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目指す会 2409 まえばし赤城ヒルクライム ③

ついため息が漏れるような空模様の中、レーススタート。昨年、スタートから数キロはタイム測定区間外ということを知らず、開始早々イキって無駄な体力を削った苦い経験を思い出す。

ここのスタートラインはレーサーをグルーピングするための仮のもの

学習能力のある筆者は小食な女子の食べるスピードくらいゆっくりとした立ち上がりを心がけ、メンバーと歓談しながらタイム測定が始まる本当のスタートラインを目指す。

側道には地元の方々が物珍しいものを見るように応援に駆けつけている。年齢層はじいちゃん、ばあちゃんがメインでたまにちびっこを連れたママ。わざわざ傘をさしながら素人の大会を見てることを察するに、ここには他にココロオドルようなイベントがないのかもしれない。
若者が目につかないのは、まぁ朝早いからまだ寝ているのだろう。それは地方だろうが都会だろうが同じこと。

スタートから10分程度、大きなヘアピンカーブをゆっくりと左に曲がり本格的なヒルクライム&タイム測定がスタート!

早速最近エベレスティングをクリアしたチャリバカS水ががっと駆け上がった。
※エベレスティングとは累積標高がエベレストと同じ8,848mに達するまで不眠でひたすら同じ坂道の上り下りを繰り返すという、オーバードーズしてI CAN FLY!! でビルから飛び降ちゃうやつも真っ青なクレイジーチャレンジ。写真を撮り損ねたがS水のサイクルジャージはそのエベレスティングをクリアしたものにのみ送られるジャージだった。

筆者も負けじとついていこうとするも5分後にはちぎられた。エベレスティング達成の偉業は伊達じゃない。バイバイS水、君のことは忘れない…

ということで残り4名でせっせと登る。
チンドン屋って言ったら失礼にあたるな…太鼓とか笛で選手を鼓舞してくれる小粋なお祭り男女が前回は盛り上げてくれたのだが、今年は悪天候のため法被姿は変わらぬものの、チンドンの音はスピーカーで流し、鳴り物は拍手のみというという何とも締まらないスタイルでの応援だった。
善意100%の応援にも関わらず、なんかピリッとしないなぁという物言いが頭によぎった筆者は、ひょっとしたら人間的に何か欠落している部分があるのかもしれない。

4人で登りだしたといってもそれぞれに当然実力差がある。平面と違って登りでは協調的なこともしずらく、段々と散り散りになっていく。最初のターゲットはE原氏。
N本、I藤ペアが上げたペースに耐えきれずE原氏は1年戦争後期にも関わらず戦場に駆り出された旧ザクくらいいとも簡単に堕ちた。彼はここに来るまでの車中終始眠りこけていたし、スタート前に生じた彼のウ〇コタイムもクソ長かった。そんなやつに情けは無用、ちゃっちゃと切り離し我々は前のみを見てひたすら進むだけ。

水色ジャージE原氏のウ〇コタイム直後の写真

そこからしばらくは3人で進んでいたのだが、次第に筆者の表情も険しくなる。N本、I藤ペアに少し離されては立ち漕ぎで追いつき、また離されてはケイデンスを上げて踏ん張るを繰り返し奮闘するも、局所的にやってくる急こう配ゾーンでとうとうポキッと心が折れ、徐々に小さくなっていくN本、I藤ペアの背中を目を細めて眺め、心の中で2人ともがんばれよーと叫び見送った。彼らがニュータイプだったらきっと届いていただろう。

ちなみに去年の筆者は明らかに今年よりも速かった。事実N本、I藤ペアよりいいタイムでゴールしたはず。
まぁ完全に言い訳なんだけど、去年の9月から(ちょうどこの大会の前後)、当時小2の息子が地元のソフトボールチームに入り、筆者もお手伝いでコーチ的ポジションで練習に参加するようになり、土日の使い方がガラッとかわった。
速い日は朝8時から練習し、試合の日は6時半集合とかもざらにあるためロードバイクに乗る時間がかなり減ってしまったのだ。

乗った時間はうそをつかない的なことを箱根学園のキャプテンが言ってた気がするが、どうやらあれば綺麗ごとではなくて単純明快な真理なのだろう。
だから遅くなっても仕方ないよね、だって息子と一緒に体動かせるのなんてせいぜい小学生時代だけなんだからさ。むしろこの大会でただけでもえらくね??と開き直った筆者の孤独な闘いはここから始まる。(多分スタートして30分くらい)

次回に続く。

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