"METRONOME®︎"の作り方。
少し落ち着いたので、これを書こうと思う。
わかりやすいように、よく見るブログのように長いが一記事で作成する。
そもそもなぜ自分のことを、この”note"に書こうかと思ったのかと言うと、昔書いてたとあるサイトの、ワードプレスのブログ記事の書き方に似ていたのである。ただそれだけの理由だ。
2年前に何もかもに、疲れていた時に始まった”三十路ひとり旅シリーズ”。あの時から状況はやはり変わるもので。
とりあえず有料にはしないしするつもりもないけど、この記事は自分ながら面白いし、クリエイトして行く人たちにも参考になる記事だと思います。
もしいいなと思うのであればいいね!ボタンか、サポートとか言うやつでいくばくかで構いません、寄付してください。
のちにアパレル等のハウスブランドの、作成ロジックとかを有料で書こうかな。
では。
"METRONOME®︎"の作り方
目次
1.METRONOME®︎を作ったわけ。まで
2.作り出し〜ロンドンで発表、大ウケして自信を得る。まで
3.惨敗のミラノの悲劇。まで
4.NYCでの逆襲、そしてまた自信を戻す。まで
5.そしてまた、事故。まで
6.入院、capsule NY〜退院。。。まで
7.意地のパリ、そしてまた調子に乗り出す。まで
8.意外だったIOFT。まで
9.総括
1.METRONOME®︎を作ったわけ。まで
簡単に言うと、「売るもの、事がないから、自分を売るしかない」状況だったからである。
簡単にまずはサイトで、事の発端を見て欲しい。まんまこのままであるが、いかんせんさすがに補足する。
約3年前の事故により、手を怪我する。そこから長きに渡り、僕とA弁護士先生vsタクシー共済との戦い(これはまだ現時点で終了していないので、終了したら書く。早い話がタクシーと事故はするな!と言うお話)により、働くにも働けない状況に陥った。
幸い社会保険と、自分の保険からお金が昨年10月まで出た。その時まで、正味休業状態で、種まきの為にちょくちょく海外に行ってはいたものの、収入はほぼない状況であった。
昨年10月末、自分側からの最後の収入が終わった時に、「何かしなきゃ行けねえな」となった。
しかしアパレルをやるには、資金が足りない。いや、規模感的に縮小すればいいのかもしれないが、そこから最短でやるには2017A/Wとなる。A/Wまで自分が資金も精神も持つ自信はなかった。
となると、自分がやるにはやはり「メガネ」で、「企画」ではなく、「デザイナー」として立つしかない。
あとはそのaboutにも書いてある通り、工場背景的なものも大きかった。
かなり端折るがこんな感じである。
ただ、おそらく人生で最後に自分の思いを詰めたブランドになることを腹に括り、スタートした。
2.作り出し〜ロンドンで発表、大ウケして自信を得る。まで
いかんせん、それまで自分で作成できたサンプルが作れない為、いわゆる”開発費”等がかなりかかる。
どうしようか悩んだ。
しかしコレクションをやる以上、最初は30型くらいはやらないと見栄えがしないのも承知している。
なのでどうしたかと言うと、今まで作成したものを修正し、新規半分、既存半分にした。
そしてその作品群のコンセプトタイトルを"TURN!TURN!TURN!"と名付け、19型が揃った。この時のこれコレクションからは、のちに爆発的ヒットを飛ばす「#12 Distortion Melancholia」、「#14 Wistin a sober」が生まれた。
自分に言い聞かせた。
「これは原点回帰だと」。
そして共通の友人として、Yを友人に紹介された際、ロンドン在住のYは、
「やるのならロンドンでやって、日本に逆輸入でしたいよね〜」と飲みの席で言った。
これが大きかった。
Yは多分軽い気持ちで言ったのかもしれないが、その時僕の中ではもう「ロンドンからローンチだな」と決めて、次の日JETROに問い合わせ、ロンドンにメガネの展示会がないかを問い合わせた。
すると「100%Optical」という展示会を紹介された。次の日、担当のCelsaからメールが入り、デザイナーズに向いてる18平米のSTUDIOと言うブースが空いている。と返事。
即答で「出展します」と答え、クレジットカードで展示会費用£4000弱を支払い、スタッフは昔からの通訳ERIKO、うちの会社にいて、独立し、ロンドンに3年間住んでいたSHU、そして自分の3人で向かうことを決めた。
そしてサンプルも出来上がり、いつも頼むカメラマンNanamiに協力してもらい撮影開始。
カタログを製版する金、時間もなく、うちのプリンターで限界までの部数を印刷し、表紙は透明のセロファン、下にトレーシングペーパーを挟み。ホッチキスで止めただけの簡易的なカタログと言うよりはほぼスワッチを作成。
ただ金がないのにもかかわらず作ったこのスワッチが「How CooooL!」といわれ調子に乗り、VISION NYまでこれで行くこととなる。
そしたらここでメールが来た。作品が「ベスト・オブ・ブリティッシュにノミネートされました。ランウェイを行いたければさらに追加で支払ってくれ」とのこと。
友人に融資をお願いし振り込む。
(ノミネート、受賞した#10、Metalize)
そして2017年2月2日、ロンドンに飛び立った。
ついた初日、開催前日に造作に不備があった為、私とSHUは急ぎロンドンのホームセンターB&Q、雑貨屋フライングタイガーに駆け込み、会場に戻りなんとか間に合った。
そして始まった100%Optical。
我がブースの来場はひっきりなしに来た。
「クレイジーなデザインだぜ!アジア人のくせにやるな!」
と言う言葉が飛び交う中、リテーラー、学生、アパレルショップからも大きな賞賛を頂き、名刺を交換した。この時、イギリス人は名刺をトランプのように投げてくると言う大きな文化の違いを知る。
そして三日目、会場に1時間遅刻した先にあったのは、25平米以下で一番いけてるブースのデザインアワードを受賞したと言う紙。ちなみに表彰式はとっくに終わっていたので、「後日トロフィーを送るよ」と言われがまだ来ていない。Celsaに最近聞いたら「来年出るならその時に渡すよ!」と言われた。なんともイギリスである。
そんなこともあり、出だしとしては万々歳な成果、自身を得て、帰国した。
3.惨敗のミラノの悲劇。まで
次は1ヶ月後のミラノのMIDOである。
ここでもロンドンのように準備し、ミラノに。
会場に1日前に着いた私たちは呆然とした。
Hall 6(中国、韓国、アジアの生産系が集まるホール)の一番端、そしてなんと発注していたブースが更地であった。
もう一度言う、更地である。
(更地と荷物)
もちろん主催者側の担当Marta(名指しでいいでしょ)に言った。彼女は億劫そうにこう言った。
「イタリア語で喋ってよ」
これはダメだ、埒が明かない。
SHUのアイデアで、型数分のドラム缶を準備し、このようなライブ感溢れるブースで応急処置。
無論場所的に客はまばら。
そしてくるのは東欧系の怪しいディストリビューターで、「デザインよりも1000枚買うから1枚€10にしろよ!」と話にならない奴らばかりであった。
しかも支払ったはずの会場費をダブル請求して来やがった。
俺は思った。
「MIDOは二度と来ない。くるならラボアカデミーで、主催者に頼むから出てくれないか!」と言われるまでは。
なのでほぼブースにはいずに、この時Factory 900の青山氏、Steadyの金子氏と話していろいろ造詣を深めた。
3日目、僕はボイコットした。頭痛がひどい。
SHU、ERIKO、イタリア通訳MEGUMIちゃんでなんとか回した。
帰国前日、なけなしの現金で僕はミラノを徘徊した。
ただ、ミラノはいい。
街もいいし、飯がうまい。これは重要だ。飯がまずいのはロンドンだけで十分である。(うまい店もあるがロンドンは高い)
(カツレツ。これで€6)
とにかくミラノで僕は、全てにおいて惨敗を喫した。
帰って来て、五反田のおにやんまで、涙をすすりながらのうどんの味は忘れることはないだろう。
(ちなみにMIDOからは謝罪のメール、そしてMartaは外す旨をいただいた)
4.NYCでの逆襲、そしてまた自信を戻す。まで
そして迎えたはVISION EAST(NY)。
慣れたNYCに準備は軽々、早々に羽田から出発した。
場所はジャビッツセンター。マンハッタンは11Aveにある、大きい会場だ。
前日入りした私たち3人は、ブースを確認し、IKEAに向かい、必要なものを揃えセッティング。
ここでまずいことになる。
フライングタイガーがNYCない。
となると、説明文を入れる額縁がない。
と言うことで、当日会場入りした私は、SHUと考えた行動がこれだ。
壁に説明文、書けばいいんじゃねえの?
本当はこれはダメだ。(幸いと言っていいかはわからないが、後から少し嫌味を言われた程度で終わった)
しかしこの写真で、SHUがカメラを回しているが、書いてる間にゾロゾロメディアがカメラを持って後ろで撮影を開始していた。
ペイントが終了した時点で、各メディアから取材が殺到した。
多分いくつかはその日のTVShowで流れたらしい。
その影響もあってか、スワッチは即日完売。2日目以降も順風。
前のブースのハグ・オザワさんに「なんで君らこんなにお客呼べるの?」と言われたが、正直僕たちもわからないが、多分他と違うからだ。
メガネのデザインで異色、やることも異色。
このVISIONで僕は新規リテーラーを多く獲得し、そしてNYCでのデザイナーの仕事を数件依頼されることとなる。
毎日、終了後に飲むビールは格別であった。
自信を取り戻し、帰国した私は、強気に五反田の天一に駆け込んで至福の一杯をいただいた。
この3カ所でのトータル受注は2200万円ほど。最高の出だしであった。これまでは…
5.そしてまた、事故。まで
そしてこの中で私の中で、ある一つの幸せなことがあった。
結婚をした。
そして仕事を手伝うと言うことで、妻となった彼女は5月15日に長年勤めた会社を退職し、そして5月17日、悲劇は起こった。
山手通りをバイクで左車線を走行中、東中野駅前にて右車線から急に車線変更して来た車にはねられ、意識を失った。
犯人は逃走。(目撃者多数)
気づいた時には救急車。
最初運ばれた町医者では整形不可。転院にてT女子病院でなんと手術失敗。転院しT大学病院にて手術成功。
病名は左寛骨臼骨折、左坐骨神経麻痺、肋骨骨折と重症である。左足が動かない。
ここからしばらく、新婚の妻といきなり金銭的なことで揉める。そりゃそうである。デザイナー業務を他でしながらそれなりの収入を得ていた私の全ての収入源が絶たれた。そして起き上がることすら困難。どうやって生活して行くのか、そこがデザインよりも最優先事項となった。
そして犯人からの保証はない。
どうしたものかの苦悩の日々が始まった。
6.入院、capsule NY〜退院。。。まで
しかし起き上がれるようになった時、嬉しい知らせが入った。
「capsule NY に特別枠で出てみないか?」と。
どうもVISION NYで客として来ていた中に、capsuleの主催者であるリリアン・ケイがいたらしく、彼女の鶴の一声で決まったらしい。メガネブランドとしては異例の大抜擢である。
そのことを担当医師に話し、なんとか7月中旬に自分が行けるようにならないか?というが答えはもちろんNO。正直私の全治は1〜2年かかるらしく、ロフストクラッチで歩けるようになるまで、出国禁止、毎日地獄のリハビリが続いた。
ジレンマとの戦いである。
capsule NYは、切り替えてSHUがこの時法人としてクリエイター集団、PERIMETRONを設立。なので全責任を持ち、SHUに委託した。
しかしcapsule NY自体にあまり集客がもう無いようである。ただ僕たちのブースはメガネ、サングラス。ある程度の盛況を収めたと報告には上がっている。
ここでSHUが作成したのが以下のイメージムービーである。
そしてリハビリ担当M先生、担当看護師Sの支えにより、徐々に車椅子で動けるようになった時、ひたすらメガネの基礎知識の再確認、昔聴いていた音楽をまた聞き直す。
そして院内の顔の小さい、綺麗目の看護師に(失礼)、ファーストサンプルができたら掛けてもらい、セカンドに出すと言う作業をした。
ここでできたのが、のちにSILMO Parisから発表となる
「Early 2018 "Logics & Nostalgism : my triggering 2.5 months"
(論理と懐古主義と、2ヶ月半の僕のトリガー)
である。9型。(正式には10型だったが、サンプルが間に合わなかった)
METRONOME史上、問題作、Freesia、Round & Round が出来上がった作品群である。
**
そして、急性期病院と言うこともあり3ヶ月で退院。自宅療養&毎日リハビリに通う日々が始まる。
なんとか、10月のSILMOは自分がいきたいと。
7.意地のパリ、そしてまた調子に乗り出す。まで
そしてリハビリを続ける中、ロフストクラッチが始まった時、嬉しい知らせが入った。
「SILMOの50antsで、Freesia、最終選考に残りました」
である。しかしこれがなんとFacebookのいいね!できそうと言う代物。
なのでを書いたわけです。
なんとか記録に残したかった。
最終的には最終日まで1位、しかし結局ギリギリで追い越され2位。
まあ、上出来かなと。
そして挑んだはSILMO Paris.
(製版に出した、34Pの初のカタログである。2日目で500冊全てなくなりました)
ここでは車椅子で4日間過ごしたが。。。
大盛況である。
正式にあと嬉しかったのは、
「METRONOME、あなたの作品を仕入れに来た!」
と熱意むき出しの本国イギリス、ウクライナ、チェコ、オランダ、ポーランド、カンヌ、スペイン、モナコ、ポルトガル、ドイツ。。。全てリテーラー、ホールセラーのバイヤーが来た。契約も無事締結、順調にいまデリバリーに向けて進んでいる。
そして2日目か3日目かに来た老夫婦がいた。
その人はじっくり見て行って、通路のところで車椅子に乗ってる僕のところに来るなりこう言った。
「お前がデザイナーだろ?一目でわかる。今までの日本人と違う。うちで君のやりたい表現で3年間デザイナー契約をしたい」と。
とりあえず「OK~」と。
実はそのような話ばかり来ていたので、軽い気持ちで返し、名刺を妻に渡し、うまい棒を食べていた私に妻がすっ飛んで来てこう言った。
「これはやばい。」
何が?
「めちゃくちゃ有名な、日本にもあるレディースのアパレルブランドだよ!ちょっと話して来る!」
ふ〜ん、そうなん?まあやれと言われればやるから、後は頼むよ。
私は、マネージメントは、てんで苦手である。しかし、妻が喜ぶブランドであるならやろう。そう思っている。
あと、「うちのメガネのデザイナーをしてくれ!」や、フランスの有名な若手メガネデザイナーと、フランスx日本のデザイナーチームを組みましょうのお話など。
そしてGrand Parisのパーティーにも呼ばれ、有意義な展示会は終了し、「自分のやってなかったことに間違いはなかったんだな」と思った。
驚きは、問題作、Freesia、Round & Roundの受注数が半端なかった事である。さすが海外。
そして我々は、なぜこのようなスケジュールかわからないまま、東京に最終日の午前で切り上げ、シャルルドゴールから東京にとんぼ返りである。
8.意外だったIOFT。まで
そして迎えたは東京ビッグサイトで行われたIOFT。
前日というよりは当日の夜中につき、会場入りは遅刻で9:30。
正直SILMOの余韻、疲れも相まって気が抜けていた。
「どうせ日本人には売れないし、わかってくれるディーラーもいないだろう」
が本音であった。
しかし蓋を開けてみれば、「インスタ見て来ました!」と、派手なオーナーが経営するリテーラーからかなりの反響、オーダーがあった。これは嬉しい誤算だった。
また、何度も言うが問題作、FreesiaがなぜかCXテレビで放送された。
そして、高橋一生くんが Wistin a sober、宮藤官九郎さんが Distortion Melancholia を掛けてくれた。高橋一生くんに関しては、ブースまで来ていただき、ご丁寧な対応を頂いた。
日本は、METRONOMEは基本ミニマムオーダー(MOQ)があるのだが、スタッフで国内は少量からでも対応できる。もし気になればメッセージください。
9.総括
総括と言うより、これからもし、ブランドを始めようとしている人たち、イラスト等、作成するクリエイターに、少しでも上記を参考にしてもらい、以下のことを言いたいと思います。
・工場の人とIOFT終了後、飲みながら話をした。工場の人に問い合わせがやはり常連さんからあるらしい。
「なぜ、METRONOMEはあそこまで海外に進出していけるのか?」
僕は言った。
「いきたいと思うから行くだけですよ〜」と。
するとこう帰って来た
「いきたくても結局、行く勇気がなくて終わるのが普通なんですよね。なんでそこまでいけるんですか?と。」
僕は好きな歌の歌詞を交えこう言った。
「"ためらいと勇気は似てるから、踏み出した足は半歩でも前に"と言う歌があるんだけどさ。その通りしてるだけですよ」と。
あとは最初に話した、売るものがないから自分を売るしかない。と。
背水の陣の人間は強い。
これを見ているクリエイターさんたちへ。
海外に出ること、これを読んだらそんなに難しいことだと思わなくなりませんか?
僕はもっともっと、日本人、強いてはアジア人が欧州、USに進出してもらいたいと思ってます。
来年のMETRONOMEの展示会予定も詰まって来ました。
一つ言えるのは、
「好きなことを仕事にできるのは、世の中でほんの数人です。ただそこになれるのは、もちろん運が左右しますが、後は自分の勇気だけです」と。
生意気かもしれません。ただ僕はもっと、METRONOMEだけでなく今やってる他のアパレルの仕事を含め、まだまだやりたい。
かのホリエモンが最近、保育園の保母さんの仕事を「誰でもできる仕事だから、安いと言っても仕方ないだろ」的な文章を見ました。
これは正直、僕も納得です。昨今、国家資格なんてどうなんでしょうか。最強と言われた国家資格、弁護士すら露頭に迷う時代です。
なぜならこちらの業界だと、イラレ、フォトショを使える人は最近ごまんといます。小学生でも目を見張るくらい上手い子もいます。
「タダでやってくれないか?」ということに対し失礼だ、疑問を持つとよく言います、それは僕も賛同してました。
ただ、思うこともあります。以下、少し辛口です。
「あなたのデザイン、描写は、そこらじゅうに溢れてるものと変わらない。だからそう安く、もしくはタダでとか言われちゃうんです。自分にしかできなくて、”やってもらいたい、そのためにはギャラの話をしなければ!”と思わす努力は多少なりともしてるのですか?それを世間に少しでも認知されるような努力、してますか?」と。
僕は、これからも、人に「こんなものよく作ったね。高いけど買わせていただくよ」ということを、永遠と死ぬまで、もしくは隠居寸前までやっていかなければなりません。
とりあえず、上記踏まえ参考にしてくれませんか?貴方のキッカケになれば。
何事も、「踏み出した足は、半歩でも前に」と。
では。
乱筆乱文、失礼します。
25/10/2017 Bisei
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