ドイツ歌曲の話 詩人の恋 Dichterliebe #9 動画にしたい曲
私はドイツが「西ドイツ」であった最後の春にケルンに語学留学をした。私にとって初めてのドイツ。あの大聖堂の前もよく通った。中にも入ったはずだけど残念ながら覚えていない。もし自分が30年後に詩人の恋を歌うと知っていたら必死に金の革に描かれたマリア様を探したのに。もちろん終曲に出てくるクリストフも。でも覚えているのは当時大きな環境問題であった酸性雨のせいで真っ黒になった外観。
ハイネはデュッセルドルフの出身。そう知って生家を探しに行ってみたことがある。見つけた生家はクナイペ、つまり居酒屋になっており、目立たない銘板はあったものの記念館でもなんでもなかった。かなりガッカリ。
またシューマンもデュッセルドルフで音楽の仕事をしていた。
デュッセルドルフはケルンから近い。
だからハイネはケルンを詩に書いた、という距離感が実感出来て嬉しいし、シューマンも景色を思い浮かべながら作曲したことだろう。私も同じ景色を見たことがあるという喜び。
前置きが長すぎた。
二分の二拍子。
ホ短調。前曲のロ短調の下属調。
私はそれまでは全音低い調で歌っていて、ここから二曲は原調で歌う。だから曲と曲の調の関係を崩してしまうことにはなるけど、幸いにも前曲はイ短調で歌っているからこの曲とは相性がいい調。属調。
さて、バッハを思わせるピアノパート。
詩の一連めでは堂々たる姿をライン川に映し出す大聖堂を描く。フォルテ。二連目ではピアノになり音楽が柔らかくなる。それが大聖堂の中の薄暗さ、鈍く光る金色を思わせます。音楽に合わせて動画を作るとすればこれほど具体的に作ることが出来る曲もないのでは。
詩人は大聖堂の中で聖母マリアの絵姿を見つける。そしてそれが愛する彼女にそっくりだというのです。
その目、その唇、その頬は
愛する人に瓜二つ。
この部分、シューマンは
その目、その唇
その唇、その頬は
と唇という言葉を繰り返しています。そして歌に先行させてピアノパートが動くのです。聖母に向けた詩人の視線と、そこに心がついてくる一瞬のタイムラグ。すごい作曲。ここも詩人の視線で動画にしたらきっと面白い。
そして後奏でまた前奏の音楽に戻る。それはつまり詩人が大聖堂を出たということ。
そういえばマリア様は「百合」に象徴されるのでしたね。これまでの「百合」と繋がりました。