同じ空の下でも結局離れ離れだし
「どれだけ長電話したって、心は一つになんてならないな」
汚い字でびっしり埋められた日記帳はその一言を最後に途絶えていた。
何気なく続いていた習慣が、こんなに突然終わることってあるんだ。日記を書いたって誰に見せる訳でもなければ自分で見返す訳でもないのに、無駄に紙を消耗してしまうのが貧乏性には耐え難かったのだろうか。濡れた指で石に書くような日記だったらもっと続いていたのかもしれない。それなら、いくら日記を書いても書いた先からどんどん消えていってしまって、誰にも言えない秘密だって跡形もなくなるから。日記を残すってことは、自分が死んじゃったあとに、ありのまま無防備な自分が晒される可能性を残すってことだから、怖い。
東京に来てからずっとぼんやりしている。大学から家に帰ろうとしていたのに気がついたらカラオケにいて、いつか好きだった歌を歌っていた。この歌にハマってた時期さえ覚えてないから、その歌詞に誰を重ねて聴いていたのか思い出せない。誰がいたのか分からないけど、絶対誰かがそこにいた。サウナの椅子に残された、誰かのお尻の跡を眺めていた幼少期を思い出した。椅子に残された痕跡も、熱気で乾いてすぐに消えた。
大量消費社会の中で、これまで僕に関わってくれた恋人たちはみんな同一人物だったんじゃないかと思うことがある。むかしむかしお見合いで相手を決めてた頃のように一家みんなで結婚相手を選ぶ大恋愛の時代から、やがて自由恋愛の波がやってきて恋愛の規模が小さくなっていって、今の恋愛はもはやマッチングアプリで取っ替え引っ替え相手を選んで、その日のコーデを決める程度の意味しか持たなくなったんじゃ無いかって、僕が恋人と出会ったとき、僕が僕である必要も、恋人が恋人である必要もなかったんじゃ無いかって、考えてしまう。
なんだかまた怖くなって、プレイリストに入ってた雑多な曲を垂れ流して、好きだった人のことを考えてた。
誰よりも頭いいところが好きだった
哲学の勉強してるところが好きだった
手帳を見せてくれるところが好きだった
天体の話をしてくれるところが好きだった
インストばっか聴いてるところが好きだった
撮った写真を見せてくれるところが好きだった
何言ってるか全然分からないところが好きだった
適当な答えで解答欄を埋めないところが好きだった
同じ墓に骨を埋めて欲しいと思った
これだれ、誰の話なんだ?やっぱりみんな同じなんですか?
頭ぐわんぐわんして脳ミソおかしくなって、寝たら全部わすれました