10代の後悔と懺悔。
これは、たまに思い出しては後悔する、私の懺悔。
いまなら出来ることが、当時はできなかったのです。
許されたいけど、許されないから、多分ずっと気にしながら生きていくのだと思います。
幼かった自分へ戒めと、いまだに残る呪いです。
★
「あなたみたいな顔になりたい」
「あなたみたいな性格になりたい」
「悩みなんてないでしょう」
「みんなあなたのことが好きだもんね」
「毎日楽しそうで羨ましい」
「私より頭もいいもんね」
「羨ましい」
「羨ましい」
「羨ましい」
高校時代に、1人の子から上記のことを何度も何度も言われたことがありました。
言われるたびに「そう見える?ありがとう!」と笑って返した後に「あなたみたいな人に悩みなさそうと言われるのが悩みだよ」って言わなかったのは別に優しさからじゃなくて、「そうやって陰湿そうに下から睨むように人の顔を見上げて羨むことしかせずに自分のことをずっと嫌いでいればいいよ。あなたが咥えたその指を食いちぎるほど、私はこれからも人に愛されるように振る舞っていくし、そうありたいからね。」って思ったからです。
嫌なやつですね。性格悪いと思います。
私は自分のことが好きですが、何度も言うようにコンプレックスの塊です。
私の周りはみんな可愛くて性格がいい子が沢山いたので、勝手に自分と周りと比較してはうなされてました。
でも卑屈になってもしかたなし、私は愛嬌という武器をたまたま持っていたので、それを最大限活かそうと思っていました。
したたかに笑って、どうせなら多くの人に愛されていたかったです。
10代の私は今よりもうんと繊細だったし、得体の知れない孤独に心が深海に沈むような不安な気持ちになったり、訳もなく寂しくなって子どもみたいにわんわん泣きたくなるような感覚を、誰しもが抱えているなんて知りもしなかったのです。
私の悩みのひとつさえ知らず、想像もできず、ただ羨むだけの彼女が嫌いでした。
どこで服を買ってるかとか、化粧品は何が好きとか、本当は教えたくなかった。
そう思うほどには思春期の心なりに荒んでいたし、それでも、僻み嫉みでじっとりと嫌に湿った卑屈な彼女みたいには、絶対なりたくなかった。
なんであの時に「そう見えるようにしてるだけだよ」って言ってあげられなかったのでしょう。余裕がなかったな。"自分のことを好きじゃない"ってところは同じだったのに、彼女に寄り添えなかった。自分の嫌いな部分を煮詰めて具現化したみたいな、鏡みたいな彼女が嫌だった。
楽しい思い出がたくさんある高校時代だったけど、振り返ると今でもこのことを思い出す。
優しくできなかったこと、ごめんね、どうかあなたも幸せならいいな。
あなたが「名前負けだから嫌い」と言ったあなたの名前、私は美しいくて素敵だなって、思ってたよ。
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