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極めて個人的な心情のメモ

読まなくてもいいやつです。暗い話かも。

私の祖父母はどちらも健在なのですが、父方の祖父母が子どもの頃から苦手でした。特に祖父。

子どもの頃は「なんとなく苦手」くらいだったけれど、苦手になった理由がちゃんとあって、それに気付いたのはとても最近でした。

それに気付いてから、"なんとなく苦手"が"嫌い"に一歩近付いてしまったけれど、そのことに関して今まで誰にも言ってないし、言う気もありません。聞いてて気分がいい話ではないのがわかるから。


昨日、父から「もう駄目かもしれないから、覚悟だけして。遠いから、来なくてもいいからね。」とLINEが来たのだけど、自分でも驚くほど全然悲しくありませんでした。

これがもし母方の祖父なら私はきっと心配になったし、悲しくなったし、会いに行っていたと思います。
家族の仲は良いと思ってたけど、私にとっての「家族」って、どこまでが家族なのでしょう。




私はきっと、父方の祖父母にだって可愛がってもらったと思います。思うけど、思うのに、私にとってそれが心地の良いものではなかったからといって、あったであろう好意も受け取れないような、自分の薄情さが悲しい。そしてこれだって、自分自身への失望です。自分のことばかり。




血が繋がっているから仲良しになれるなんてさらさら思っていません。

でも、だからこそ、比べるわけではないけれど、他人として知り合ったとしても仲良くなれそうな母方の祖父母とは違う、父方の祖父母の人間性が今さら変わることはないし、2人への私の微妙な気持ちが、もし仮にいま会いにいくことで、良くなる想像もつかないのです。


ギリギリ"苦手"だったのが"嫌い"になってしまうくらいなら、このままふんわり死別してしまいたい、なんてことを考えると、父からのLINEに返信ができません。


私にとっては苦手な祖父母だけど、父にとっては唯一の父母です。文句を言いながらも面倒を見ている父にとって、娘である私が、両親を嫌いになるのは、悲しいかもしれない、なんて考えてしまいます。


会う理由が見つけられない。会いたくないから。

会わなくてもいい理由ばっかり探してしまう。

祖父のことなのに、思考の中心においてあげられない。

私や父の心情に重心をおいてしまう。


未来の私が「あの時やっぱり会っておけば良かった」と思う日が来ることは無いだろうな、とさえ思ってしまいます。先のことなんてわからないのに。


むしろ、どちらかというと、時間と共にこの複雑で微妙な気持ちが薄ーく引き伸ばされて、平らにならされてしまう想像のほうがつきます。


大人になって振り返ったときに、あの時の父の祖父母の言動が私自身を尊重してくれたものではなかったのだと気付いてしまったから、私も2人のことを尊重できません。


「家族を大事にできない人は」なんて浅い目線でしか喋れない人の声は別にどうでもいいです。家族は身近にいるけれど他人だから、合う合わないはあって当然じゃないですか。


身近な他人であるからこそ、どんなに幼くても尊重されたかった子どもの頃の私の気持ちを、今の私が尊重してあげたいのかもしれません。

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