二百と3日前の フライングなスタートで。

「こんばんは。mac"oです。」


このフレーズを毎日綴って、202日。

久しぶりに、初投稿の文章を、読み返してみました。

あのときの気持ちを、そのまま詰め込んだ 743文字 は、何でもない今日の私を作ってくれています。


私は、99歳の*おはなさん*と暮らす毎日に、ちょっと息が詰まりかけていました。



いつまで経っても、昭和な暮らしで、
いくつになっても、孫。のまんまで。


”世界から取り残されている”

そんなふうに、感じていたのかもしれません。


自分で選んだ生活だから、いつでも手放せるはずなのに、
自由になりたいっていう、気持ちと、
見届けたいっていう、想いが交差して、
悶々とした毎日が、ただ流れていくだけでした。



秋になって、*おはなさん*と同じ年だった瀬戸内寂聴さんが亡くなりました。
ユーモアがあって笑顔が素敵な寂聴さんに、理想のおばあちゃん像を重ねていただけに、とても悲しかった…のと同時に、
どんな方でも、必ず人生の終わりがやって来るってことは避けられないと、思い知らされたのでした。



その頃から、*おはなさん*も、”体調不良”の日があるようになりました。

一時的なことだ…と思ってはいるけれど、月に一度は寝込む日が続いてくると、”もしかしたら、そういうこともあるかもしれない…”なんて、不安が大きくなってきます。


そうなってから、今の暮らしには終わりが来るってことを、やっと意識するようになりました。
分かってはいたけれど、見ないようにしてきた、避けては通れない出来事は、確実に近づいて来ているのです。



だから、私は   ”note”  を始めることを決めました。


今ある暮らしを、ちゃんと受けとめて、
限られた時間を、大切に過ごすために。

本当は、*おはなさん*が 100歳 になる   ”センチュリーイヤー” 、
2022年の元日から、スタートさせるつもりでした。

だけども、このまま何事もなく、新しい年を迎えられる保証なんてないって、気付いてしまったんです。

99歳の*おはなさん*にとっては、今日があることが、奇跡のようなことなんです!


そんな感じのフライング状態で、新しい年まで残り10日を切ってから始まった ”百めざ日記” は、私の時間を変えてくれました。

*おはなさん*との出来事が、それまでと違って、なんだか面白く見えてくるようになったんです。

noteをはじめた日を境に、それまでのモヤモヤしていた感情が、徐々に薄れていくのを感じました。


*おはなさん*から、次はどんな言葉が出てくるのか、どんなハプニングが起こるのか、今では、毎日わくわくしています。

会話のやり取りするだけになっていた我が家に、また笑い声が聞こえるようになりました。


何も変わらない我が家と、指先で繫がっている世界へ、一歩踏み出して変わった景色は、今日の私を彩ってくれています。



孫にはちっともお構いなしで、お小言多めな*おはなさん*と一緒に、
もう少しだけ、笑顔の時間を、過ごしたいのです。



~ナンダカンダで、毎日がドタバタ中~ そんな*おはなさん*と孫を、応援していただけたら、嬉しいです!