好意がどこに宿るのかを考える
あっという間の2月ですね。
昨年の2月17日に初めてnoteを投稿したので、今日でちょうど丸1年になります。
これが25個目の投稿です。
最低でも月に1度は更新しようと思っていましたが、投稿数だけでいくと月2のペースだったんですね。
普段口にすることはない自分の内面を吐露し続けて25個目です。感慨深いですね。あと少し恥ずかしい。
全部読んでくれている人いるのかな。いてくれたら嬉しいな。ありがとうございます。大好きのハグです。
年始からバタバタと慌ただしく、この慌ただしさのまま3月を迎えることになりそうな予感です。
ほんの数週間前までは、”10年に一度の大寒波”なんて言っていたのに、ちょっと温かいだけで春の気配を感じてしまいますね。コートのクリーニングいつ出そうかな、なんてそわそわします。
と、思いきや、まだ寒い日はきそうですね。
油断せずにあたたかくして春を待ちましょうね。
1月末から2月の半ばまで、チョコレートのおいしい季節ですね。そして3月までスイーツが充実してて嬉しい。
カフェで見かける季節限定メニューも、それはもうにやにやしながら飲んでいます。
子どもの頃からチョコレート大好きな私にとって、見るだけでも楽しいのが今の季節です。なんだか町中がいい香りの気がします。
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バレンタインの思い出はありますか。
私は子どもの頃から、”ばら撒きタイプ”でした。
イベント好きなタイプなので、仲いい友達には男女問わずに大量生産したクッキーやガトーショコラなんかを配ってました。
そんな中、好きな男の子に渡すやつだけ、こっそりラッピングのリボンの色を変えたり、星型のクッキーの間に、1枚だけハートのクッキーを入れたりしていました。
いじらしくて可愛いでしょ。ハートのクッキーなんてキャラじゃないから、渡すのドキドキだったんですよ。
子どもの頃はあまり気にしてなかったのですが、大人になってからは、手作りが苦手な人がいることを考えて、手作りのものを渡す人を選ぶようになりました。
同じ鍋をつついたり、家で手料理を食べてもらったことのない人には、好きそうなお酒が入ってるチョコとか、甘いの苦手な人にはしょっぱいのあげてました。
基本的に人に何かを贈るのが好きなタイプです。
2月のうちに遊ぶ友達にはバレンタインにかこつけて、ちょっとしたお菓子を用意するのが好き。
こういうイベントのときはささやかなプレゼントを渡していい口実だと思っているので、選ぶだけ選んで、渡したいから渡して、あわよくば喜んでもらえたらそれで大満足なタイプです。だから、ホワイトデーの存在を忘れがちです。押し付けたいだけのお菓子テロです。
友達に贈るときは特にそうですが、”チョコを渡して喜んでもらえたら、それがもうお返し”っていう感覚なんですよね。気を遣わせたくないから、チロルとか飴のつかみ取りみたいなのもしたことあったな。
私にとってのバレンタインは、そういうわいわいガヤガヤしたイメージです。
だから、バレンタインに告白をするなんてロマンチックなことはしたことがありません。
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人を好きになったことはあるでしょうか。
その人の、どんなところが好きでしょうか。
一目惚れをしたことはありますか?
私はありません。一度もありません。
好ましい外見の人はいますが、それだけで人を好きになることは、まずないです。
なので、歴代の恋人を知っている友達から「ぐみのタイプはわからない」と言われたことがあります。
ジョニーデップが大好きなのは、海を飄々と股にかける気ままで自由なあのジャックスパロウが、私がまだこの世に姿形も無い頃に、シザーハンズのエドワードとしてあまりに不自由で切ない生き方をしていたという、彼の演じ分けの幅の広さと、スウィーニートッドの苦悩やもがきとほの暗さと、同じほの暗さがあるのにも関わらず、ダークシャドウでの賢くシュールなバーナバスが同一人物だというギャップに心を掴まれたからです。
(ちなみに一番好きなジョニーデップは”SECRET WINDOW”のモートレイニーです。緊張感のある演出と、ほんの少しカートコバーンを彷彿とさせる気怠げなファッションが最高なので、見たことが無い方はぜひ)
人を好きになる要因、外見と中身なら、断然中身重視なタイプです。
「中身重視」というと極端な人に、「外見はどうでもいいんですね」とか、「じゃあどんな人とでも付き合えるんですね」とか言われますが、そんなことはないです。中身が大事なだけで、外側も見てます。(こういうと、今度は「ほらみろ結局外側じゃないか」なんていう人もいますね、ダルいですね)
外見が全く関係ないなんて綺麗事を言う気はさらさらないです。
なぜなら、顔には性格が出ると思っているから。
仕事柄、幅広い年齢の方とお話しさせていただく機会が多いのですが、優しい人は優しい顔を、小難しい人は小難しい顔を、意地悪な人は意地悪な顔をしています。
思想や価値観、どんな自分でいたいか、どんな風に見られたいのか、どんなものが好きで、どんなふうに他人を見ているのか。
人間の中身は、必ず、”目には見えない内側”から、”目に見える外側”に、滲み出るのだと思います。
外側は、中身を知る前のワンクッションです。
どんな宝石がその心の奥底に眠っていたとしても、泥の中に人の手を突っ込ませるような真似は、私ならしたくない。自分で自分を濾過して、おもわず手を伸ばしたくなるような透明感のある池でありたいじゃないですか。
「ありのままの私」を受けれてもらいたいけど、それが相手にとって失礼かどうかなんて考えたことがなかったです。この言葉は衝撃でした。
同時に、根拠のないナルシストが苦手な理由も腑に落ちました。
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自分自身の事は愛してあげたほうが生きやすいと思います。
それに、どちらかといえば自分に自信がある人は好きです。
私が苦手なのは、根拠のないナルシスト。
外側が綺麗なつもりでも中身がスカスカな人や、外側が無頓着で中身だけで勝負しようとする人、「自分はこういう人間だから」という言葉に甘えてあぐらをかき、自分は人に歩み寄らないくせに自分を「さあ愛せ」という厚かましさが、どうにも受け入れ難いのだと思います。
「自分を好きでいる努力」をしている上で、「自分が好き」な人は、多くを語らなくとも素敵。
どんな努力をしているかを語らなくても堂々として姿勢が良く、「中身を見て!」と言わなくても中身を知りたくなるような人。
好きの根拠がはっきりしているから、落ち込んだり凹んだりすることはあっても、芯があるから強い。
「自分が好き」は、周りを下げたり巻き込まらなくても1人で立てる心のためにあるもの。
「私が私を好きなのだから、あなたも私を好きになるべき」なんて言いたくない。人間関係は歩み寄った分だけ親しくなれると思いたいじゃないですか。
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「好きなタイプは清潔感がある人」なんて大前提です。
おしゃれな人が好きなのは、その人の個性や世界観に触れることができる気がするから。
自分の”好き”が明確な人が好き。それがわかりやすいところに見えるから、”おしゃれな人が好き”です。
外見を褒められるのは嬉しいことです。
こだわりのメイクやネイル、手入れをした髪の毛に指を通してもらったときに褒められると、嬉しい。あなたが可愛いと言ってくれた私の目に、できるだけ長くあなたを映してたい。
だけど外見や生まれ持ったものって、どんなに褒められても好きになれない部分もあるし、80年経てばみんなシワもできるだろうし、焼けばみな骨なので、一重だとか二重だとか、唇が厚いだとか薄いだとか、些細なことだと思います。「今だけ楽しい関係」じゃなくて長く仲良くいたいから、中身も好かれたい。そのための”料理”を惜しまない人になりたいな。
いずれ生まれるシワなら、眉間ではなく目尻にシワができそうな人が好きだし、好きな人が世界で一番素敵に見える魔法にかかっている私は、好きな人のなら、きっと骨だってピカピカに見えると思います。
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自分に何かを「してくれた」ということは、とても嬉しいしもちろん感謝をするけれど、あくまで相手からの善意や好意なので、それだけで人を好きになることもないかもしれません。
恋愛では、Feeling、Timing、 Happeningの3つの「ing」が大事とかよく言われますね。
好意というのは不思議なもので、贈り方や受け取り方次第では、あたたかくて嬉しいものになるのに、タイミングひとつ間違うと、冷たくて怖いものにもなると思います。
好きな人からなら、たった1通のメッセージでさえもらえることが最高の喜びになるけれど、そうじゃない人からはどんなに素敵なものを貰っても怖くなっちゃうから、贈り物って難しい。
チョコレートひとつでさえ不用意な深読みをされるのは困るなって思うと、年々贈れる人が限られていってしまいますよね。
気軽にチョコレートを贈れる関係、大事にしたいなって思います。
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たくさん話をしたいのです。
外側よりも中身に惚れてほしいし、惚れさせてほしいじゃないですか。
話をして、内面を知った分だけ、人のことを好きになれます。
どんなことが嬉しくて、どんな音楽を聴いて、どんな映画を観て泣いて、どんな本を読んで、どんなことで傷ついて、どんなことに癒されるのか、あなたの毎日に、どんなおまもりがあるのか。
ただ話をしただけで好きになれるわけじゃないです。
たくさん交わした会話の中身が、どんなにささやかなものであっても、価値観や思想が重なること、異なっていたとしてもそれを受け入れられるような人間性であること、他者を尊ぶ心がある人が、好き。
自分が誰しもに対して、100%の善人ではないことをわかっている人が好き。自分の正しさを他人に押し付けないことや、自分を顧みれる人が好き。自分と他人が、ちゃんと違う人間であるという当たり前なことをわかっている人が好きです。
私がこうして普段口に出さないような心の柔らかい部分を晒しているさまを、受け入れてくれるあなたの存在がありがたい。
あなたが誰にでも容易く触れさせないような心の柔らかい部分に、厚かましくも触れさせてもらえたと感じるたびに、私を受け入れてくれていると感じるのです。
同じ人間でありながら、私たちはお互いに気持ちを伝える術が少ない気がします。
言葉も行動も、時にその裏をかこうとしてしまう。
言葉の奥を探りたくなってしまう。
行動の真意を探してしまう。
その心を100%知ることなんてできないのにね。
勝手に憶測して勝手に苦しんだり喜んだりしてしまうのです。
好意はどこに宿るのかを考えてみるけれど、心以外のどこに宿るのでしょう。
likeとloveだけじゃない好きがたくさんあります。
愛だって、恋愛の愛だけじゃなくて、家族や友人や動物や物にだってあります。
制服をきてきた頃に回ってきた折り畳まれた手紙が捨てられないのも、くたくたになったぬいぐるみを抱きしめて眠るのも愛です。大きさや深さも重さも人それぞれに
違う。
「あなたが大切です」ということを伝えるのに、どうしてもこんな簡単な言葉だけでは足りない気がします。
だからといって複雑にしたいわけでもない。伝えたいことは変わらないのだから、その一言にこの気持ちが全部のせられたらいいのにな。
でも伝えてもきっと伝え足りなくなるのだろうから、これからもたくさん話をしたいです。
向こう1年2年じゃなく、10年20年、50年100年先も、あなたと仲良くいられるように。
あなたに好きでいてもらえるように。
あなたを好きでいられるように。
あなたを大切に思う分だけ、あなたに大切に思われていたら嬉しいな。
同じ重さ、同じあたたかさ、同じ優しさで、今夜も眠れるといいな。