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息子が学校へ行けない日々が続き、死にたくなっていった頃の話

前回からの続きです。
大変暗い話になっていますが、途中で転機が訪れます。

親の私が母子登校に疲弊してしまう

これから学校へ行くかと思うと、とにかく気分が落ち込んでいきます。
そして前回、学校でおかしな症状が起きてしまいました。

私は地域の教育相談所で不登校の相談をしていたので、すぐに電話しました。
教育相談は心理士の先生が担当しているので、こんな時も心強い存在でした。
症状を話すと、やはり普通の状態ではないようです。

すぐに学校に電話しました。

「私の体調が良くないので、しばらく休みたい」と話すと

「 お母さんが具合が悪くなってしまっては大変なので、ゆっくり休んで無理しない程度に毎日来て下さい 」

と、お返事がありました。

なんだか内容の前半と後半で、大変な違いがある気がしますが・・・。
体調が戻り次第、毎日来てくれということなんでしょうね。
しかしその頃の私はそんなに単純ではなく、こんな心の中の状態だったのです。

母子登校を続けていくと、こんな心の状態になっていた

本によると、不登校はゆっくり休ませれば1ヵ月程度で行けるようになるらしい。
不登校解決本にはそのように書いてありましたが、息子は全く違いました。

夏休み明けにしっかり2週間も休ませ、また母子登校を始めました。

学校からは毎日来てください、と言われていましたし

「 毎日学校に行けば、きっとまた1人で行けるようになる 」

そんな風に信じていました。

人気のない時間を選んで毎日毎日学校へ向かい、だんだんと私の心は疲れていきました。
疲れるだけでなく、息子への私のまなざしも変わっていってしまいました。
ついこの間までは目に入れても痛くないと言うほど可愛かったというのに、それが学校へ行けないというだけで、全く違うものに見えてしまうのです。

家で遊ぶ息子を見て「どうしてこの子は学校へ行けないんだろう」と考えてしまいます。
他の子と違うことが、私にとっては苦痛以外の何物でもありませんでした。

学校へ行けなくなってから、ずっといろんなことを試してきました。
それなのに、全く教室へは行けない。
私と一緒でないと、学校の敷地に入ることもできない。

そうこうしているうちに、自分の中で

「 もう疲れたから、いなくなってしまいたい 」

「 この苦痛があるのはこの子のせいだ 」

そんな風に思うようになっていきました。

息子と2人になると、不安が高まり気分が沈んでいきます。
在宅の仕事を終えてやることがなくなると、すぐにまた不安にさいなまれます。
ぼんやりしていると落ち込んでいくので、日中は息子と外へ出ました。
違うものを見て、違うことで頭をいっぱいにします。
夜中はテレビを見て気分を紛らわしていました。

それでも毎日毎日死にたい死にたいと思っていて、それが日常になっていました。

「 あー、死んでしまえば楽になれるのになぁ 」

「 この子も学校へ行けないことで、将来が終わった なぁ」

「 私の育て方のせいで、この子はこんな風になってしまんたんだよなぁ 」

「 もう2人で死んでしまった方がいいのかもしれない・・・ 」

そんな恐ろしい考えが、ふとした拍子に頭に浮かぶようになっていきました。
そして夜になると、さらに不安が高まっていきます。
「 いつになったら学校行けるんだろう 」
そんなことばかりを考えてしまうのです。

ある日のこと。
夜中にテレビを観ていたら、急に激しい動悸がして、死んでしまうんじゃないかというほど心臓がバクバクとなりました。
はじめての感覚に戸惑い「どどどどど、どうなってんの!?」と、焦りました。

ホントに死ぬかも!!!!!!

汗が異常に出ます。

やっと動悸が収まり、ホッとしました。
そして、大汗をかいたらやっとすっきりしたのです。

こんな日常を送っていた挙句の、学校内での体調不良だったのです。

教育相談で学校へ行く頻度を考えてみた

話は元に戻ります。

幸いにも校内での体調不良後、偶然翌日に教育相談の予約が入っていました。
そこで心理士の先生に、毎日母子登校をしていることの負担を話しました。

心理士の先生に言われたことは

「 今の登校日数が、将来の登校日数と同じになるとは限らない 」

ということでした。
毎日行っていたとしても、週に2日行っていたとしても、結果が同じになることが十分あるということです。

よくよく考えてみたらそうですよね。
だって息子は保育園に嫌がらず毎日行っていたけど、見事に不登校になりました。
「保育園に行き渋る子は不登校になる」などの説もありますが、そうとも限らないわけです。

なんだか目から鱗でした。
こんな簡単なことも分からなくなるくらい、不安と「休んだら学校へ行けなくなる」という恐怖で視野が狭くなっていました。

短時間でも毎日行くことで学校に慣れて、復学(奇妙な表現です)できるようになる気がしていたので、毎日必死に登校を促し、アーケードゲームをやらせに行き、学校へ向かう。
学校へ行っても教室には入れず、別室で過ごす。
子どもと常に同じ空間に居て、ストレスは溜まるばかり。

これでは思考回路もおかしくなるはずです。

死にたくないことが分かったある日から

そんなある日、いつも通り息子と2人で道を歩いていると車がものすごいスピードで向かってきました。
その時私は、とっさに避けました。
そして「 あぁ私は死にたくないんだなぁ 」と気が付いたのです。

私は生きたいんだ。

じゃあ、どんなふうに生きたいんだろう。

今度はそんなことを考えるようになりました。
息子がどんな風になったら、私は幸せなんだろう。

学校の中の息子は、決して楽しそうではありませんでした。
別室で遊んでいた息子を迎えに行ったら、眉毛がハの字になり口をすぼめて、困った表情で私の方へ振り向いたことがありました。
その時に私は、とてつもなく悲しい気持ちになってしまった。
この子はこの別室で、時間を潰すのに困っているのではないか。


そして私は、どんな風に親子で生きていきたいのかを真剣に考えるようになったのです。


最後までお読みくださってありがとうございました♪
続きも続々書いていきますので、良かったらまた来てください(^_-)-☆

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