同い年の親友より年上になった話。
これは、誰にでも訪れた数ヶ月前の金曜日の深夜、
とあるアカウントの下書きに埋葬された、6件のツリー。
私は幸いにもそれなりに愛されて生きてきたと思う。
12月生まれだけど別々に祝ってもらえる誕生日とクリスマス。選んだ色を買ってもらえたランドセル。
授業中に回ってきた大好きと書いてあるハートに折られた丸文字の手紙。放課後食べたかき氷で見せ合ったカラフルな舌。回し飲みしたファンタのグレープ。いろんなグループから遊びに誘ってもらえたあの夏休み。
ポケットにお招きしてくれる詰襟を着た日に焼けた左手。冬の公園のベンチでのキス。告白の時にもらった、黄色い小さな花束。
辞める時にはどのバイト先だって両手いっぱいの餞別と、所狭しと書いてもらえた色紙があった。
物心つく前から親の転勤で何度か引っ越しをしたが、学校でもバイト先でも職場でも、それこそSNSだって、私はいい人に囲まれている。有難いことに、人間関係で深く悩んだことは正直ない。(もちろん、全く無いわけではない。"いま"の私が振り返った時に気にせずにいられる、笑って話せる、という意味での"ない"だ。)
けれど、それは私が上手に衝突を避けてきたというより、ただ単に運が良かっただけだと知っている。
敵を作るまいと行動しても、どんなにこちらが優しくしても、理不尽に嫌われることは往々にしてある。
私はいじめられたことこそないが、私を嫌いだという人は当然いたし、有る事無い事陰口を叩かれていたこともある。
その事にさめざめ泣かずにいられるのは「どうせ100年もすればお互い骨なんだし勘弁してくれよな!」っていう潔さ「こんなに善人な私のことを嫌いな人の方が性格が悪いな!がっはっは!」という、私の性格の悪さ故である。各々の価値観があるから、合わない人は仕方ない。その人達はその人達で、誰かに愛されていてほしい。
ただ、私は運がいい、恵まれている、と思っていても、それでもどうしようもなく孤独で、漠然と不安で、世界中でひとりぼっちに感じる時もある。なにもないのに眠れない夜もある。
でも、きっとみんなそうだ。寂しい気持ちはひんやり冷たいナイフみたいだけど、それも悪くないと思えるくらいには大人になった。孤独からしか生まれないものがある。心の深淵と見つめ合うことは私には必要で、真っ暗闇でもそこは美しいのだ。きっと。
★
私には、こんなブス産まなきゃよかった、あんたさえいなければ離婚できたと親に言われたことがある友達や(彼女は全然ブスではなくむしろ可愛い)、美しいことで頻繁に嫉妬の対象になってしまった友達がいる。父親との折り合いが悪く、10代の頃から理想の父親のような年上男性ばかりと付き合う友達もいる。
私は彼女たちが大好きだし、彼女たちはいまその過去を振り返り、笑って話すくらいには元気だ。
それでも不意に出る言動から、彼女たちの心のどこかに残った呪いを、きっと私は解くことはできないのだと思う。たかが私ごときの愛ではこの世界どころか、大切な友達の心も救えない。
家族は選べない。
たまたま私は家族仲がいいけど、すべての家庭がそうじゃないことを知っている。
「家族を大事にしない人はちょっとね」って言う人がいるけど、その言葉を向けた相手にどんな家族がいるか知っているのだろうか。100%の理解ができるのか?本当に全てわかる?あなたは同じ環境に生きていた?たとえそうであったとしても、受け取り方も、傷の深さも、心の痛みも、人それぞれなのに。
毎朝のおはようがあることも、目が覚めて暖かいごはんがあることも、脱いだ靴下が綺麗になっていることも、自分のバースデーケーキの蝋燭を吹き消されても笑って許してくれるきょうだいも、何一つ当たり前じゃない。してもらって当たり前なことなんてこの世にひとつもない。
今日も冷蔵庫の中で牛乳が冷えているのも、電車に揺られ通勤していることも、天気予報で夜からの雨を知るから帰りに濡れずにすんでいるのも、知らない誰かのおかげなのだ。
★
人は思っているより丈夫だけど、簡単に死んでしまう。
今日が今日しかないことも、私たちがいつか死ぬことも、つい忘れてしまう。当たり前な日常は、平気で失われる。
だから喧嘩をしたくない。したとしても持ち越しくない。
いってらっしゃいを必ず言いたい。
気をつけて、の声かけで事故率が下がるらしいから、何度でもいいたい。
あなたが今朝玄関で見送った親が、きょうだいが、恋人が、配偶者が、子どもが、そして私だって、ただいまを言えないかもしれないのだから。
愛してると伝えることは難しくない。
もっと伝えたかったと泣くのは明日かもしれない。
私が幼稚園の頃に心筋梗塞で倒れた祖父は、お見舞いに行ったときに豪快に笑って迎え入れてくれて今でも元気いっぱいだけど、家に何度も遊びに来てくれていた兄の友達は、11歳の若さでこの世を去った。事故だった。
何も知らず、最近○○くん遊びにこないね、喧嘩でもしたの?と兄に聞いた小学校低学年の私はなんて幼かったのだろう。
泣きそうな顔で、そうだよ、と返してくれた兄の優しさを知ったのは、私が中学生になってからだった。
あのとき私はその優しさになんて返したのだろう。
早く仲直りしてね、また一緒に遊びたい、とか言った気がする。
兄はどんな気持ちだったのだろう。きっと兄を傷つけた。心優しい兄が、あんなにユニークで明るく仲の良い人とずっと喧嘩したままでいるはずがないと、なぜ気付けなかったのだろう。
無意識に、きっと色んな人を傷つけている。
相手の優しさに許されていることに、甘えてはいけない。
できるだけ誰も傷つけたくない。配慮して生きたい。
偽善者だと思われてもいいから、優しい人でいたい。
★
高校のとき、同じクラスになって仲良しになった友達が亡くなった。17歳だった。
垂れ目で、笑うと目がきゅーっと細くなる子だった。
光に当たると深い栗色なのがわかるさらさらの直毛が綺麗だった。
私は密かに色白で小柄な彼女のことを、昔飼っていたハムスターに似てるな、と思っていた。
彼女はよく笑い、よくうちに泊まりにきてくれた。
翌日迎えにきてくれていた彼女の母親は本当によく似ていて、朗らかで素敵な人だった。同じ笑顔が並んでいるのを見ながら、彼女が彼女らしく育った理由を、私は暖かく感じていた。
来客用の布団を敷いても、彼女は私の寝ているベッドに笑いながら潜り込んできた。狭いよ!って文句を言いながら、私たちは朝までおしゃべりをしていた。
あぁ、あの時、私たちはなんの話をしていただろう。思い出せないくらい他愛もない話だ。堪えきれずにふたりでお腹を抱えてけらけら笑っていたのだけを覚えてる。
うつらうつらとしながら、夜が徐々に明けて白む空をふたりで見ていた。
17歳だった。私たちは。
おばあちゃんになってもこうして笑っていようね、と約束した小指は、もうどこにもない。
まだ17歳だった。彼女は。
みんなで歌いながら千羽鶴を折っていたあのときのクラスメイトの誰ひとり、彼女に会えなくなるなんて1mmも想像してなかった。
また彼女がこのクラスに戻ってくると信じて疑わなかった。
だってあんなに良い子が、あんなに可愛い人が、まさか死ぬなんて、思ってもみなかったから。
兄の友達が亡くなったと聞いた中学1年の冬、命に終わりがあることを、知っていたのに。
彼女の訃報を聞いた時「ついこの間まで同じ布団で笑っていたのに?」と混乱した。
斎場へ向かうバスの中、彼女を含めてよく遊んでいたもう1人の親友と、手を繋いでいた気がする。なにか話したかな。覚えてないな。
実はドッキリじゃないかな。
後ろから「だーれだ!」って、いつもみたいに私の目を隠してくれないかな。
振り返ったときに「びっくりした?」と、また目を細めて、笑ってくれたらいいな。
こんな不謹慎な呼び方しなくても会いにいくのに。
「うそだよ!」って笑ってくれたら、私いまならなんでも許すのに。
頭の中の整理がつかないまま覗き込んだお棺の中にいる彼女の顔をきっと一生忘れない。
笑顔がとびきり素敵な可愛いあの子に、もう笑いかけてもらえないんだと気付いた。
泣いても泣いても涙が出てくるから、私、どこか壊れちゃったのかと思った。
そんな低い声でお経なんて読まないでよ。
あの子をどこにも連れて行かないで。
そんなこと思っちゃいけないことはわかってた。
あの肩を揺さぶっても、閉じたまぶたが震えもしないのはわかってた。
朝までおしゃべりをしてた宵っ張りなあの子の、安らかな眠りを祈らなければいけないのはわかってた。
お葬式から数ヶ月後、私より早く産まれた彼女より、年上になってしまった。
彼女が入院したと聞いたとき、私は彼女にいつでも会えると思っていた。
おばあちゃんになっても仲良しでいようと同じ布団で話していていたのは、もう何ヶ月前になってしまったんだろうと泣いた。
ふたりとも17歳だったのに、私だけが18歳になった。
私たちお酒弱そうだよね、なんて笑ってたけど、あの子とお酒を飲む日はこないのだ。人は思ってもいないタイミングでいなくなってしまうんだと悟った。
★
いまこれを読んでくれているあなたとの出会いを、どれほどに尊く思っているのか、私の語彙力ではきっと100%伝えられない。それがもどかしくてたまらないのだけれど、でも伝えたい。私のこの気持ちが1%でも伝わるなら声に出したい。わたしがいかに、すべての出会いを愛おしく感じているのかを文字におこしたい。あなたとの出会いと、今日も迎えた朝に、どれだけ感謝しているかを毎晩語りたい。
大好きです。
どうかあなたが笑顔で過ごせる毎日を祈っています。
大好きです。
何者にも虐げられることなく生きてください。
大好きです。
あなたはあなたのままで素敵です。
大好きです。
わたしを見つけてくれて、ありがとう。
私ごときの言葉では、どんな呪いも解けないかもしれない。心を救うことなんてきっとできない。
それでもどうか、あなたにいつか訪れるかもしれない心細い夜に、厚かましくも私の言葉が、お守りになると良いな、と思います。
あなたと出会えたことへの感謝をしていることと、私の大好きなあの子のことを、誰かに知ってほしいと思いながらしたためた。
だけど、完成した6件のツリーを読み返しながら「あぁこれをツイートするのは違うな」と思った。
朝のニュースで流れていく会ったこともない見知らぬ人の死でさえ気分が落ち込んでしまう私のように、感受性が豊かな人には負担になる話かもしれない。
そして、誰かの癒えていない傷を広げることもしたくなかった。
私の明るさや元気さの裏を変に勘繰られたくはなかったし、意味もなく憐れまれるのも絶対にいやだった。
彼女の死は未だに悲しいことだけど、私の中で折り合いはもうついているし、毎日毎晩毎秒泣いて過ごしているわけではない。私は彼女ではない他の人とお酒を何度も飲んでいるし、時間薬は、それなりに効いている。
あと、分割された細切れのツリーなんかで彼女の話はしたくなかった。
誰かに知ってほしいと思いながら、誰にでも見せたい話ではなかった。
アカウントの性質上、私をフォローしてくれている中には、裸の女性をRTしている人もいるし、私のセンシティブなツイートにだけ反応している人もいる。
Twitterの使い方は人それぞれなので別にその人たちをどうこう言うわけではないのだけれど、なんとなくそういう人には大事なあの子の話はしたくなかった。丁寧に私の文章を読んでくれているあなたなら、この気持ち、きっとわかるでしょう?
私の大切なお友達を紹介するのだもの。
私の文字を丁寧に拾い上げてくれる人に、だけ。
1から10まで全て書かなくても汲んでくれる、あなたにだけ。
私はなぜか昔から、誰からも思い出されなくなった時がその人の本当の死だと思っている。
なので、私は何度も彼女を思い出したい。
我が家で畳の上で転がる彼女を。
うちのこたつで本気寝をしていた彼女を。
結んであげた直毛の髪の扱いづらさを。
何度も、何度も、何度も。
その度に、彼女の周りに綺麗な花が降ることを祈って。
ぐみたべる
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