
音を楽しむ×多幸感の調和
2024年10月6日。
また一つ、素晴らしいライブを全身で浴びた。
「何の系譜にも属さないライブ」。
事前にその情報を得ていたものの、それ以上でも
以下でもなく、ネタバレも踏まず、ほとんど
前情報がない状態で向かったKアリーナ。
会場に着くと、そこは既にHarmonyの世界。
グッズ販売や入場ゲートなどにいるスタッフさんの衣装、BGM、会場入口のイルミネーションの
ような装飾。

まだ入場すらしておらず、ライブも始まっていないのに高まるワクワク感。
16時30分。
人に揉まれながら入場し、目に飛び込んできたのはまるで劇場か、オーケストラコンサートの会場のようなセット。

場内アナウンスでは、英語で2024年のミセスの
功績や軌跡が語られ、人の足音や喋り声のようなSEも聴こえる。
既に楽しい。いざ、待ち侘びた世界へ。
OP〜Magic
開演を告げるアナウンスと、楽器隊の演奏。
「JAM’S, Are you ready for Mrs. GREEN APPLE
on Harmony?」
いよいよ始まる、待ち侘びた日。
聴こえてきたのはMagicのイントロ。
いつもより長めにアレンジされたイントロが、
更にワクワクを掻き立てる。
動画を撮りながらも浮き足立つ気持ちと、
全力でライトスティックを振る右手と、
ブレる左手。今観返しても自分のワクワクが
伝わってくる動画と、褪せない高揚感。
「AH,」と大森さんの歌声が聴こえ、歓声が上がる。
私の席からは死角で姿は見えなくとも、
モニターに映し出された姿を見て、久しぶりに
会えた嬉しさに胸が熱くなる。
音を楽しみ、音が楽しんでいることが既に伝わってくる演奏や歌声。
だからこそ、その世界に行かせてもらっている
こちら側も楽しい。
Magicによって魔法がかかったような会場の
一体感と歓声を忘れない。
Hug
自分にとって、夜を紛らわせ、朝には包み込んでくれる曲。
素敵なアレンジで聴けたことが嬉しい。
座ったりゆったり歩いたり、リラックスしたような姿も良かった。
歌い出しから惹き込まれる歌声。
ギターとフルートが応える。
大森さんに当たるピンスポが、日の光のように
見えた。この曲は温かい。
ライラック
イントロからあまりにもかっこいい。
オーケストラの厚みがある演奏に、稲妻のように
入ってきたギターも鳥肌が立った。
何度聴いても、ライラックのギターは光り輝いている。ギターヒーローだと感じる瞬間の一つ。
散りばめられたアレンジにも、その度に周りから歓声が上がる。
最後のコーラスを一緒に歌い、創れることも
毎回幸せ。
また違ったライラックの表情を見たような気が
した。
嘘じゃないよ
いつか生で聴きたかった曲の一つ。嬉しかった。
サビのメロディアレンジがとても切なくて、
この曲が持つ憂いや切なさを増しているようだった。
間奏のギターソロが大好きで、いつか生で聴くのが夢の一つだった。
やっと生で聴けたことが幸せだった。
泣いているような、切ない表情をしている音だった。
「嘘じゃなくないよ 嘘じゃないよ」と歌う表情も
忘れられない。
ANTENNA
生で聴く度に違った印象を抱く曲。
AtlantisのANTENNA。対バンのANTENNA。
HarmonyのANTENNA。
どれも違って好きだった。
何度聴いても「疲れてしまったの?」の後の
キーボードが大好き。
この曲の中で一番切なさを感じるけど、同時に
とても綺麗で。
「謝れたら良いな」のアレンジが印象的。
歌声やアレンジのレパートリーがとんでもないな、と改めて実感した瞬間。
光のうた
真ん中で座りながら歌う大森さんと、左右で演奏する2人。
大森さんに当たるライトはまるで日の光のようで、
ずっと暖かかった。
歌声を演奏が包み込むような感じ。
だけど同時に、透き通るような歌声自体もまた、
柔らかな光のよう。
聴かせてくれてありがとう。
嬉しかった。
soFt-dRink
不思議な魅力を持つ曲だな、と思う。
炭酸水のように透き通るような曲で、だけどカラフルなジュースのようなイメージもある。
オーケストラアレンジによって聴くこの曲は、
本当に心地良くて時折目を閉じながら聴いた。
今回のライブはモニターに歌詞が映し出され、
それによって曲の良さを更に噛み締めながら
聴くことができた。
“死にたくなる事ばっかじゃない”
ちょうど辛かった時期に生で浴び、歌詞を目で
見ながら聴いたこの曲は、また一つ自分を
掬い上げてくれた。
ア・プリオリ
何の曲かを認識した瞬間に声にならない声となり、撮影するつもりが歌い出しを逃してしまったほどの衝撃。
赤と青の照明とアレンジが成す「不穏さ」。
どこか漠然と不安になるような世界観。

ただ一瞬で、惹き込まれた。
サビの心音のような演奏と歌唱力に圧倒される。
“偉いもんね?”
歌詞一つ一つの表現力と、呼応する演奏の迫力。
表現力と歌唱力に良い意味で殴られたような
あの感覚は未だに忘れない。
Dear
ア・プリオリからDearの繋ぎがあまりにも良くて、印象に残っている。
同時に、Dearのイントロの楽器達とボーカルの一体感が凄まじかった。
「1, 2, 3!」という大森さんのかけ声で始まったイントロは、まさに一体感、調和だった。
壮大で迫力があるのに、歌っていることは優しく、切ない。
壮大さを作り出すのは演奏、優しさと切なさを表現するのは歌声、そして歌詞。
この曲が大好きだと再確認できた。
クダリ
また初めて生で聴けた曲が増えた。
聴き入ってしまい動画は手元にないけれど、
「良かった」記憶は鮮明に残っている。
歌終わりの楽しそうな3人と、笑顔に包まれる会場。
ずっと続けばいいのに、と願ってしまうほど、
優しく暖かな時間だった。
“何にも負けない その貴方の笑顔が 悲しみで
溢れることが無いように”。
あの光景を見ながら浮かぶのは、クダリの
この歌詞でしかなかった。
StaRt
Harmonyの中で、アレンジが特に好きだった曲の一つ。
幸せと楽しさに満ち溢れていて、ステージ上からもそれが伝わってきたのを覚えている。
“「いつでもスタートで居よう」”。
そう歌詞に掲げた貴方たちは、変化や新しいことに挑戦しながらも軸は変わらない。
Harmonyもその一つだったように思う。
変化と不変を感じた、そして紛れもなく
幸せと思える貴重な時間、だった。
ケセラセラ
大森さんのハミングから始まったケセラセラ。
深夜にやってくれるインスタライブのようで
安心感を覚えた。
その後に始まったイントロ、演奏。
いつもより低いキーのアレンジもまた良い。
この曲は私にとってお守りのようで、今や
欠かせない曲。
この曲と見てきた景色が沢山ある。

最後のコーラスの一体感と多幸感も、ずっと堪らなく大好きで。
They are
ライトスティックをただ握りしめて、直立で
聴いた記憶がある。
生で聴いているからこそ余計に、歌詞一つ一つが
ストンと心に入ってきた。
“神様どうか、答えて”。
表情も歌い方も歌詞も沁み渡り、ただ直立で
聴く以外になかった。
歌も演奏も切なかったけれど、一貫してずっと
綺麗だった、そんな印象。
コロンブス
このアレンジ好きだな、と演奏を聴く。
「いつだって」と笑顔で歌う姿に、ダンスホールの準備をし出す私と周り。
と思いきや、
“いつか僕が眠りにつく日まで”。
ゼンジンぶりに、「やられた」。
そういうところも好きだ。
羽ばたいていく姿が嬉しくてならない。
幸せで楽しくて、撮影した動画は終始ブレていた。
多分それが幸せの証。
また一つ宝物が増えた。
素晴らしい絶景。
Part of me
理解に時間がかかり、動けなかった、反応が
できなかった。
まさか、本当に?が脳内を埋め尽くす。
もう生で聴けることはなくても不思議ではない、とすら思っていた。
UtopiaのPart of me。
観て以来、再度観るのは苦しく切なく、
曲を聴くのすら深呼吸や気持ちの準備が必要な
ほど。だからこそ、イントロの記憶がほとんど無い。
ただ、残しておきたい、そうするべきかもしれないという気持ちになり、途中から撮影を始める。
今自分がこの目で、耳で浴びているこれは、
本当に現実かと疑いたくなるほどに、
誰も冒せず、冒されず、何か別次元のような空間。
その歌声はあまりにも透き通っていて、
息を呑みながら耳を傾ける以外にない。
その演奏は歌声に寄り添い、両端から支えているようだった。
アウトロで客席に背中を向け歩く姿は、
Utopiaのあの光景と重なる。
「消えちゃうんじゃないか」。
それを生で見たあの時、思わず消えないでと
手を伸ばしながら願ってしまいそうになるほど、
触れたら透けてしまいそうなほど、
柔らかく儚く切なかった、という記憶。

“「誰かに愛されたい」”。
真っ赤な照明と共に歌う姿は、動画を観返さずとも鮮明で、痛いほどに。
聴かせてくれてありがとう。
本当に、ありがとう。
norn
包み込むような暖かさと優しさ。
この曲にはそれが詰まっていて大好きだ。
陽だまりのような音と歌声に聴き惚れる。
どこか懐かしさや安心感を覚えるこの曲は、
生で聴くと更に自分自身が包まれるよう。
時折目を閉じながら聴いた心地良さは、
今の季節にもぴったりな記憶。
Soranji
最初の「あ」が聴こえた瞬間、本当に嬉しくて、
心中で何度もありがとうと言葉にした。
夜に救われ、朝に背中を押され、辛い時には
寄り添われ。
出会ったその日からずっと、
私はこの曲に惚れている。
この曲だけが持つエネルギーや生命力があると
いう話は何度かしているけれど、生で聴くと
格別に、「生きてみよう」と思わせてくれる。
私はこの日の”我らは尊い。”が忘れられない。
あの広い会場に、その歌声だけが響く瞬間だった。
透き通っていて、誰も冒せず、まさに生命力を
感じた。
人は感動すると本当に鳥肌が立ち涙が出ることを、ミセスに出逢ってから再確認している。
最後のピアノの一音が消えるその瞬間まで、
客席は冬の朝の空気のように張り詰め静まり返っていた。
その後の、感嘆の声が聞こえてくるような沢山の拍手も含めて、忘れられない。
familie
この曲の持つ多幸感が大好き。
同時に、聴きながら泣きそうになる瞬間もある。
ゼンジンのシャボン玉と共に見たあの景色、
それを経てのHarmonyでのfamilie。
幸せな時間、それでしかなかった。
ライトの光が揺れ、手を叩き、コーラスを歌う。
各々の楽しみ方や幸せな空気感が特に伝わって
きた曲だった。
最後のコーラスのあの泣きたくなるような幸せと
ステージ上の笑顔は、ずっと鮮明に残っている。
Feeling
この曲もまた、聴く時の自分の状況や感情に
よって聴こえ方が変わるような不思議な曲。
最後のコーラス部分を長くやってくれたのが
本当に嬉しくて、雰囲気的に「最後の曲だ」と
伝わってくるからこそ、尚更終わらないでと
願ってしまった。
3人の去り際に自然と起きたコーラスや手拍子や
拍手も、最後の一秒まで演出の一部のようだった。
撮影中にたまたま撮れたこの笑顔は、紛れもなく
宝物でしかない。

Harmonyというライブは、
音を楽しむ×多幸感 の調和、その二つのハーモニーだったように感じた。
ステージ上で誰よりも自分たちの音を愛し、楽しむ大好きな人たちと、
その空間や音楽を各々が誰よりも楽しむ客席の
一人一人。
その互いの幸せが綺麗に重なった、そんな気がした。
細かな記憶が薄れていくもどかしさはあれど、
確かにずっと残っている「幸せだった」という感情や手元のスマホに残る幸せは、私の中にずっとある。
行けてよかった、ありがとう。
来年もまた、共に沢山の景色を見られますように。