「幕末なう」のはなし
徳川幕府が倒れ当主たちが地に放たれた。
もちろん荒野に放たれることはなかったと思うけど不安でいっぱいだったと想像ができる。
何故なら何万石の当主だった人もいるから。
「おれ、何万石の当主だったんだ」
という話を聞いて、今の人たちはどう感じるだろう?
「まじっすか、それやばいっすね。取り敢えずその話はいいから早くレジしてくれる?」
とアルバイト先では言われてしまうだろう。
現代で言うとコロナの影響で倒産し、何億の借金を背負うというのと何が違うのだろうか。
何億の借金を背負っても資本主義経済が破錠したら関係あるのだろうか?
それとも、ないのだろうか?
僕は「ない」と言う方に賭けてしまうタイプの人間だ。
何が言いたいのか。
今、この経済圏がパラダイムシフトする中ではわからないことだけれど今の価値観は次代の価値観からするとなんでもないことかもしれない。なんだということ。
それがパラダイムシフトだと知ることが大切だと思う。
こう言う話をすると「うんうん、そうだよね。わかるんだわー」っていう人に限って提案や発想が資本主義経済の骨格のもとに成り立っていたりする。
いや、そこから変わってしまっているからということなんだけれども。
これは批判ではなくて物凄く難しいバランスなんだと思う。
同時進行で2つの価値観を走らせながらもうひとつの「あること」を導き出さねばならないから。だと感じている。
黒船とコロナにどんな違いがあるのか?
僕らは当たり前を覆された。
経済的構造を覆された。
安全を脅かされた。
そして、より自由になった(のかも知れない)深い意味で。
幕末を駆け抜けた人たちはどんなだったか。
僕は坂本龍馬の現代評価を想起する。
そして洪庵の人生を思い出す。
最後に吉田松陰の成果を思い起こす。
ここに自ずと答えがある気がしています。
このnoteは部門長とオンライン飲み会で書きました。
発想とは人との恣意的対話で生まれてきますね。
そんな事をワークショップにした動画を公開しています。
宜しければ是非。
https://youtu.be/WKtM5SBNFGw