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インスピレーションとは何か
私たちは、自分の力で目覚めることができません。(目覚める=真実を知る)
なぜなら、自分の力で発想できることは、すべて自分の過去から想像できる範囲内でしかないからです。
その範囲内に目覚めがあるなら、すでに目覚めているはずなので、やはり自分で目覚めに辿り着くことができません。
ではどうすれば良いのか?
その答えをもたらすものが、インスピレーションになります。
インスピレーションを通して、人は目覚めに"導かれる"と言えます。
インスピレーションとは何か?
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ではその「インスピレーション」とは何か?ということになります。
インスピレーションとは、英語で「inspiration」です。
これは「in spirit」と分解することができます。
直訳で「スピリットの中」です。
スピリットとは何か。
これは「生命」または「存在」だと理解するのが良いと思います。
(霊、という言葉がありますが、世の中であまりに誤訳されすぎてしまっているのでここでは使うのを控えます)
さらに「生命とは何か?存在とは何か?」と考えてもそこで思考が止まりますね。
なぜかというと、それ自体が答えだからです。
わたしは生きています。
わたしは存在しています。
それに関して、それはあなた自身が感じていることで十分であり、証明は必要ないし、定義も必要ありません。
根っこの中の根っこ。
答えの中の答えです。
だからこれを言葉に変換したとき、思考では理解できない言葉にならざるを得ないというわけです。
話を戻します。
「in spirit」
「生命の中」
それがインスピレーション。
これに「インスパイアされる」という他の言葉も付け足すと分かりやすいかもしれません。
英語では、inspired by 〇〇。
「〇〇にインスパイアされる」という意味ですが、
これは「〇〇からin spiritされる」
つまり〇〇からインスピレーションを受ける。
〇〇から生命を吹き込まれる。
ということです。
「生命」が「吹き込まれる」こと。
それがインスピレーションだとイメージすると掴みやすいかもしれません。
目覚めていない=生命の外にいる ということ
しかしさきほど、スピリットとは生命・存在のことであり、それは私自身のことであるとも言いました。
それに疑問の余地はないと。
であれば「生命を吹き込まれる」も何も。
自分自身が生命なのだから、吹き込まれる必要はないのではないか?
ということです。
これは実はその通りです。
ある意味では、真の意識状態は常に「in spirit」の状態にあるものだからです。
しかし問題は、僕らが目覚めていない意識状態にあるということです。
「目覚めていない」
とは、真実を知らない状態のことですが、
これは「自分を生命ではない」と妄想している状態です。
いやいや、私は生きているよ。
と思うかもしれませんが、考えてみてください。
「自分は死ぬ」
と思っているところがあると思いませんか。
「生命」に本来対義語は存在しませんが、
妄想の中においてさえ「生命」は「死」の反対です。
だから「生命=死」となることはありません。
しかし、エゴ(自我)はそのように妄想しています。
生命は死の状態になり得るし、死からまた生命の状態になったりする、と。
これは不可能です。
生命は状態ではなく、存在です。
そのため生命は常に観測可能ですが、死(つまり無)は観測できません。
人生におけるすべての恐れはこの妄想からやってきます。
人から認めてもらえなくなること
お金がなくなること
身体が朽ちること
こういったものを恐れる感覚は全て「自分は生命ではないのではないか?」という確信の無さ。
つまり妄想(信念)からもたらされています。
これは「自分は生命の外」にいるという感覚をもたらします。
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僕らが日々感じている「孤独感」や「不安感」は、
「生命(神・宇宙)から私は切り離されてしまった」という信念から発生しています。
こういった意識状態において初めて「生命が吹き込まれる」という概念が成立するということです。
インスピレーションは生き生きしている
僕らは生き生きしたものが好きです。
自分自身が生き生きするのも好きだし、生き生きしているものに触れるのも好きです。
もっと言うと、生き生きしているものに触れるのが好きなのは、自分が生き生きとするからです。
これは「生命を吹き込まれている」と言えます。
インスピレーションによって生まれた作品は、「生き生きしている」と思わないでしょうか。
そしてすべての生命(生物も、無生物に見えるものも生命です)はインスピレーションに溢れているとは思いませんか。
人智を超えた発想です。
この生命感(という表現をしてみます)が好きなのは、
僕らは本能的に生命こそ自分自身の真の姿であり、生命を純粋に体験することを望んでいると知っているからです。
冒頭に話を戻します。
僕らは自分で目覚めることはできません。
なぜなら、自分の考え(インスピレーションでないもの)は、自分の過去からの模造品に過ぎず、オリジナル性(新しさ)はないからです。
僕らは成長します。
それは「愚かさ」という、「本来の自分ではないもの」が落ちていく過程です。
自分の過去を思い出すと、愚かだったと感じることばかりではないでしょうか。
その愚かさを落としてくれたのは、自分自身の力のみだとは言えません。
自分の価値観の外にあるものが「吹き込まれた」からです。
これからもあなたを導くのは「インスピレーション」でしかあり得ません。
それを理解し、自分の考え(価値観)に固執することをやめれば、
そこに生命が吹き込まれ、
最終的には、自分自身(生命)を知ることとなります。
SHO