爪の先のセンスと、緩やかなコンプレックスの上書き。
11月ですね。
今年もあと…なんて野暮な話はやめにして、11月の話をしましょう。
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私が1年で1番好きなきなイベントはハロウィンです。
古代ケルトの1年の終わりにご先祖様が家族に会いに来る日で、それと一緒についてきてしまう悪霊から子どもたちを守るためにお化けの仮装をさせ、悪霊たちに悪さをされないために、お菓子をあげておとなしく帰ってもらう、というストーリーが、もう、なんていうか、大好き。最高。(※諸説あり。私の解釈です。)
幼稚園の頃、ほんの一瞬だけ通っていた英会話教室でのハロウィンパーティーがとても楽しかったので、その思い出補正もあるのかな。
母が作ってくれた大きなジャック・オー・ランタンを頭からかぶり、羽織った艶のある黒いマント、お菓子をもらえる魔法の言葉、いっぱいに詰められたカラフルなチョコレートやかわいいクッキー、ほんのり怖いモチーフのキャンディーやグミ。
私がオレンジや黒が好きなのは、この刷り込みなのかもしれません。
ここ数年ただのコスプレ大会になっているのはどうなのかな、と思う気持ちは少なからずあるけれど、もともと死者の為のお祭りは生者のためのお祭りでもあると思うので、わいわい賑やかにすることで慰められる魂や人がいたり、その中でこっそり街中に紛れて本物が混ざってたり…なんかを想像しながら歩く、あちらこちらにおばけが飛び交うお店や街並み、ワクワクします。
さて、そんなハロウィンがおわると、一気に世間はクリスマスモード。
オレンジと黒に彩られたほんのり怖い世界がガラリと変わり、赤と緑のリボンが巻かれ、あちらこちらにモミの木がニョキニョキ。
きらびやかなイルミネーションや夜景よりも、静かな星空の方が好きだけど、ミラノ巻きする赤いマフラーはとってもキュートで私によく似合うし、お気に入りのコートは繋いだ手をお招きするのにも良い深さなんですよ。
そんなイベントとイベントに挟まれて存在感が薄くなりがちな11月ですが、寒い季節が好きな私はもちろん11月も大好き。
10月の頭にはまだ残っていた夏の気配はすっかり消えて、11月は秋が冬にバトンをつないでいくようなイメージです。
本格的な、ぎゅーっと身がしぼむような寒さになる前の寝起きのお布団のあたたかさ、土鍋が映える、良い季節のはじまり。
そうそう、RummyとBaccusが美味しい季節でもあります。アイスもあるのご存知ですか?ぎゅーっと濃厚なチョコレートが美味しいの!こたつで一緒に食べたいね。
子どもの頃に観たあの映画は、タイトルを検索するとひどいレビューがずらりとあるけれど、それでも私にとって11月をロマンチックにしてくれるには充分な作品だったな。
もこもこのニットや、しっとりと潤うハンドクリーム。ヘアオイルも重めのに変えて、お気に入りの香水が似合う、それが私の11月。
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季節に合わせて変えたくなるもののひとつがネイルです。
多くのコンプレックスを抱えて生きているとっても可愛い私は、小さい頃から自分の手が嫌いで嫌いで、ネイルはおろか、少しの注目もされたくなくて、ずーっと深爪でした。
色にときめいて買ってしまったマニキュアは、こっそりと足の爪にしか塗らなかった。
でも、ネットで流れてくるデザインやおしゃれな友達の指先、「もしも自分がするなら」と保存してしまう画像を眺めながら、数年前の誕生日前日、「自分のことをもう少し好きになりたい」と、ネイルサロンへ足を運びました。
深爪なのに何しにきたと思われないかな、とドキドキしながら扉を開けた日。
コンプレックスを人前に晒すのには、冬の背中に汗をかくほどとても勇気が必要だったけど、本当に行ってよかったです。
たかが10本の指先。
たかが数cm。
他人から見れば本当にささやかな変化でしたが、私の人生は変わったと言えます。
あの時勇気を出した自分を褒めて、抱きしめて、高い高いして、くるくる回りたいです。
それはそれは良いネイリストさんと出会えたおかげで、今では元々の自爪よりネイルベッドも長くなり、「深爪だった」というと驚かれるほど、健康的に綺麗に伸びてくれた私の爪は、荒んだコンプレックスを優しく補ってくれる部分になりました。
「自分の手は嫌い。だけど、自分の爪は好き」
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ジェルネイルは伸びてくると爪の根元がどうしても分かりやすく、多い時で2週間に1度、少なくても3週間に1度はお店に通いました。
伸びてきた根本の分だけ、命と時間の流れを感じつつ、毎回、お願いするデザインを10本分コラージュした画像を持ち込んでました。
こだわり強くてめんどうな客だったと思うのですが、嫌な顔も一切せず「お爪綺麗に伸びましたね!ぐみさん今日はどんなデザインかなって、いつも楽しみにしてます!」と優しい言葉をかけてくれたネイリストさんに感謝しかないです。
が、いまだに世間を騒がすあいつのせいで、通っていたサロンが時短営業になり、ワンカラーしか出来なくなり、それでは物足りなくなったので、セルフネイルをするようになりました。
初めて自分の爪に自分で色を塗ったとき、根元はガタガタだし、ポリッシュだったから乾くのに時間はかかるし、なんなら朝には"シーツの型押し"って柄になってるしで散々だったけど、楽しみながら何度も塗り直したり、ちょっと勉強したり練習しながら、今では自分がしたいデザインをそのまま爪に残せるようになりました。
「自分の手は嫌い。だけど、この器用さは好き」
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私はネイルが自由な職場だけど、仕事柄ネイルができない友人もいます。
それでも私の美しい友人たちは、総じて指先まで綺麗です。意識が向いているのがわかる指先。
手入れをしているかどうかだけではないのです。
荒れてしまうほどの、働き者の手も美しいのです。
自分を愛する人とか大事にできる人は、爪に色がついているいないかに関わらず、指の先までパワーが満ちているようなイメージ。それはそれは、滴りそうなくらい。
一時期色々なSNSで見かけた文なのですが、的を得ていて、たまにふと思い出します。
爪だけではなく「その人らしさ」を感じられる部分がとても好き。
私にとっての爪が、別の人にはバッグや靴だったり、文章や写真だったり、音楽や服だったり、優しさや思いやりだったりする。
言葉の選び方ひとつひとつが、
笑った時にだけ現れる目尻の愛おしい皺が、
好きなものを語る時に弾む声が、好きなのです。
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ネイルを変えたら毎回写真を撮るようにしていて、可愛くできたデザインは人に送りつけてカワイイのカツアゲをするのですが、カツアゲした「可愛い」でも、にっこにこになります。ちょろい。
そしてつい先日も、いつものように可愛いのカツアゲをしようと思って画像を送りつけました。
「上手」って言われるのも嬉しいけど、「センスがいい」って褒められると、より内面を褒めてもらっているような気がしてしまいます。
褒めてもらえるこのセンスは、生まれ持ってきているものだけでは、きっと、足りなかった。
沢山の出会いと学びの中、揺さぶられたり、擦り合わせたりして、少しずつ磨いていったものです。育んできたものです。
ぶれない私の「好き」への感性は、どうやら人に伝わりやすいです。「好き」に対する私の声が大きいのでしょうか。
仲の良い人から「ぐみちゃんが好きそうだと思って」って言われるものは、大体好きのど真ん中。
それは例えば、何気ない写真や知らなかったバンドの新曲、マグカップやあの香水、化粧品やネイルシール、水族館やイベントなど。
好きがはっきりすればするだけ、私の影が濃くなってゆく気がします。
好きなものが、私の存在をより鮮明にするのです。
あなたが褒めてくれたから、私は自分のことをまた好きになれたよっていう、話です。
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