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認めてもらいたいを認める。

しんどい、苦しい、痛い、辛い、悲しい、怒りが溢れる・・・。そんな時、誰にでもあります。何もなかったらおかしいです。私たちの心は常に移ろい、動いています。

ニュースを見たって、知らない方の事件だって、自分の知らないどなたかが亡くなったって苦しくなります。自分の生活が幸せな1日だとしても、知るだけでも心は辛くなるのが当たり前です。

そんな時、私たち大人は、「いやそんなふうに思っちゃダメだ」と、自分に起きた心の変化を見て見ぬフリをしたり、見ても良い方に変えたりしてしまいます。

私も、自分に怒りがあることをヨガの講師なのに!と怒りを認めない自分がいますw  怒らない自分でありたいからです。

そうありたい自分に合わせることが大人になるとできてしまうのかもしれません。

しかしヨガ哲学には「正直」や「非暴力」などの哲学があります。

正直や非暴力は当たり前かと思ってるかもしれません。しかしそれを自分にもしてるか?がヨガ哲学です。

自分に正直にいるかどうか?

自分に暴力をせず傷つけてないだろうか?

その観点からいくと、怒りが湧いている自分を見なかったことにすることは自分に対する嘘だし、それをなかったことにしたら正直な心を傷つけることになります。

嫌なことに対して怒っているんです。その内なる声に耳を傾けてあげなければ、その心は傷つきます。

心は、自分によって傷つくこともあるということです。

悲しい私を、苦しい私を、怒っている私を、辛い私を、わかって。わかってわかってわかって!と声を上げているのです。自分に向かって。

それをまず相手にわかってもらいたくなるのが人間かもしれません、しかし、まず自分がその声に嘘をついてないかどうか見てあげてはどうでしょうか。

自分が認めてあげた瞬間に消える感情がある、そして対応できる行動があります。自分は自分によって満たされたかったのです。

自分の叫びは自分に向かってるのです。

自分は誰よりも自分に認めてもらいたいのです。

生理痛の中、なんで私が家事しないといけないの?と怒りが湧きましたw
元気な人がやればいいじゃない?と思いました。怒りは家族に対してと思ってました。

でも、よく考えたら私は頼んでもいないし、痛いことも伝えてないし、そのための行動もとってないし、何より自分が痛いことが辛いということ自体認めてないことに気が付きました。

ふと横になる時間とマッサージの時間をとったら身体中が喜んでいたのがわかりました。家事を誰かがやったってきっとこの喜びは起きなかったと思います。

私が私にしたことで満たされたのでした。

体からのSOSは自分に対して起きているのであって、他人に対して起きてるのではありません。

認めて欲しい。

そんな心は常に湧き起こります。しかしそれは全部、自分に対してなんだとわかってあげるといつも満たされる自分でいられるようになって心が静かです。

心が静かだと、不思議とやる気が湧いてくる。そのやる気に出会えるとさらに満たされる、そのいい循環がいつも繰り返されますように!

ドンマイ、私!!!w

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