打算からはじまる看護師人生…育ての親は患者さんと先輩看護師
こんにちは。産業保健師の小林智美です。
現在、保健師として企業で働いたり、コンサルティングの仕事をしたりしていますが、大学卒業後は大学付属病院に勤務していた期間が5年ほどありました。
今思えば、病院という世界はとても独特でした。
みなさんが普段、足を踏み入れることのないナースステーションで、一人の新米看護師が何を思い、何を得たのかお伝えしたいと思います。
職業としての「看護師」を目指して
看護職として働いていると、「なんで、看護師(保健師)になったのですか?」と聞かれることが多々あります。
聞き手の方は往々にして、「○○に感動して、私も看護師を目指したんです」という答えを期待されます。しかし私が看護師を目指した理由は、憧れからでも感動体験からでもありませんでした。
私が看護師になろうとした理由。
それはひとえに、女性でも平等に尊重され、確実に就職ができる職業につきたかったから。
私が就職したのは、すでに男女雇用機会均等法もあり、それ以前ほど男女に格差がある時代ではありませんでしたが、とはいえまだまだ女性幹部職の少ない時代でした。
だから、男性社会の中で苦虫を噛みながら働くより、職業人として評価してもらえる仕事につきたかったのです。しかも確実に就職ができる…。
そこで、「国家資格を持つ専門職になろう!」と考えたわけです。
当時の私は「○○になりたい」という夢は持っていませんでしたから、「看護大学の推薦受験」という甘い密に誘われた部分もありました。
背中を押した友人の言葉
そんな打算的な考えでの推薦入試を友人たちの多くが否定しました。
でも友人の一人が、
「あなたが看護師っていいと思うな。明るいし、元気あるから。私が病気だったら、看てほしい」
と言ってくれたのです!
ご都合主義な私は、この友人のたった一言で「私、看護師に向いてるかも!」と思い込み、本当に進学してしまったのです。
打算だけで入学して看護師になれるの?
結論から言うと「はい、なれました」。
夢を大きくふくらませて入学してきた学生は、むしろ現実とのギャップにため息をついていましたが、大学は「就職への通り道」という価値観で入学した私は、ギャップを感じることなくスムーズに大学生活をはじめることができました。
友人の言葉から、「自分は看護師に向いている」と信じ切っていたこともあり、いろいろなことを前向きにとらえ、勉強や実習にも楽しく取り組み、無事、看護師と保健師の国家試験を突破することができたのです。
ナースステーションは“大奥”ではない
TVや映画などの影響で、看護師の世界に陰湿なジメジメとしたイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、私が勤めた病院は当時開院してまだ2年目で、先輩・後輩の上下関係も強くなく、「先輩に対して反論してはいけない!」といった空気感はありませんでした。
むしろ、専門職として疑問に思ったことや、根拠ある意見を伝えることは歓迎されました。その反面、一つひとつの言動に根拠を求められ、答えられないと何一つやらせてもらえませんでしたが…。
でも、新米の看護師がすべてのことに答えられるわけはありません。
新米看護師には、3年目くらいの看護師がそれぞれ教育係として担当につきます。この教育係の看護師をプリセプター、新米看護師をプリセプティといい、プリセプターは指導をするだけではなく。相談にのってくれることもありました。
プリセプターがついた最初の頃は、先輩たちからのあらゆる質問や確認に
「なんでこんなことを答えなきゃいけないの?」
「一つの質問から次々に派生した質問をしてくるのはなんでなの??」
と正直いって疑問でしたし、腹立たしくも感じました。ときには「もしかして、私を困らせようとしているの?」と思うこともありました。
こうした印象も、周りから看護師社会=“大奥”のように見える原因かもしれませんね。
でも看護師は、人間を、命を扱う仕事。
「あやふやな知識で行動してはならない」という意味だろうと、必死で質問の嵐に対抗していました。
きっと先輩方も同じ経験をしているからこそ、自分の意見を自信もって相手に伝えられ、よりよい看護の提供につながっているのだろうと思い、私もそうなりたいと思うようになりました。
頭でっかち、一歩通行の看護を猛省
ある日事件が起きました。
担当していた患者さんを訪ねると、声を押し殺して大粒の涙で泣いていたのです。
わけを聞くと尿漏れをしてしまったとのこと。彼女の病気と手術の内容からしかたのないことで、手術前に主治医からも説明されていました。
私は病気や手術のことは当然理解していましたし、現実に尿漏れをしたことで、フィンクの危機モデル*の衝撃の段階なのだろうと考えました。
(*)フィンクの危機モデル
重大な喪失が引き金となって危機に陥った人が、それを乗り越え、受け入れていく経過と介入の考え方。
衝撃→防御的退行→承認→適応という順をたどるといわれる。
しかし、ショックで打ちひしがれる患者さんに何をどうしたらよいかわからず、茫然としてしまいました。
しばらく、かける声もなくそばに腰かけ、その後、清拭タオルとパジャマ、シーツを持って行ったことを覚えています。
自分の母親より年上の女性が涙する姿を目前にし、その状況を理解することはできてもどうすればよいかわからなかった自分に腹が立ちました。
自分なりにどうするのがよかったのか考えてみましたが、どうにもわからなかったので、先輩に聞きました。すると意外な回答をいただきました。
「そこまで考えられてるなら、患者さんが泣く姿を見て、焦る必要ないんじゃない? アセスメントはできていると思うよ。むしろ、じゃぁどうしたらいいか? そこよね。でも人それぞれだから、どうしてほしいか患者さんに聞けばよかったんじゃないかな? 私たちは何でもわかるわけじゃないんだし」
あまりにも自然なトーンで教えていただき、あっけにとられました。
私は、看護師だから自分で考え、何かしなければいけないと思っていました。そして、その方法に正解があるのだと思っていたのです。
さらに言うなら、患者さんに聞くことは恥ずかしいことだとさえ思っていたかもしれません。自己中心的で、頭でっかちな看護だったなと思います。
“看護”は奥深くステキな仕事
この出来事は、「看護とは患者さんと看護師の双方向の意思疎通のうえに成り立つもの」ということを、本当の意味で実感できたできごとでした。
それを気付かせてくれた患者さんと先輩に改めて感謝いたします。
また、先輩たちの質問攻めは単に知識の確認、安全のためだけではなく、看護を考えるうえで必要最低限の必須アイテムだと知り、看護って奥深く、やっぱり素敵な仕事だなと思いました。
打算的な考えから看護師になった私ですが、病院という大きな組織の中、とりわけナースステーションでいろいろなドラマを巻き起こしながら、患者さんや一緒に働くスタッフに育てていただきました。感謝でいっぱいです。
思うところがあり、現在はキャリアチェンジをはかって産業保健師として活動していますが、私の原点はやはりあのナースステーションです。
■ 文/小林智美(こばやし・ともみ)
産業保健師、メンタルケア心理士、アンガマネージメントコンサルタント叱り方トレーナー
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