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交遊録 フォンタナ編

 ショパンと同じくエルスネルの門下生であったユリアン・フォンタナは、ショパンを仕事面から支えた友人である。
 本稿では、ショパンと、ポーランド時代からパリに至るまで交友を持ったフォンタナとの関係に見ていきたい。以下ではまず、学生時代、次にパリでの関係、最後にフォンタナの胸中に思いを馳せたい。

1. 学生時代

 ショパンとフォンタナの関係は、同じ高等学校に入学したところから始まる。学生時代の彼らの様子は、学友やその家族たちによって残された資料からうかがい知ることが出来る。ショパンとフォンタナは、二台でピアノを演奏したり、共に英語教師のもとへ通ったり、友人らの集いに参加したりした。

 例えば、友人による回想からは謙虚なフォンタナ像を見ることができる。最初にピアノを弾くのはショパンであり、フォンタナは彼が疲れたころで交代したという。
 そんなフォンタナを、共通の友人であるマグヌシェフスキの妹は流暢で十分な腕を持った謙虚な交代手として評価している。周りの需要があったのか、自分もショパンの音を聞きたかったのか、ショパンが楽しそうに弾いていたのか、色々な想像をかき立てられるエピソードである。
 なお、他の友人の回想でもフォンタはピアノを流暢に弾くと評価されており、ショパンがポーランドを発つ前の送別会では、フォンタナがまずピアノを弾いた。

 ショパンがポーランドを出た後、フォンタナはロシアに対する11月蜂起に参加し少尉となったが、ロシアにより鎮圧されることとなった。蜂起後、フォンタナはロンドンへ向かう。その途中でパリに寄った際、ショパンと接触があったであろう。
 ロンドンでは、ショパンの楽譜を出版するなど、この時期から働きぶりの片鱗をうかがわせえている。そして、フォンタナが1837年にパリへ来ると、ショパンはこの友人に様々な頼み事をすることとなる。

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