ショパン展の記憶

 先日、何ヶ月ぶりかの電車に乗り、練馬区立美術館へ足を運んだ。展覧会も美術館も、最後に行ったのは確か1月の終わりだった。引きこもりを極めすぎていたので、前日は結構緊張した。
 駅から美術館に歩いていくと、ショパン展の旗(?)が様々下がっていた。上野とかでもよく見る展覧会の旗(??)なのに、ショパンの顔がデカデカと載っていると、なんだか嬉しさと照れで参ってしまった。戦いはこれからだというのに……。
 練馬区立美術館に来るのは初めてだったため、入り口がわからず、少し右往左往した。公園を抜けて、階段を登る。多分、息をしていなかったと思う。
 チケットと音声ガイドを購入。いよいよアツいショパンタイムが幕を開ける……!

以下、暴れているのでノリで読んでほしい。推して参ろう!


第1楽章(このレポのサビです)

 「わたしたちのショパン」というテーマで、20世紀以降に描かれたショパンを中心に構成される。作品はショパン本人を主題にしたものと、ショパンの楽曲のイメージを描いたものに分けられるようだった。
 誰が描いてもショパンはショパンだなぁ。多分、ほとんどの人は本人に会っていないので、既存の肖像画や写真を参考に特徴を掴んでいくのだと思う。わかる。わかるぞ~(心の声)

 個性的な作品も多々あった。AC/ADを聴きながら描いたショパン……?(余談であるが、私の推しの一人である元フィギュアスケート選手のケヴィン・レイノルズが五輪でAC/DCの曲で滑っていた。推しと推しが思わぬところで繋がったような気がして嬉しかった。)

 どの作品も色々な感想が湧くのだが、一つ作品を絞るとしたら、ユゼフ・メンチナ=クシェシュ作《フレデリク・ショパンの最後の和音》を挙げたい。
 1910年、ショパンが生まれてちょうど100年後に描かれた油彩画である。画面のほぼ中央に描かれたショパンは、ピアノに手を伸ばしている。椅子の背もたれと体の間には、大きなクッションが挟まれて、自力で体を起こすのも苦しいのが伝わる。ピアノの上には一本用の燭台が二つ並ぶ。手前の蝋燭は溶けてしまったのか、最初からないのか火がない。奥の蝋燭には火が着いているが、風に揺れて、もうすぐ消えそうな感じである。
 窓に注目していただきたい。黒尽くめの人物が窓枠にうつ伏せのようになっているのがおわかりだろうか。この人物は窓の外に体がある。つまり、外から窓の中に身をもたれているのだ。その左手は、弧を作り、まるで鎌のように見えるではないか!?そこで思ったんですよ!この人物死神さんなんじゃないかって!それに気づいたら楽しくなってしまって、一気にこの作品がお気に入りになりました。的はずれなこと言っていたら申し訳ない……。(この死神?さんポース、尊いときによくなる)
 このショパンは、和音を弾く前なのか、弾いた後なのか少し考えた。私は、和音を鳴らし、鍵盤からゆっくりと手が離されていくように考えた。解説が見当たらなくて参った。


第2楽章


 ワルシャワがテーマで、主に風景を描いた作品が多かった。ヴィンツェンティ・カスプシツキ作《公園側から見たヴィラヌフ宮殿の眺め》は、今回ポストカードを購入した一枚でもある。前景に描かれた階段の下、トンネルのようなものがあるが、何だろうか。気になってストリートビューを確認したところ今もあるようだ。穴があると潜りたくなってしまう悪い癖が出た。

第3楽章

シューマン夫妻、メンデルスゾーン、リストといったいつものメンバーたちが版画で登場。リストは風刺画も出ていたので大サービスである。タールベルク顔がいい(恒例)。
 ショパンの肖像の中でもの一般的なものの一つである、アリ・シェフェールの《フレデリク・ショパンの肖像》とご対面。あっショパンだ!と思った次第である。楕円形のキャンパスは想像よりも大きなものであった。本作よりも大きなものがショパンの手に渡り、妹のイザベラ所有になったが、焼失してしまったようだ。私は、画面の右側、ショパンから見て左に立って、視線から逃げた。今となるともう一回会いたい気持ちである。
 シェフェールと同門の画家であるジェリコーの作品を見られたのは興奮した。同じアトリエに、ドラクロワ、ジェリコー、シェフェールが学んでいたことを今回知ることができた。

第4楽章

 マリアちゃん(マリア・ヴォジンスカ)石版画もできるのか……と感心。当方、石版画の経験がないもので。
 ショパンのデスマスクと手の像にも遭遇。小さい!かわいい!まず手を見た。指が細い。第一関節がはっきり出ていないので、余計にきれいに見えた。キュッと握ってしまいたい(握った瞬間灰になれる)。お次にお顔。掴めそうだった。びっくりした。もっと顔って大きいものだと思っていたので、一回り小さく感じた。私のほうが顔大きい気がする。つらい。別に小顔信仰はないけど謎の悔しさを覚えた。
 フォンタナ宛の荒ぶる手紙を見ることができて嬉しくなった。会場では何曲かショパンの曲が流れているのだが、Op.10-8が流れている(幻聴でないことを祈る)タイミングで楽譜を追いかけようと試みたが、目が迷子になった。この辺りの記憶があまりないのが悔しい。

第5楽章

 ショパンコンクールのポスターやメダルなどが展示されていた。1980年のメダルは後ろまで見えるように鏡が使われていたのだが、鏡に自分のニヤついた目が写って夢から覚めた。ポスターやデザインに明るくないのだが、鍵盤を使ったものが多く見られた印象だ。

まとめ(?)


 このようにして、無事にショパン展を満喫できたのである。書き進めながら日にちが経ってしまったので、後半は本当に力尽きた文章になって申し訳ない。
 ピアノの森の展示スペースでは、牛牛くんが大きくなっていたのにびっくりした。よその子の成長は早いね!

 ここまで読んでくれた、そこのあなた。おめでとう。ここで終わりです。
またいつの日か、展覧会の思い出が綴れる日まで。





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