なんとなく書き出してみてから考える
昨日『なんとなく書き出してみてから考える』わけのわからない文章を書いたのだけど、あんまり何を書いてるのかが自分でもわからなかったので、ちょっと整理してみた。
整理しても、あまり意味はわからない。
読みやすくはなった。
最近、言葉の有限性について考えることが多くなった。
自分や他人が話していることも書いていることも、どこかで聞いたことがある話ばかりだし、言い方も似たり寄ったりだからだ。確かに、ニュアンスの違いはあるけれど、根本的な部分に既視感を感じる。
「言語を使って考えている以上、その言語の範囲内でしか考えられないんだな」と考えると、なんだかとてもつまらない感じがしてくる。自分も他人も、過去に見聞きしたこと(今までにあったこと)を基に考えていると思うと、なおさら既視感を強く感じて「またアレか」と思ってしまう。これがつまらないと感じる原因なのかもしれない。
「つまらない」と「おもしろい」について考えるようになったのも、この既視感からかもしれない。すべてが新しければいいというわけではないけれど、「またアレか」と感じることはやっぱりつまらないと感じてしまう。
だから、短歌を始めたのかもしれない。短歌の中で見たことのない言葉の使われ方に魅力を感じたのだと思う。でも、短歌を始めて2年ほど経った今、自分の歌や他人の歌にも「またアレか」と感じることがある。
結局は、「おもしろい」と思える歌を詠みたいし、読みたいんだと気づいた。短歌には「おもしろい」の可能性があると実感している。なんとなく書き出してみた文章だけど、自分の「おもしろい」の基準をもっとしっかり考えたいから、この文章を書いたのかもしれない。