カタルシスに至る君
誰もが語る過去も無くなり荒んで行く。あらがうほどに増えてゆく痛みを抱えながら、あるいは抱え込ませられながら、ひたすらに進む道は険しいだけであるし、あらがえばあらがうほどに悲しみや苦しみは増して行く、と語る普遍的な生活の清潔が売る犠牲的な正義こそを怪しみひるがえし、なにかを謗ることもなく、うとましく募るだけの季節の形跡が今を踏み荒すこの「今」とはどこからの今であり、どこまでの今なのか、と欺瞞を孕んだ懶惰な正解が世界を暗鬱なものに変え、今を攻め入るだけの幼稚な仕組みがランダムな犠牲を生み出すための正義を守るための、この生活なんかを保つために、この命は磨り減るのは許せないから、孤独であろうと、孤立しようと、反発し続けるかぎりは、この命は輝く。その輝きが乱反射し、前も見えなくなる前に、次々と現れる憎しみに反して、染み入る今が無神経に経路なんかを作り出す前に、今を押し広げては、先々に現れる意味合いが不確かなものを形成しては、今を妨げるだけに至らせ、その先を不透明に変えるような必然性の傀儡になるだけの馴れ合いから解き放たれ、無縁であっても、この世界とは最後の最後にはあったかいものであり、あとがなくても、あてもなくても、あっという間に終わるだけであり、あらゆるものに寄りかかり、揚々と飛び越えるあたりに真実すらなくとも、弔われる必要もなく、この命には制限などなく、謎めく今に色濃くなる意味合いが今を見えにくくしても、その今とは瞬時に消え去るだけであり、そこには境目すらなく、再開することもなく、ささやかなしあわせなんかを飾り付ける必要もなく、守るものがあるからといって、強くなる必要もなく、ただ現れるものに無頓着で、なにかをこじつけては、強制的になにかを孕んで、懶惰に至るだけの今に関与するものが、正しいわけでもなく、ただそこに取り残されて、途端に複雑になるだけの堕落したドラマの中で仲違いする自己との別れがこじつけるものなどに、恒常的に苦しめられても尚、絶え間ない暇を弄びながら、ゆらゆらと揺らぎ、いつもどうにでもなったものばかりが、物語の中でガタガタになりながら、とめどなく現れるだけの思いは、思い出の中で嘘みたいに収まり、そこでの思いなどは、思い出すほどに、真実味を損ない、自分が思うほどに、真実とはとことんずれて行き、経緯もわからぬままに、事実とはうやむやであいまいなものであり、そこで信じていたものすら、すぐさまひるがえされ、すべては刷新され、信じていたものなどは、重要なことですらなく、信じるものなど無くなったあたりから、自らとは光り輝くもの、だ。