がない代わりに、確かな審美眼を持っています。素敵で素晴らしい人を見つける能力がちゃんとある。

自己肯定感の低い人って、他人の良いところを見つけるのが上手な人が多いイメージです。そして私と同じように、その良いところを自分と比べている気がします。「あぁ!あの人と比べると私なんて!」

さて、果たして本当にそうでしょうか。私は気付きました。
人間は多面的です。誰しもいろんな顔を持っています。
多くの人は、色々な場面で、”見せたい自分”しか見せていません。
あなたから見て素敵なあの人がどんなに完璧に見えたとしても、それはきっとその人のすべてではないでしょう。つらい時に人前で泣ける人ばかりではないのです。

完璧な人って存在しないです。誰も完璧になれないから愛おしいのです。
完璧じゃないから美しいものなんてたくさんあります。ミロのヴィーナス、サモトラケのニケ…。サグラダ・ファミリアだって、完成予定は2026年。着工から150年もかかっているのです。ほら、たかだが数十年しか生きていない我々が、完璧である必要があるのでしょうか。

きっとみんなどこか足りないし、至らないところがあるから補い合って生きているのだと思います。至らない私の文章をあなたがなぞってくれるように、世界は思っているより優しいかもしれません。互いに許し合いながら優しくいられたらそれで充分なのかもしれません。

自分に足りないものを上げ連ねても、無いものはないのです。狐には鱗もヒレもないし、鳥にもエンジンはついてない。薔薇は私たちに聞こえるように歌えないし、魚は陸では生きられない。それでもそれぞれが美しく命を咲かせているのです。私たちもきっとそうだと思いたい。唯一無二の尊い存在です。

自分のことって近すぎて見えないことがたくさんあります。気付いていないだけで、あなたも私のように、眠る時にまぶたが開いてるかもしれませんよ。怖いですね、本当に。

他人の良いところを見つけられる人は、自分の良いところもきっと見つけることができます。大丈夫。まぶたを閉じて寝ることも逆上がりもできない私にだってできたのです。あなたにもできますよ。

素敵な人の魅力的なところは吸収して、努力で埋められる隙間は頑張ったらいいのです。逆立ちしても出てこない素晴らしさはその人への尊敬の念で埋めましょう。妬み嫉みは鏡の中の自分を醜くします。そんなのは嫌です。私は絶対綺麗に咲きたい。誰にも毒林檎なんて作らない。美しい鮮やかな赤は、自分の唇に乗せたらいいのです。私の鏡にうつるのは私だけだから。



自分のこと好きです、と言う人とあまり会ったことがありません。
日本人ならではの奥ゆかしさで言わない人もいますね。
ただ、自分のことを大事にして自分が好きな人は、やはり顔に出ています。目はきらきらしてるし、肌はつやつやしている。人の目を見て話せるし、笑顔が素敵。老若男女問わず、多くの人にモテるし、支持される。

謙虚と卑屈は似ているように見えますが全然違います。

素敵な人が輝いているのは、努力をしているからなんですよね。
頭も身体も気もつかっているから魅力的。
人を惹きつける光は、何もしてない人には宿らないのです。

ナルキッソスになる必要はないんです。
過ぎた自惚れと自尊心、根拠のない自信って、セクシーからは程遠い。いきなりDMで男性器を送ってくる人、どれだけ自分の御子息に自信がおありなのでしょうか。(あれは送ることで完結する自慰だと思っているので自信とは違うかもしれません)

自分の為に、まぶたをきらきらに輝かせて、まつげを赤くしているんです。誰かの為の私じゃなくて、私の為の私です。
その日、会う人全員に「私まぶたきらきらでまつげ赤いの!可愛いでしょ?」なんて言いませんよ。それを言い出したらただの野暮天です。それこそヤベーやつです。人から「今日のまつげ赤いの可愛いね」って言われてから初めて「ありがとう」って微笑むほうが、余裕があってキュートでしょう?

「賢者は、話すべきことがあるから口を開く。
 愚者は、話さずにはいられないから口を開く。」
と、ある哲学者は言いました。
(小声:コミュニケーションが上手な人は傾聴する能力が高い人だと常々思いますが、おしゃべりが大好きで話しすぎてしまう私は自戒の念も込めてこの言葉が好きです)

おまじないは大勢に広めるものじゃありません。
おまもりは自分だけがわかっていれば充分です。
おまじないは秘密の方がパワーがありそうだし、おまもりは人から見えなくても握り締めていることに意味があります。

自分を高めてくれる自信は、語らずとも滲み出てきます。
大事なことだから先に言ったでしょう?
自分のことを大事にして自分が好きな人は、顔に出るのです。
したたかに、余裕綽々な顔して生きていましょうよ。
白鳥のバタ足は見えないから、水上であんなにも優雅なんです。


このアカウントを始めて色々な人を見ていると、承認欲求の塊が多いな、と思いました。男女問わずです。(私がここで言う承認欲求は他者承認欲求です)

承認欲求があること自体は悪でも何でもありません。マズローの5段階欲求の1つです。認められたい、褒められたい、愛されたい、当たり前です。私だってそうです。ただそこにすがって溺れるのは怖いことだと思ってます。

自分で自分を認めていないと、その分まで他の人から認めてほしくなってしまいます。他者承認欲求って、文字通り人に委ねられてしまうものだから、そこでしか自分の価値を測れなくなってしまうのは恐ろしい。
そもそも本来なら一番理解してほしい自分からの承認を得られなければ、たとえ1億人から認められても心の穴は埋まらないと思います。

心が弱っていて自分の足で立てないときの見えない誰かからの同調や称賛は危険かもしれません。
透けている下心に目をつぶっていませんか。

彼らに支えられて立ちあがることができて自分の事を好きになれればいいけれど、見えない誰かはいついなくなるかわからないのです。あなたからのGiveが得られなくなったとき、全員手のひらを返すかもしれないのです。彼らの薄っぺらい称賛がなくなったときに、すべてを失った気持ちにならないでくださいね。最後まであなたの一番の味方でいてあげられるのはあなただけなのです。


自分の事を愛している人の承認欲求は、意識の高さがあります。より高み目指すためのものだから、引っ張り上げてくれるような上辺だけじゃない真の賛同者が得られます。
そもそも自分という強い味方がいる人は、周りの反応がどうであれ、ぶれない芯があるから背筋が伸びてかっこいいのです。

自己肯定感を上げることで、承認欲求の足場がぐらつかなくなる、と思っています。私はね。
だから自分を好きになることの簡単さを序盤にだらだらと書き連ねました。
私にできることは大体の人にできることです。

生まれてから死ぬまでずっとわたしでしかいられないです。
自分のことを嫌いになるのは簡単だけど、今までなんだかんだ死なず殺さずやってきたし、ここまで一緒に過ごしてきた愛着もあります。
これからも付き合っていくし、どうせなら好きになりたいです。せっかくなら仲良くしたいです。
したたかに賢く可愛くいてね。今日も明日もよろしくね。

振返ったときに綺麗なものばかりじゃないかもしれないけれど、いつか必ず訪れる最期の時に「あー楽しかった」って今度こそ目を閉じられるといいな。

ちょっとヤベーやつくらいでちょうどいいです。
私の爪がきらきらしていることは誰にも迷惑をかけていないし、今日もおまじないは効いています。

さぁ、どうか今日も美しく咲きましょうね。
あなたの魅力をこっそり教えてください。
些細なこだわりを持ちながら生きる今日は楽しいです。
神はいつだって細部に宿るから。

あなたも私も、今日も優勝ですよ。

ぐみたべる

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