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関わってくれた皆さまへ

私の圧倒的な自己満足と、自己顕示欲と、そして私という人間をわかってほしいという愛に飢えた意地汚い欲望たちを、私を死に近づける遺書のように書きました。


何となく思い当たる節がある人もいるかと思いますが、わたしには、わたしにも、精神的な弱さがあります。

高校生のときから、ときどき学校に行けなくなりました。最初は行きたくなかったから行けなかったけれど、今では行きたくてもボロボロ涙が止まらなくて行けないことの方が多いです。

学ぶことは大好きだし、友達も大好きだし、お喋りも大好きだし、先生も大好きで、サークルも大好きで、みんな大好きなのに、なぜか泣いてしまいます。大学に行くために電車に乗ろうとすると喉がつっかえたように苦しくなって涙が出てしまいます。母に車で送ってもらうときには、高速に乗ろうとすると涙が止まらなくなります。

それでも単位を落としたら4年で卒業できないから、車を前に進めてもらいました。

ここ数年は「すみません、休みます」と言ってきた人生だったように思います。その度に自分の弱さを責めて、また泣くのです。何度みんなに迷惑をかけてきたことでしょう。仮病と病気の境目がわからなくて、頑張れない怠惰な自分を責めるべきか、治療のために自分を責めないで私を大事にしてあげるべきか、わからずまた泣きました。

意見がはっきり言えて、ユーモアを忘れず、ポジティブで、よく笑って、芯があって、自信があって、優しくて、美しい、そういう人間になりたくて、アイデンティティを構築してきたつもりが、私はアイデンティティを構築していたのではなく理想化していたのです。

上記に当てはまる努力をしていた私だけを見ていた人がたくさんいたら、私の理想化は悲しくも成功していたということでしょう。私は自分の最も弱い部分を誰にも見せられないのです。

誰の前でも態度が変わらないことを美徳として、そんなことを続けていたら、いつのまにか私の心は疲れていたようです。でも、戻り方も諦め方もわからなくなってしまいました。

将来の話や、哲学の話をしているとき、ネガティブな自分が出てきて、みんなをどうにか理論で囲んで論破しようと暴力的になって、ごめんなさい。アカデミアの怖さを自分も体感しているはずなのに、利用していたのです。そんな自分が、とても嫌です。

臨床心理士さんと話してから授業に行くことが数回ありましたが、ものの30分でしゃくれるほど泣いて、目を真っ赤に腫らして授業に行きました。どう見てもおかしいのに、詳しく言及しないでいてくれてありがとう。動揺させてしまってごめんなさい。

私は口調が荒いところがあって、いじりもときどき酷くて、大事な人を傷つけてきました。誰かを傷つけると、ときどき相手から強烈な敵意を感じます。私は過去にその経験が3度あって、今でも鮮明に思い出せるほど、怖くて苦しくてトラウマのような思い出です。私が加害者のはずなのに、急に被害者ヅラした自分が出てきて、混乱して、また責めて、また、泣きました。

昔から、問題の原因は自分にあると考える傾向がありました。私があのときこうしてれば、私はもっとこうできた、と自分に原因を求めて納得するような考え方です。自分に厳しくて、周りにも厳しくて、何度も傷つけて、本当にごめんなさい。

こんな風に被害者ヅラしたかったわけじゃないのに、どうしてこうやって同情を買うような文章になってしまうのでしょう。自分が1番可愛くて、許してほしいのです。匿名に守られながら、こんな私をまだ無視しないでほしいのです。無視とは、死のことらしいので。

いつしか希死念慮という言葉に辿り着いたとき、これだ、と思いました。不思議なことかもしれませんが、私にとって死というものは恐怖ではなく温かみなのです。1番楽で頼もしい選択肢なのです。しかし同時に、最も悲しい選択肢なのです。そんなジレンマに挟まれながら、どうにか生きているつもりです。

自分のネガティブな気持ちや思考が周りに波及するのがいやで、ずっと言えずにいます。私のマイナスを誰かに与えて自分がその分楽になるなんて、とてもエゴ的です。それが周りの大切な人々を信じることだなんて、信じられません。ポジティブな言葉を発そうとしていたら、ポジティブに塗り固められて内側のネガティブは行き場をなくしてしまったようです。


自意識と後悔のかたまりのようなわたしの、苦しく薄汚い吐露を、誰かやさしく受け止めてくれる?


こんなわたしを支えてくれた絵画、音楽、エンタメ、創作、本当にありがとう。

こんなわたしを愛してくれた母、親戚、親友、友達、元恋人、元友達、知り合いのみんな、ありがとう。

わたしが死んだとき、この文章がみんなに届くことを、訳もわからず祈りながら、供養されたいと思っています。


大丈夫、まだもう少し、生きそうだよ。



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