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“意味しかないけど”


新曲「コロンブス」の歌詞について。
また一つ生んでくれた曲について。
曲そのものについて。

込められた全て、込められた意味、意図するもの。
全てを知っているのは生みの親であり、これから
私が此処に記すことは、あくまで一個人、
一ファンの考え、感想であること。
そこだけは確実に前置きします。

音楽は一対一である。
いつか貴方が言っていたその言葉を、
私は忘れません。

今、全て知り得ることは難しいかもしれない。
やるせなさや悔しさを消化するかのように、
個人的な想いをここに記します。


“いつか僕が眠りにつく日まで” 。

これは「死」を意味するのだと思う。
ただ一ファンの私としては、
Attitudeの
“ああ どうか いつか 僕の我儘が終わるまで”
と同じような、あの胸が苦しく切なくなるような感覚を覚えた。

最初の1行が、これ。
人の命は炭酸の泡のように儚い。


“気まぐれにちょっと 寄り道をした500万年前”

この曲を聴く上で、大きな意味を持つ、キーワードのような歌詞に感じた。

元は同じ祖先から枝分かれをした、人類と
類人猿。

いつ、何がきっかけで分かれたのか。
もはや誰にも分からない、500万年前の出来事。

ただ気まぐれに、そのような運命として
500万年前に始まった。

“あの日もやっぱ 君に言えなかった”

何を言えなかったのか、ずっと考えた。

私は「ごめんね」だと思った。

その後の歌詞にある、
“「ごめんね」それは一番難しい言”
“大人になる途中で 僕は言えなかった”

ここに繋がるような気がした。

大人になる途中、というのは、
一人の人間が成長していく過程を指すのか、
はたまた共通の祖先から進化し、成長を遂げていく過程を指すのか。

私が明言することはしないけれど、

いつ何時も、「ごめんね」の四文字がなかなか
言えない。
それを後悔しているように思えた。

そこからサビに繋がっていくわけだけど、
最初の一行に出てきた、
“いつか僕が眠りにつく日の様な”

“不安だけど確かなゴールが”というのも、
それに通ずるものを感じた。

誰しも「死」に対する恐怖や不安は、
多かれ少なかれあると思う。

不安だけど確実にそれは「終わり」であり、
「最期」であり、「ゴール」である。

“意外と好きな日常が”

日々同じことの繰り返し、嫌なことや辛いことも
望まずとも降りかかる。
けれど、「あれ、今幸せかも」「ちょっと嬉しいかも」が転がっていると気づいた時、
この日常も悪くないと思えるような。

“意外と好き”が、嫌なことや辛いことにより
乾いたココロに注がれるような。

“ちょっとした奇跡にクローズアップ”

目を向けてみる。カメラのレンズに映る被写体を
拡大してアップで映すかのように。

“意味はないけど”

ライラックで
“意味のないことは無いと信じて 進もうか”
と綴っていた。

大丈夫、まだそう信じてほしい。


“「ごめんね」”の四文字を大人になる途中で
言えなかった「僕」は、きっと悔やんでいる。

“文明の進化” “歴代の大逆転”

文字を見て感じたのは、進歩、功績、賞賛。

それに対する”高揚”。

一方で、
“地底の果て”とは何処だろう。

その果てには誰かいるのだろうか。
その一人だけで、高揚して拳を挙げているような
情景が浮かぶ。孤独。
かつては多くの人間と共に生き、賞賛された人間の今。成れ果て。
その高揚が届くことはもうない。

どなたかの考察で見た「地獄」が一番しっくり
きたかもしれない。
命なき後にも語り継がれる、功績。
自分が成したことに対する、高揚。
しかしその人間は今や地底の果て、はたまた地獄へと落ちた。

天地の差。

一方で進歩、功績、賞賛とされていること、
成し遂げた本人が高揚していること。

他方から見たらそれは、
誰かが膝をつき、悲しみ、涙を流すような
出来事かもしれない。

そんな二面性のような、一筋縄ではいかないような何かを感じた。

誰かにとっての歴史の功績や喜びは、
誰かにとっては歴史の誤ちや悲しみかもしれない。
だから、「ごめんね」と。

そんな意味が込められているような気がしてならない。


“いつか君が乗り越える寂しさのような”

「僕」だった一人称が、「君」という呼びかけに
変わる。

“平等な朝日と夜空”

誰にも平等に朝と夜は来る。

時に来てほしくないと願い、時に待ち望む。

“胃が痛くなる日常が”

悩み、苦しみ、辛さ。
それ故に胃が痛くなる毎日。
平等な朝と夜と共に容赦なく。

“ちょっとした美学にクローズアップ”

ちょっとした美学とは何か。
美とは何か。

美というのも、人によって何を美と感じるのか、
その人にとっての美しさとは何か。
それは異なるのかもしれない。

“意味しかないけど”

“意味はないけど”と唄っていた「僕」。
案外そうではないのかもしれない。

“まだまだまだ傷つけてしまう 哀に教わってる
今日も”

人は人を傷つける生き物。
哀しませる生き物。

いつの時代も、残念ながらそれは変わらない。

愛ではなく、哀に教わる。

“あなたとの相違は 私である為の呪いで”

初めて聴いた時に胸が苦しくなった歌詞。

人は誰しも、人との違いを嫌でも意識してしまう。
ただ、あなたとの違いは、私で在るということ。

アイデンティティであり、呪いである。

その違いを意識するあまり、時にそれは
争いや劣等感を生む。

“卑屈は絶えないが そんな自分を本当は嫌えない”

人との相違に対する卑屈。
必要以上に自分を卑下してしまう。

誰しも経験があること。日々絶えない。
ただ、そんな自分を嫌いきれない、嫌えない。

“あぁ 愛すべき名誉の負傷が”
“盛大に祝われる微妙が”

ここの意味をずっと考えている。

かつては名誉として讃えられたことが、
何らかの形で負傷したのか。

盛大に祝われる微妙。
微妙とは本来、「趣が深く繊細であること」
「差が小さいこと」などの意味を持つ言葉。

ネガティブな意味合いではないのだとしたら、
愛すべき名誉の負傷↔︎盛大に祝われる微妙
こう捉えるとすると、
例えば長い歴史、もしくは自分自身における
正負の部分どちらも”大切な様な”

曲中において、少し切なさを感じるこの部分。
何か大切なことを伝えてくれている気がしている。

そしてラスサビに繋がっていく。

“何処かへ続いて 不安だけど確かなゴールが”

やっぱり切ない、不安だけど確かなゴール。

“意外と早い日常が”

早いようで、気づいたら1日が終わる。

意外と早い、意外と好きな。
寄り添いつつ、大丈夫だよ。意外と早くて
意外と好きだから、という、等身大の優しさ。

“ただただただくたばるまで あなたと飲み干したい 今日を”

曲中の「君」と「あなた」は、同じ人物を指す
のだろうか。

個人的にここ、結構すごい歌詞だと思っている。

くたばるまで=「死」を意味するのだとしたら、
自分が死ぬまであなたと、今日を飲み干したいと。


この気持ちは一方的なのか、相互的なのか。


““君を知りたい” まるでそれは探検の様な”

君を知りたい、という歩み寄り。
探検のような探究心。
自分ではない、自分との相違があるあなたを
知りたい。

“誰も知り得ない 優しい孤独にそっと触れるような”

誰も知り得ない、気づいてないけれど、
あなたの優しさ故の孤独。

そっと触れる、寄り添う。

“”君を知りたい” まるでそれはオーロラの様な”
“未だ知り得ない 素晴らしい絶景にやっと辿り着いた様な”

オーロラ。誰もが一度は見たいと夢見る絶景。

そのオーロラのように、「君」の未だ知り得ない素晴らしい一面をやっと見つけた様な。

そんな風に感じる歌詞だった。

“ほら また舟は進むんだ”

舟が進む、即ち航海。

これは巡っていく人生を指すのかな、と個人的には感じた。

“出会いや別れを繰り返すんだ”

数え切れないほどの出会いや別れを繰り返す人生。

“潤んだ瞳の意味を生かすには”

潤んだ瞳、涙した意味を生かすには。

“まず1個 宝箱を探すんだ”

人生に例えるのだとしたら、この「宝箱」は
何を指すのか。

見つけたら嬉しい、自分にとって糧になるような、乾いたココロに注がれるような。

そんな宝箱を見つけられたら良いな。


今回あまりにも辛くやるせない結果になってしまった、MV。

それは一ファンである私にとっても、勉強をさせていただく機会となった。

一方では賞賛、評価された物事や人物に対する
様々な見方。

彼らも、「勉強させていただいた」と口にしている。

例えそんな意図がなくともそう見えてしまう、
伝わってしまうことはある。

そこに対しては、言い訳も擁護もする資格は
私にはない。


一方で、曲そのものや歌詞、旋律。
そしてそこに込められた思い。

全ては生みの親にしか知り得ないかもしれないけれど、それがかき消されてしまうのは、

あまりにも悔しく、ただただやるせない。

歌詞を、咀嚼してみた。何度も何度も。

「勉強不足」「教養がない」。
一ファンである私が見ても、吐きそうなほどに
辛かったその言葉。

本当にそうだろうか。
私は、そうは思わない、思えない。

今まで生み出してくれた数々の楽曲。
ご本人はそれを、「産み落とした子達」と
他曲で表現している。

その曲たちを聴いていれば、
そこには教養や知識、思わず感嘆の声を漏らしてしまうような言葉や想いが散りばめられていた。

決して貴方はそんな人ではないと。
叶うなら、声を大にして言いたい。

これを「一ファンの擁護」と言われてしまうなら、それは構わない。

けれど、命を削って生み出してきた数々を、
軌跡を、努力を、想いを。

その言葉の刃でズタズタにされて良いはずが
ないんだ。

それだけは一ファンの足掻きとして、
ここに記しておきたい。


今回のこの曲にも、
一度音として曲を聴いただけでは伝わりきらず、
何度も何度も咀嚼して噛み砕くと見えてくる、
何か大きなメッセージや意味が込められている
ような気がしてならない。

過去の過ちに対する後悔や反省、平和への願い。


だから私は、これからも聴き続ける。

“意味しかないけど”、と信じている。



















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