同じドア、違う生活
体温と同じくらいぬるい夜、いつもより残業した体でまっすぐ道を自転車で帰っていたら、そのまま自分の輪郭がなくなる感じがした。疲れの重さと向かい風で。
あと中指の爪がゆっくりと欠けた。栄養が不足している。
筋肉はたいして使っていないのに、脳をフル回転させたせいでの疲れがつま先まで充填されている。帰宅したらベッドにダイブで、体からマットレスへと根を伸ばし風呂までの道のりと戦う。
ちゃんと暮らしたい!と何度思ったことか。
ほら、こういう暮らしをずっとしている。
でも私が輪郭を溶かしながら帰宅してマンションの階段を息を切らしながら登っていると、同じ形と色をしたいくつものドアの向こうから、それぞれの夕方の香りがする。
煮物の匂い、お味噌汁の匂い、焼き魚の匂い。ここまで書いて思ったけど私はけっこうな高齢者世帯に住んでいるかもしれない。とにかくおばあちゃんちのドアを開けた瞬間にする匂い、がするのだ。
そして、石鹸の匂いがしてくるドアもある。ああ、すごいな、もうお風呂に入って、ほんとうに、えらいな、はぁ、と、階段を登りながら、感嘆する。
マンションといえば、近所に嫉妬するくらい住みたいステキマンションが最近できた。物件とバイトは一期一会だなとつくづく思う。
そして、そのマンションだけが世田谷みたいに垢抜けているのである。世田谷が本当に垢抜けてるかは置いておいて、この毎日煮物地帯とのコントラストにおいて、垢抜けている。
まず、部屋の明かりはどの部屋もほの暗いオレンジ。
私のマンションなんてキンキンの白い蛍光灯が透けている窓がいくつもあるのに。
そして、世田谷マンションの窓際にはおしゃれな観葉植物がちょこんと見えている。煮物マンションには、ぎゅうぎゅうに積み上げられた大量のぐちゃぐちゃの洗濯物らしきものが透けている部屋があるというのに。
そして世田谷マンションを世田谷たらしめているのが、住人である。
この街どこを見渡しても見かけないような若者がどんどん出てくるのでここは異世界に繋がっているんじゃないかと思ってしまう。
あーあ、あのマンションに住みたかった、と、オレンジ色の照明に照らされた観葉植物をみてちょっとやきもちを焼きながら、また階段を登る。
やきもちポイントをあげるときりがない(あっちには白い花が咲いているのにうちのマンションは蜘蛛の巣と蔦だ、とか)のでこの辺にしておく。
私は、ホテルとかマンションとかの類が小さい頃から好きだった。
「おえかきちょう」には、ホテルの四角くならんだ大量の窓全てからひとつずつ客人の笑顔が覗くというトラウマ級の絵を量産していた。
きっと、部屋に至るまでの道とか、その部屋のドアとかは均質で同じなのに、その向こうに広がる暮らしとか時間の流れとかは明かされず、でもひとつとして同じものがない、というところにロマン的なものを感じるからかもしれない。とにかく、いまもけっこうわくわくするのである。