犬のいない散歩は退屈
無性にずっとまっすぐ歩きたくなった。
山奥の農家くらい早起きできてしまったので、新しく買った水筒だけを持って1時間まっすぐ歩くことにした。
ビールをいれたいという煩悩の末購入した、炭酸もいける水筒に、ただの水をいれる。
まだ、誰もいない朝の空気は最高で、
この空気を初めて吸うのは自分なんじゃないかというほど誰もいなかった。
いつも使う道より1本奥をまっすぐあるく。
歪んだベンチを見つけて、写真を撮る。
スニーカーを持っていないので、持っている革靴の中で一番革がのびて柔らかな靴をはいて、歩く。
側から見たら水筒だけをもった革靴のすっぴんの女が目的もなさそうにフラフラと歩いている様子は不気味であろうと思いながら歩く。
脂肪燃焼も兼ねてということにしていたのでコンビニに寄り道なんてしないぞと意気込んでいたけれど、「ブラックコーヒー片手に朝散歩をしたい」というよこしまな欲が出てきて、寄り道をした。
水筒だけしか荷物がないのにまた飲み物を買おうとしている。朝は飲みたいものが多くて困る。
コンビニに入ったらダンゴムシが6匹死んでいた。
ダンゴムシショックのせいでもうなにも買う気がなくなっていたが、入店メロディーだけ鳴らしてそそくさと折り返すのも変な感じがしたので一応なんとなく店内を見ることにした。
こういう無駄でいらない自意識の積み重ねで、シワとかが増えるんだろうなと思う。
店内にて、追加で7匹死んでいた。白い蛍光灯、白い床に黒斑点のコントラストがこれを書いている今でも忘れられない。
気を悪くして外に出た。
まだ音のない住宅街の、いろんな形の家を見ながらどんな暮らしなんだろうかと想像する。これは物心ついた時からの癖で、支柱のついた朝顔の鉢とかを見つけると嬉しくなる。そして大体枯れている。
まっすぐ歩くと見晴らしのいい土手に着くなんて、いいところに住めてうれしいな〜と思う。
土手につき、ダンゴムシがいないことを確認して、ちょっと座る。
革靴でたくさん歩いたので足が痛い。
犬のいない散歩は、退屈だ。ダンゴムシの不快さと足の裏の痛みだけを感じて、出社や登校の人の流れに逆らいながら帰路についた。
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noteを投稿するの、いつぶりだろうか。もしかしたらここまで読んでくれた人がいると想像することが自分にとってささやかだけど確かな支えでありつながりかもしれない、と最近ひしひし感じる。
会社のパソコンで会社の人宛にだけメッセージを発していると、言葉を外に流し出す思考回路が滞ってしまう感覚がする。
考えていることとか感じたことをジャーナリングするすゝめを最近よく見るけれど、面倒くさいので一回もやったことがない。やるべき、とは毎日思っているけれど。
noteを書く手を止めないことが、来年の目標です。もう危うい。