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最近の意識ごと 短中編集


純度の高さというもの


じぶんのそとに放たれる

その時点で、純度は落ちているということ


日々、その事実とともにありたい


最近は日々、どう過ごしているの?


という質問

答えにくいなあと感じている


意識して、じぶんのペースで、現してみる


これまで午前中をワークタイムとして、

お昼時間以降をフリータイムにするよう努めてきた


ぼーっとするじぶんの至福の時間に

時間を気にしたくなかったから


先日、ふと違う考えが浮かんできて、

まずなによりも、わたしを充たす時間を真っ先に過ごしたい

そう思いました


なので、午前中からお昼すぎまでをフリータイムにする

そしてお昼下がりから、夕方の街のチャイムが鳴るころまでを

ワークタイムとする


夕方からはじぶんのためにご飯を作り、ゆっくり湯船につかり、

からだに触れるなど、また、わたしを充たす時間に還る


そうすると、まずわたしを満たしてから始めるので、

そうでない予定をはやく終わらせたい、という気持ちが薄くなりました


そして、わたしを満たしたうえ、この予定は気が乗らないなと感じるとき

それはそもそも、わたしに招かれざる予定なのだと思うことにしました


日々としては、そのような感じ


Co-livingや、至福のくらしの探究


オキシトシン的な至福


いまのCo-livingのフィールドは、佐賀県嬉野市

嬉野という土地は、癒やしの土地なのだそうで


この土地に招かれてからというものの、

気付いたらすやすや眠り落ちている

午前中でも、午後でも、夕方でも、夜でも

Earth motherの母性に抱かれて、自然の子守唄を聞いているかのよう


嬉野では、奥行きのある田園のくらしと山並みが見える

わたしは奥行きに視野の広さを感じて嬉しくなるし、

空が広く見えることも好きなのだ


住まいは二階建ての古民家で、

家のところどころに、わたしを満たすスペースが散りばめられている


書斎スペースで、著者との、わたしとあなただけの対話を繰り広げたり、

秘密基地のような小上がりではハンドパンを無心で鳴らしたり、

家のいたるところに散りばめられた音を鳴らして、

茶室では瞑想をしながらCacaoを飲んで至福に満ちる


これを、オキシトシン的な至福と、じぶんのなかで称した




また、嬉野での暮らしでは、食を通じたChill timeにも恵まれた


朝はテラスで山並み、田園風景を眺めながら朝食をいただく

そして、お茶を嗜む

お昼も同様の過ごし方


さらに、サプライズだったのは、おやつの時間があること

15時頃に「ストさんおやつにしましょう〜」とお声がけされる


そうか、おやつというbreak timeがあっていいのか、とちょっと驚いた


そのくらい、わたしを満たすタイミングがあっていいじゃないかと

採用したい気付きがあった


なにより、おやつタイムはとにかく至福だ

おやつは美味しい、チャイミルクも美味しい

わたしを甘やかす時間だった


よし、決めた


自宅に戻ったら、至福のおやつ時間が過ごせるように

ロッキングチェアと小さなテーブルを探すんだ

国府津付近には、いくつも古道具を置いている場所がある


ケアとしての食事の立ち現れ


これは、これから深めていく

まずは切れ味の良い包丁、心が踊る鍋など、

かたちから入ろう


視覚優位なのだから

それを後押しにして


Co-livingとは、関わり合い


関わり合いが必ず発生する


わたしがそこにいないことには、できない

じぶんのサイズを小さくしておくことも、できない


新しい章の始まりを感じている


長期的な関係は、1000回死んで生まれ変わる。相手との付き合いの長さではなく、相手(そして自分自身)の新しいバージョンが生まれることをどれだけ喜んで受け入れることができるかが重要なのだ

ベックス・キング


私が味わいたい感情はオキシトシン的なのか、
それとも、ドーパミン的なのか


魂が人間として降り立ってきたとき

何を体験したくてやってきたのかといえば、そのひとつが感情体験だと思う


魂はワンネス感覚で、何の概念もないから

感情を体験するために、あえて縛りプレイのゲームで遊んでいるようなもの


わたしは、自分が味わいたい感情はこんな感じかなと元々書き出していた

  • 面白い

  • 安心

  • 特別扱い、格別、唯一の

  • ハッピーサプライズ、粋

  • ときめき

  • 祝福、歓喜、しあわせ、よろこび

  • 至福

  • 未知、探検、体験

  • 雄大さ、余白、ひろがり、拡張

  • 変化変容


それから、感情体験には

ドーパミン的体験とオキシトシン的体験があると、ふと感じた


私のイメージでは、こんな感じ


ドーパミン的感情体験

  • ハレの体験

  • 派手、目立つ、分かりやすい

  • エキサイティング、興奮

  • 短期的に感情を得やすいが、持続しづらい

  • ときに(しばしば)脳とこころがその中毒になる


オキシトシン的感情体験

  • ケの体験

  • 地味、当たり前になりやすく気付きづらい

  • 安心、くつろぎ、おだやか

  • コツコツ持続させるもので、中長期的なもの

  • からだ(特に筋肉)がゆるみ、ふわふわする


このように観察したとき、わたしはそれぞれの感情を、

どんな調合、ブレンドで味わっていきたいのだろうと、問いが湧いた


これはどちらかに振り切るものではないかな、とわたしは感じる

振り切ること自体がドーパミン的体験だなあとも気づく




あらためて振り分けてみると、暫定こんな感じかなあ

みゆきの味わいたい感情体験


フレームで整理してみると、オキシトシンをより感じていたいことがわかる

とすると、体を緊張させて進んでいく未知の体験は、極稀で良いのだ


さいきんは、ドーパミン的感情世界が大きかったけれど

いまのわたしは be relax、まだまだエネルギーチャージしていて良いのだ


なーんだ

そうやってまた安心する


午前中にこうして、わたしを満たす時間として日常を意識した


また安心して、オキシトシンに満たされる

よしよし


この配分も、日々うつろうことを許容して、過ごしてみよう



Inspired by 



わたしはだーれだ




October 23, 2024. in Ureshino city, Saga.

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