「メッツゲライササキ」のパテ部門を担う、シャルキュティエ 福田耕平
田園調布にあるシャルキュトリ専門店「メッツゲライササキ」。今回はここで「シャルキュティエ」を務める福田耕平がフレンチの料理人から現在の道を選ぶまでを紹介します。
「期待に応えるため」料理の腕を上げてきた。
「パテ・ド・カンパーニュ」や「鶏白レバーのパテ」など、フランス流シャルキュトリを担当する福田。世界大会で最高の評価を受けた「鴨とフォアグラのパテ・クルート」は、店頭でもスペシャリテとして販売しています。そのおいしさの理由を探るには、福田の料理人歴を振り返ってみるのがいいかもしれません。
「僕が料理人を志すきっかけとなったのは、幼少期に見たテレビドラマ『味いちもんめ』。青森の田舎で暮らしていた僕は、大人になったら都会に出て、あんなふうに朝から働くんだって漠然と思っていました(笑)。中学の頃には『高校に進学せずフランスで修業したい』と親に相談したこともあります。高校卒業後、期待を抱いて上京し、料理の専門学校に入学。すると、東京には自分と同じ志を持った人がこんなにたくさんいることに愕然として、挫折してしまったんです。『みんなすごいなぁ、俺って普通だな』と思って、料理熱が一気に冷めてしまいました」
卒業後はフランス留学もせず、日本で地道に働くことに。料理の現場で働き始め、2年程経った頃、『何かを変えたい』と、初めての海外に出かけることに。一か国目はイタリアへ、そして翌年にはフランスへ。本場の空気を感じるほど、沸々とモチベーションが上がっていったそう。
「現状を変えたかったんだと思います。日本を出るのが初めてだったので『外国って本当にあるんだ!』という感じでした。その頃はインターネットも充実していませんでしたから。空気の匂いの違いなど、さまざまなことに気づいて、帰国するとなんだか前とは気分が変わっていたんです。不思議と仕事に身が入るようになっていました。その辺りからですね、コンクールに挑戦するようになったのは。
同僚はたくさんいましたが、みんながコンクールに出るわけではありません。その時の会社の代表の方が僕を見込んで『やってみる?』と声をかけてくれたんです。日本ではメジャーな大会が4つほどあり、そのうちの『メートル・キュイジニエ・ド・フランス “ジャン・シリンジャー杯”』は初出場の2015年に準優勝しました」
世界一のパテクルートが完成するまで。
代表が喜ぶから、期待に応えたいからとコンクールに出続けたという福田ですが、そのための努力は並々ならぬものでした。2021年に優勝した「パテクルート世界選手権」に向けては、特に試行錯誤の連続だったといいます。
「パテクルートはパテをパイ生地で包み、隙間にコンソメを充填した料理で、とても手が込んだもの。コンソメを引くところから始めると、完成までに1週間ほどかかります。本場のトレトゥール(惣菜店)では、ファルス(中に詰める肉)を仕上げるシャルキュティエ、パイ生地を作るパティシエ、コンソメを作るキュイジニエ、と完全な分業制。フランス料理のいろいろな要素が詰まっているんです。
『パテクルート世界選手権』はそれをたった一人で作るという大会なのです。今でこそ料理業界には浸透してきていますが、僕がコンクールを受け始めた頃は作っている人が少なく、教科書にできる本もありませんでした。だから当時はYouTubeを見て作るとか、大会に出ているほかの人の作り方を見て学ぶのが最大限の努力。『パテクルート世界選手権』は、事前に作ったものを持ち寄り、審査員に食べていただく場なので、大会当日は作り終えたパテを切るだけの作業で、みんなプレッシャーもなくリラックスしているから色々喋ってくれるんです(笑)」そうして完成させたレシピで、2019年にはアジア大会で優勝。ですが、その後に大変な苦労がありました。
「本来はアジア大会のすぐ後に世界大会が開かれるのですが、コロナ禍で2年間延期に。その間にいろんな人からいろんな助言を受けるうちに迷走してしまって。一緒に日本代表になったアジア大会2位の方と壮行会で披露し合ったら、自分のパテクルートがあまりにおいしくなくて青ざめました。これでは勝てない、と、大会2週間前にして調整が始まりました。時間的にも、作れるのはあと4回。本当にギリギリで、切羽詰まっていました。
本番ではビジュアル用、試食用と合わせて4本提出するのですが、直前までレシピを決めきれず、4本とも違うレシピで作りました。審査員を目の前に、最終的に一番おいしいと思った、炙った鴨の皮で香りと食感を足したものを試食審査用にすることに。世界大会でこんな試作みたいなことをするとは思っていませんでしたね(笑)」
“強運”に助けられ、優勝の座に。
フランスで行われる「パテクルート世界選手権」は、ヨーロッパの出場者なら、普段自分が働いている厨房で作ったものを持ち込むことが可能。ですが、流石に日本からは、持ち込むことはできません。
「そのハンデをクリアするには、あらゆる可能性を想定して備えることが必要です。使える肉も、オーブンも、水も、いつもとは違いますから。徹底的に準備した人が優勝できるんですね。それから、現地で借りられる厨房も探さなければなりません。最終的には、会場となったリヨンから近いヴィエンヌにあるオーベルジュにお世話になることに。なんと、大会期間と全く同じスケジュールで厨房の人たちがヴァカンスに行くことになっていて、キッチンを自由に使うことができたんですよ。営業があったら肩身狭い思いで作らなきゃいけなかったのですが、運が良かったですね」
福田が「運が良かった」と話す出来事はこれだけはありません。周りをサポートしてくれた人との出会いも、ひとえに福田の人柄の賜物なのでしょう。
「僕はフランス語ができません。アシスタントについてくれた『メッツゲライササキ』の前任シェフは語学堪能で、本来のアシスタント業以上のことを助けてくれました。複雑なルールの理解も、渡航のためのワクチン証明も、彼女がいなければ潜り抜けられませんでしたね。利用した航空会社には前の会社の社長の知り合いがいて、手続きなどさまざまなことを手伝ってもらいました。コロナ禍だったので、職員でも混乱するほど難しかったので、本当に良かったです。本当についてますよね」
シャルキュティエとして、よりプロフェッショナルな世界へ。
世界大会を経て「自分の味」を確立させた福田は、今、フランス料理全般を担う「シェフ」という肩書きから「シャルキュティエ」と名乗るようになりました。
「コンソメを引くのは料理人として得意分野ですが、ファルスに関しては深掘りするくらいの知識があるかと言えばそうではありません。肉が何度になればどう変質するのかとか、タンパク質がどう変化するかとか、シャルキュティエとしてずっと作っている人しかわからないんですね。腕のあるシェフだから作れるわけではないんです。シャルキュトリはそれだけ突き詰めがいがあります」
今後は本場フランスでの修業も視野に入れて動き出しています。「メッツゲライササキ」のさらなる飛躍にぜひご期待ください。