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「心理的安全性」の実装になくてはならないもう一つの装置のはなし

笑点を見ていてふと「理想的な事業承継ってこのスタイルなのかな」と思ったり「理想的な評価って焦点の座布団なのかも」と思った。

心理的安全性ってわかっちゃいるけどわからない

Googleを傘下に持つアルファベットによる「成果を上げるチームの特性」として心理的安全性が重要だとデータが示したことは多くの人が知ってるトピックスだろう。

しかし、この「心理的安全性」とはどういうものかというのを深掘りし実践した方は多くないかもしれない。
もしかすると、実践してみて「心理的安全性」に対して反対意見を持つ方もいらっしゃられるかもしれない。
色々な企業さんとお話をしている中で「心理的安全性」を組織に入れようと自分なりに実践した結果「なんでもあり」のカオスになってしまったという企業さんもいらっしゃった。

つまり「心理的安全性」というのはイメージだけでは効果を出さないということかもしれない。
要するにある一定のガイドラインが必要だということだ。

業務遂行能力の卓越性

色々な書物も出ているので、そちらを参考にどのようにしたら心理的安全性が担保されるチームが創れるのか深掘りすることをおすすめしたい。
しかし、多くの書物を見てみても記述されていない大きなポイントがあることに気がついたので今日はそのことについて書いてみようと思う。

結論から言うと「業務遂行能力の卓越性」だ。
様々なチームや組織がある場合に業務上または活動上必要な「業務」と言うのがある。
一番単純な業務の例は掃除、整理整頓、挨拶が該当する。
その上でより複雑な業務(接客や商談、資料作りやリサーチ、出荷作業や伝票処理、営業活動に経営数値の立案や分析および予実管理など)がある。
この一連の業務活動が「他の企業と比べて優れている」という状態を必ず作らなければ「心理的安全性」が組織に本当の意味で実装されることはない。
個人の見解だから異論は認めます(笑)。

この地域で一番になる

「他の企業と比べて優れている」というのは一見高い水準のように聞こえるが、実はそうでもない。
まずは掃除、整理整頓、挨拶など一番単純な業務から始めればいい。
(そして一番単純な業務でできなければ複雑な業務で一番は取れない)
最初の目標は「この町で」「このビルの中で」「入居しているテナントの中で」「半径5km以内の企業の中で」一番「ここまで考えてやってるか」という組織であればいいし、それを全員で考え実行することの繰り返しをする。

高い基準の業務遂行。上手く機能しなければそれを刻む。

以前、数年間の間「村の農作業」を通じ五日間でチームビルディングをするプログラムを作って回していた。
その時に「相手の良い所も伝えることができ、尚且つ相手の課題(こうなったらよりチームに貢献できる)も伝えられる」という指標があった。
この指標が予測より下回っている場合「午前中、ここからここまでの草刈りを終える」という目標ではなく、「1時間で(2時間かかる面積を)草刈りを終える」というサイズ感にして1時間毎にゴールを目指し、振り返り、またゴールを目指すというのを繰り返すようにした。
すると相手の良いところを伝えつつも、チームとして達成するために相手にどうして欲しいのかを赤裸々に伝えるようになる。(伝えられるようになる)
単純にこれを一日実行するだけで、夜の振り返りの内容は見違えるようになる。
つまり成果を出すチームにおける「心理的安全性」というのは「安心」「安全」というイメージが先行しがちだけど、実はギリギリの業務遂行を共にする仲間の存在が同じ目標に向かって全力を出しつつ、その上で成り立つものだと感じている。
これは言い換えると「ギリギリの業務遂行」でも良いだろうし、そんなアッチアチの熱量でなくとも「どこよりも卓越したレベルで業務遂行をしている」という自負でも担保されると感じている。

実装する上での前提

この業務遂行能力の卓越性はマネジメントする側の卓越性が求められる。
そしてそれは一度企業風土になってしまえばスムーズに進む。(勿論日々更新する努力は変わらない)
逆にいうと上級層がここに疎いと様々な「良い施策」も根腐れをする。
多くの企業さんと接する機会が多く、表層上に出てくる課題を解決しても別のフェーズで課題が出てくる場合はこの業務遂行能力の卓越性がない、もしくは部署や個人によってバラバラ、言うだけでやっていないというケースが多い。
ここでの注意点は「完璧にできなくてもいい」ということだ。
重要なのは「そこを全力で目指す姿勢がある」という点にある。
この完璧ではなく、全力で目指す姿勢においてどうしても生じる個人の能力の差は多様性という新たな視点のドアを開けてくれる。

我々以外の第三者の評価の視点

笑点の評価基準はどうなっているのかに考えを巡らせてみた。
彼らは「笑い」という一点において全てを捧げている。
いわば座布団をもらう(高評価)にしても、座布団を持っていかれる(ダメ出し)にしても総合して「笑い」という基準の下にある。
組織の評価でこの「笑い」に変わるものはなんだろう。
つまり、高評価でもダメ出しをくらっても全てが「その流れの一因」として昇華されるものだ。
上記に書いた「業務の卓越性」はもしかすると笑点の「笑い」に通じるものかもしれない。
ダメ出しをくらっても、それは自分のチームの業務遂行の卓越性を向上させるものだと思えるのであれば。だ。
そして、その評価を下すのは当事者だけではなく笑点でいえば「お客さん」の視点がある。
企業においても「お客さん」「お取引先さん」視点でダメ出しされる様がどのように映るかが大きなヒントになる。

最近はこの辺の相談も受けさせていただいていますので興味がある方は是非メッセージをいただけたらと思います。(露骨な営業)
個人的には「三遊亭 小遊三」が大好きです。

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