巣ごもりが好きだったよ
よしもとばななさんの「サーカスナイト」を実に2年かけて読み終えるうちに、今日、猛り立つように旅に出たくなってしまった。
バリに育った女性が日本でバリを思ったり帰ったりする話だ(もちろんこれだけじゃない)。
共感性を求めて小説を読むことが多い自分も「旅」には他人事で生きてきた。
わたしの人生で、ここがひっくり返るわけなかった。
家の中のものごとが特別好きで、1人では暮らせないほどびびりで。ロマンスに憧れはあっても、1人で国を出てみるなんてあんまり恐ろしいことだ。
何があったら、帰れなかったら、好きな人や生き物たちに二度と会えなかったら。
ひとりぼっちで恋しい過去を思いながら泣き暮らすことになったら、大切な人たちにも同じ様に消えない悲しみを与えてしまったら。
そういう類いの、重度のびびりなので、いつか異国を旅することは揺るがない諦めだった。
裸足で駆け回った幼き時分は家族でよくキャンプに行った。家の庭は広かったし、緑の深い公園にもよく散歩に行った。山にもたくさん登ってきた。
自然のことは好きだ。でもわたしはあなた方が本当にこわいってことをよく知っている。人類を永遠に魅了し続け、圧倒的な力で生にも死にも引っ張ってしまう。そういう絶対的で逆らえないところが怖いのだ。
街に育ち、たまに片足突っ込んでみたりして。中途半端に接してきてしまったので、自分が共有できるものが自然の中には育たなかったのだろう。
異境へ飛び出すのは、街でのわたしの生活の中にある安らぎとしての緑よりも、決死で飛び込む深海の濃紺だ。そういう勇気を持つことは、生活の温かさをかなぐり捨てることであり、そうせさせる何かは湧いてこない人生を送ってきた。幸せな自分を心から想う。
畏まった肩書きのない生活を送ってしまって、焦りの浮かぶこの頃。
活字に喜びを見出す期間が始まったので、中山可穂さんの「熱帯感傷紀行」を続けて読んでいる。旅の本なんてそう何冊も読んだことない。近頃エッセイばかり読んでいたので、物語調の文章の温度に、自分がのめり込んでいくのがわかる。
ぼんやりと毎日のタスクに追われて。
目の前のことにきいきい怒ったりするのもふと虚しくなって、最近はスイッチがぽん、と切れてしまう。
そういうときは疲れているな、と断定して、自分をお風呂に浸けてやったり映画を見せたりすると、勝手に元気になってもと通りきいきい怒り始めるので、これで自分は上手くやれていると思っていた。生活できていると思っていた。
そうではないなにか。
肩書きの無いことなど、自分が全速力で逃げているけど向き合わなくてはならない大事なことに、向き合ってみようかな、という気持ちになれた。
というのがここまでの読書感想文の一旦の結論である。
これが自分探しというやつかあ〜と、悲しい、恥ずかしい。
でも、いつかあの山をあの浜を見てみたいと、口にするだけだった諦めを、叶えてやってもいいかもしれない。それくらいできる人がかっこいいものな。その為にお金を貯めてみようと真剣に思った。今日の自分の新しさである。
2023.05.10
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