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【レビュー】「芝園団地に住んでいます 住民の半分が外国人になったとき何が起きるか」を読んで。


まずはじめにこのタイトルに惹かれたのは、わたしも台湾人と同棲していて、言ってみればうちも「住民の半分が外国人」だからだ。

 実際に読んでみて、私自身も芝園団地にもともと住んでいた高齢者たち日本人と共通する意識があったな、と自省する部分もあった。

第1章から第4章までを読んで、ツイッターの140字のつぶやきにも書いた通り、古来からの日本人特有の考え方・習慣・意識、つまり「民俗としての日本人」像が浮かんできた。その「民俗」性が中国人たちを、本質的な明確な理由もなく排斥することにつながっているのではないか。そう思ったが、読了した今、それはまさに別の文化を受け入れる側は変化をせずに相手側の問題だとして片付けていることになる。

昔から住んでいる日本人たちの「郷に入っては郷に従え」といった姿勢は、以前わたしも同じように考えており、台湾人と衝突した経験がある。

これからの多文化共生社会においては、受け入れる側の姿勢や意識にも気を配る必要があるとあたらめて感じた。

しかし、日々、台湾人と共生しているつもりになっていても、時折けんかになる。代表的なのが、日本人の察してほしい文化やとりあえず謝ってほしい文化だ。向こうの人は自分が悪いと思わないと、絶対に謝らない。日本人としてはけんかになってお互いに嫌な思いをしたことをまず謝るべきだ、と考えてしまい、またそれを察してほしいのでさらに悪循環だ。

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芝園団地の中国人たちと日本人、見た目は同じアジア人なだけに、文化が違う外国人だという認識が、西洋人に対するそれよりも薄いのでは、とも思った。

また、年配の日本人なら尚更のこと、外国人に対してどう接して良いかわからない上に変化に対応することが苦手な人も多いのではないか。

それに比べ、わたしたち20代なら大学などで外国人に接する機会も増えてきたし、異文化に対しても柔軟な頭で受け入れることができると思う。

日本社会において、これからますます増えるであろう外国人との「共生」は日本文化の「強制」になってはならないし、お互いに妥協も含めて歩み寄る姿勢をこちらから見せていくべきだ。

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もう一つ、書き残しておきたいのは、「同化」という単語だ。わたしの専門は台湾の日本統治時代の日本語教育であり、「同化」といえば植民地統治を連想する。

日本が台湾を統治する際、大きく分けて二つの方法があった。それは先ほどの日本との「同化」路線の政策、「内地延長主義」と、逆に台湾は台湾に合ったやり方で統治すべきだとした「特別統治主義」だ。

後藤新平らによって台湾は日本統治時代前期は「特別統治主義」、台湾を生物学的に分析し日本とは切り離して統治された。そして中後期は原敬などの「内地延長主義」。これはその後の「皇民化運動」へつながったため、結果として日本人との「同化」を促進したものなのではないかと考える。

歴史の結末は、簡単に言えば日本が戦争に負けて、台湾などの植民地統治(終戦当時は日本人との「同化」政策)は破綻した。

植民地統治から見ても、外国人との共存・共生を、力づくで自国のルールや風習に巻き込んではいけないように思う。

以上がこの本を読みながら、わたしなりに感じたことや考えたことだ。

ほかの人がどういった感想を持ったのかも気になる。


最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございました。


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