その時気がつかなかったとしても
昨年末思いたってnoteを初めてみた時期、とてもとても忙しくて、季節を感じる余裕がなかった。
いろいろ初めてのことも多い1年で気持ちも追いついていなかったのでしょう、春先から寛解状態が続いてこれでもう大丈夫だと思っていたうつが、ああこうやって再発するんだ、と
こころの片隅に恐怖を感じながら、
過ごしていたのです。
先日ふとカメラロールを見たら、
柚子の写真がありました。
その時期いろいろな方からいただいた柚子。
今ごろになって見返して、
ああそうか、冬至だったからこんなにいただいたんだ、と気づく。
いつも
何歩も何歩も後から
ああそうだったんだ
と思う。
神さまの業も同じで、
その嵐の中で必死だった時には
決してわからなかったこと
思いもよらなかったことが
隠されていて、
気がついたら恵みということもあるでしょう。冬至の柚子のように。
気がつかずに終わることも多いでしょう?
人には
どうしてそうなるのか
わからないのですから。
それでも精いっぱい
日々を暮らしています。
その後、
塩柚子とタネ化粧水とポン酢になった。
あの柚子がくれた小さな時間で
ふっと立ち止まったのでした。