"好き"の共有で好きになる。
今年も立秋を迎えましたね。
信じられますか?暦の上ではもう秋です。
お手紙をしたためるときには「残暑」という表現になるのが不思議なくらい、涼風至にはほど遠く、じっとしてても汗が噴き出る気温が続いていますね。
二十四節気で刻む暦が好きです。七十二侯も。
平安時代から、長く人々の生活に寄り添ってきた美しい文化と、素敵な言い回しだと思います。
マスクのせいで熱がこもって肌も荒れるし、額の汗を拭いながら熱中症に怯えて口に放り込む塩飴が、夏の暑さの味を濃くしているような気がします。
みなさまも、お身体くれぐれもご自愛くださいね。
★
好きなものはありますか?
そして、あなたの好きなものは、周りの人に伝わっていますか?
私は、それはもう、めちゃくちゃに、とっても、好きなものがわかりやすいタイプです。”者”も、”物”も。
「この人好き!」って思った人には分かりやすく反応しちゃうし、たぶん相手にも「ぐみちゃんは自分のこと好きなんだな」って伝わってるし、きっとぶんぶん振り回してる尻尾も見えているはず。
loveでもlikeでも好きな人には躊躇いなく好きって言いたいし、好きな人には、にこにこへらへらしちゃう。
音楽も、映画も、本も、好きなものは熱く語れます。
それはそれはもう、キモいくらいに語れます。
観た後に「好き!」が大爆発した映画、家族におすすめしようと思ってiPhoneのメモ帳に勢いよくレビューを書いたのですが、とっても熱量が高くあまりに長くなったことに自分で引いてしまい、誰にも見せずにそっと封印しました。何人かには読み聞かせましたが、キモいと評判で嬉しかった(?)です。(文字数調べたら原稿用紙8枚分くらいありました。怖い)
好きなものを語る事が好きです。
と、同時に、
好きなものを語る人が好きです。
"好きなもの"って、人格形成や価値観に大きく影響を及ぼしますよね。
極端に言えば、好きなアーティストひとつにも、その人の性質が見えると思うんです。
”奥華子”と答える人と”倖田來未”と答える人とはきっとメイクが違うし、”スピッツ”と答える人と”SiM”と答える人では、服の好みもお部屋の雰囲気も違うと思うんです。(いま挙げた全てが好きな人もいるし、もう仕上がった価値観に合うアーティストを好きな人もいるでしょうが、言いたいことは伝わるでしょう?)
★
好きなものがたくさんあります。
小さなものから大きなものまで、私が持っている物から、持っていないものまで。
私の好きなものはわかりやすいのか、はたまた私が言いすぎなのか、リアルでもSNSでも、仲の良い人にはだいたい好みがバレています。
友達から「これぐみちゃん好きそう!」と渡される頂きものやオススメされるものは、だいたい好きです。
みんな私のことよくわかってるな~って思います。
ここで好きなもの全てを語るとセクシーじゃないし、おしゃべりする中であなただけにこっそりと耳打ちしたい好きなものもあるのであえてここでは多くを語りませんが、たくさんの好きなものの中に、絵があります。
あ、好きなだけで詳しくないです。
ふふ、この言い方は、以前のnoteでも書いた予防線ですね。
(自分の投稿引用するのうぬぼれやみたいで面白すぎますね。違いますよ。
ずっと自分の思ったことを書いているので、たくさんnoteを更新していくと、こういう風に色んなところで焼いた私の思想がミルフィーユみたいに重なっていく感じがするので、味わってほしいんです。)
さて、絵の話に戻りましょう。
絵の話、というと大枠すぎるので、いろんな絵と出会わせてくれる、美術館との思い出話をしようかな。
子どもの頃から、休みの日にはよく色々なところに連れて行ってもらっていました。
サファリやテーマパーク、フルーツ狩りや、海や川。色んな楽しくてわくわくする大好きな場所のひとつが、美術館や博物館でした。
我が家は母がそういう場所が好きで、父は「お父さんはよくわからないよ」って笑いながらも、ノリノリで連れて行ってくれていたし、じっくりじっくり絵や解説を味わう母を一切急かすことはなく、各々のペースで展示を楽しんでいました。
みんな一緒に回ることもありましたが、大体は父か兄が最初に見終わっていて、父は外でたばこを吸いながら、次に私が出てきて、最後にほくほく顔の母が出てくることが多かったと思います。
今思えば、父は母がゆっくり楽しめるように、私や兄が迷子にならないように、先に出口にいてくれたのかもしれませんね。
幼いながらに、絵を見るのも、ミイラを見るのも、同じくらい、わくわくドキドキしていたのを覚えています。絵のタイトルや時代背景の解説の文章で読めない漢字を母に聞いたり飛ばし読みしたりしながら展示を見て、終わりに近付いたらもう一度「好き」を感じた作品を見に戻って、と、うろうろしていました。
知らない大人たちが静かに、ゆっくり進みながら、同じものをじっと見ている空間も好きでした。
どこの誰かも知らない、きっと明日すれ違ってもわからない、たまたま同じ日同じ時間にここにいたこの人達と、”この展示を見たい”という共通項で繋がっていることに、親近感が湧いていたのかもしれません。
そして薄暗い館内でぽつぽつと照らされる作品が、この場にいる誰よりも多くの歴史を歩んできている尊さに、感動していました。
いつだったか母に、幼い私は美術館でどんな様子だったか聞いたのですが「つまらないとか帰りたいってぐずることは1度もなかったし、ちゃんと楽しんでるみたいだったよ」言われたのを覚えています。
★
レオナルド・ダ・ヴィンチはモナリザが有名ですが、私は彼が修行中に描いた「衣紋の習作」もとても好きです。
何がすごいって、修行時代でもうこんなにうまいの?ってことはもちろん、布の皺の動きだけで、布の奥に”人の気配”を感じさせるところですよね。
描いた布の厚みや質感、重さを表現していることもすごいし、”人を描かずに人を感じさせる”ってすごくないですか。
見えないものを描いているんですよ。人間なんて描かれていないのに、これは”布を被った人”にしか見えないんです。
なんの説明も注釈もいらない、これを見た人全員が、否応なしにその布の向こう側を想像させられるんです。
圧倒的。
レオナルド・ダ・ヴィンチが天才と呼ばれてしかるべくだと思わせてくれる一枚です。
だめですね、テンションが上がって語彙が失われてきました。すごいすごいしか言えなくなっちゃいます。
ちなみにこの作品は、実際は人体模型に着せて描いた絵らしいです。中身人じゃないんかい。
芸術作品は、その時々の時代背景や、祈りや、細かいところにたくさんの意味やストーリーが隠されていることが多いです。蠱惑的な笑みは、時に血生臭く、争いやよこしまな感情、憂いや絶望の上に成り立っている場合も多い。
クロード・モネの作品は、晩年に連れて荒々しく、赤みや黄みが強くなりますが、それは彼が患った白内障のせいだと言われています。
目がかすみ、色の認知が今までと異なる中、それでも画家として筆を置くことのなかった彼の叫びのような作品は、見ていると胸がびりびりして、なんだか泣きたくなったのを覚えています。
色々な感情が渦巻きながら、多くの情念が込められ、熱意や命をかけられ、多くの人が感動し、そして守られてきたものが美しいのは、作品に残ったいろいろな魂に触れることができるからなのかもしれません。
知れば知るほど胸が熱くなってどんどん好きになってしまうのは、意味や由来を知るのが好きな私の癖なのだと思います。
★
Twitterで「ツイートしてない人」や「RTしかしていない人」のDMやリプをスルーしている人は男女共に多いと思うのですが、それって画面の向こうに"人の気配"がしないからだと思うんですよね。
Twitterって140字以内のつぶやきが飛び交う世界です。
もちろん登録している人全員が何かを発信する必要は無いですし、「見る専」のアカウントは私も持ってました。
でも、ツイートの向こう側の人とコミュニケーションを取りたいなら、やっぱり多少は自己開示をしたほうが仲良くなりやすいと思います。
あなたが”関わりたい”と思う人、なぜそう思ったのか考えてください。
ツイートを見て、写真を見て、関わりたいと思ったわけですよね。
なんの情報もない人に興味が湧かないのは、みんな一緒なんです。
”幽霊の正体見たり枯れ尾花”
「知らない」「わからない」って、恐怖であることが多いです。
正体がわかればなんでもないようなものだって、知らなければ幽霊に見えるんですよ。
お化け屋敷だって、中を知らない最初が怖いじゃないですか。
どこで恐怖演出があるかを知って、何もかも見えるくらい明るい照明で、毎日通ってスタッフと仲良くなってしまえば、きっとおばけとハイタッチができるはず。
ただでさえ、対面した時に必ず生まれる”第一印象”が見えないのがSNSです。視覚で得られる情報は五感の中でも約9割近くです。顔や体や纏った雰囲気、声や間の取り方、服装や歩き方、そんなものは何も見せることなくコミュニケーションができる世界です。
もちろん顔を出している人もいるけれど、せっかくなら、私はそれを出さないことを武器にしたい。
私を私たらしめるあらゆるレッテルを剥がした"わたし"が残す言葉や思想や文章は、普段の"わたし"からは見えないところなんです。
私がこんな文章を書くなんて、リアルの友達は、誰も知らないんだからね。ふふ。
「見せたいものを第一印象にできる」って、最高じゃないですか。
人間性を見たいんです。
あなたしかあなたの”衣紋の習作”が描けません。
三代欲求以外の好きなものを語ってほしいです。
「ねむい」「お腹すいた」「セックスしたい」よりも、あなたを構成する何かがあるでしょう?
わざわざ私のだらだら長いnoteを読んでくれるあなたが、それしかないような、つまらない人間なわけがないのだから。
★
朝、私の一番好きな挨拶のツイートをしているのですが、先日、好きな絵画をなぞらえたおはようをしました。
そしてそれぞれの絵画の好きポイントをiPhoneのメモにまとめてALTにギュッと詰めた(ALTにメッセージを忍ばせるのは、大好きな相互さんの真似っこ)のですが、あっという間に1000字を越えていて、おろおろしながら削りました。好きなものを語らせると長くなりがちです。
削ったとは思えないほどの密度の”それ”は、きっちり1000字。
「おはよう」のツイートにぶら下げるのには重く、朝からかつ丼を提供したみたいだなって思いながらツイートボタンを押しました。
上記のツイートで出した作品は、もちろん自分が好きなものではあるのですが「きっとあの人もこういうの好きだろうな」と思い浮かんだ人が何人かいました。
案の定、「すごく好き」と言ってもらえて嬉しかった。
ふふふ、私、あなたも好きだろうなって気付いてたんだぁ。
このツイートに限らず言えることですが、私の”好きなもの”と、それが”届いて響く人”がいる喜びを感じています。
元々誰もいない闇に向かってそっとボールを放るような感覚でツイートをしていたので、そのボールを受け取ってくれるあなたの気配がすると嬉しいです。
★
さて、熱く熱く好きなものの話をしましたね。
好意というのは不思議なもので、一人でも完結している感情なはずなのに、返ってくると嬉しいんです。
贈った相手からなら、なおさら。
でも、人によっては怖くなるのも好意です。
シーソーは仲の良い2人で乗るから楽しいのです。
いきなり知らない人が乗ってきたら怖いし、乗りたくない相手を無理やり付き合わせて跳ねてもきっと楽しくない。
さっきまで楽しそうだった相手が他の遊具に移動してしまうと取り残された気持ちになるかもしれませんが、今後誰もシーソーに乗ってこないなんてこともきっとないんだよ。
同じとき同じ公園にいたのが思い出になるんです。
楽しかった思い出は全部ほんとだよ。
好きだと思える気持ちが美しいんだからね。
私はすぐ「好き」という言葉を口にしてしまいますが、それは私が「いつ死ぬかわからない」と思いながら生きているせいです。
これは決してネガティブな意味でなく、あなたと私が同じ今日を生きていることが、実はたくさんの奇跡の連続だからだと知っているからです。
知っていましたか、私たち、いつか死ぬのよ。
例えば誰にでも訪れる、訳もなく寂しい夜に。
私があなたの事を大好きだということに、1mmの不安もなく眠ってほしいです。
「誰からも必要とされてない」とか、「愛されていない」とか思わないでほしい。
だって私があなたを好きなので。
見えないだけであなたが私を思い出してくれるたび、私はあなたを抱きしめているんだよ。
どうか私の好きが重たい呪いではなく、あたたかいお守りになりますように。
★
自分の欲求を満たすために始めたアカウントです。
頭の中で整理もつかずに溢れた文字を、書きなぐって、丸めて、詰めて、吐き出してます。
いつの間にか仲良くしてくれる人が増え、居心地がよく、時間がどんどん溶けてゆきます。
いつか私の好きな誰しもがここから消えることを想像して寂しく感じるときに思い出すのは、私のツイートをいつだって大事に受け取ってくれる人がいたという事実です。
あなたがあの夜抱きしめてくれたのは
私のしたためた文章だけではなく、私自身だったよ。
ありがとう、きょうも大好き。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?