ベルクソン日記①
ベルクソンって、どんな人だったんだろう。
会社のトイレでふと考える。
ベルクソンの文章は川面のように光り輝いていて、触れると元気がわき出てくる。なぐさめられた気になる。なぜだろう。「全てはつながっている」ということを思い出させてくれるからか?それだけだろうか?
しかしひとたび本を閉じて日常に戻るや否や、私は彼のことばから授かったはずのパワーを失ったように感じる。つながりは、どこにも見当たらない、というか、見ようとすることを忘れてしまっている。
まだまだ、頭でわかっていても、血として流れるまでには。そこでふと思った。その血を持つベルクソンはどんな人だったんだろう?
どんな日常を送っていたのだろう。朝をどんなふうにむかえて、夜はどんなふうに眠ったのだろう。他人と意見が食い違ったり自分の思い通りにならないとき、どんなふうに振る舞ったのだろう。お願いされたら断れないたちだったのか、自由奔放でまわりを困らせたのか、物静かで何を考えているか分からない神秘的な印象を抱かせたのか、突然烈火の如く怒ることはあったのか。
私は哲学しはじめるやいなや「なぜ自分は存在するのか」と自問する。
もしかすると、その輝きからは想像もつかないような闇を内側に宿しているかもしれない。
なにやらこれまた唐突に始まった。ベルクソン日記。①としたからには続けるだと思う。とりあえず『創造的進化』を読んでる中で思ったこととか考えたことの備忘録的ななにかとして。