Tさん
いつものように帰宅して、ポストを開けたらマンションの改修工事通知だった。エレベーターに乗って、どこの部屋の工事かなと再び見てみると、となりの部屋だった。
引っ越してきて、お隣のTさんと通路でばったり会ってご挨拶をした。管理会社には、入居時のご近所へのご挨拶はどうしたらいいかを尋ねたら「最近はいろいろです」とのことだった。ご挨拶したとたんに、いろいろ付き合いができたら面倒だなと思い、ひとり暮らしだしなと挨拶回りをしないことにした。しかし、引っ越してきてみると、エレベーターで乗り合わせた人同士はいちいち挨拶をするし、もたもたとオートロックを開けようとする人を内側にいる人がナイスサポートをしたり、暑いねぇ、寒いねぇ、急に降ってきたねぇ、いってらっしゃい、おかえりなさい、ということばが行き交う一方、それ以上踏み込まない絶妙さがあって、高齢者が多いけど、都会の集合住宅らしさというのもあって、挨拶回りはしなかったけど、私もしっかり普段は挨拶をして、感じよく振る舞うようにしようと思った。Tさんは物腰のやわらかいおばあさんで、4年で数回しか会わない、話さなかったけれど、嫌な感じを持ったことは一度もなかった。
引っ越してきて1年経つか経たないかだったか、ある日、玄関のインターフォンが鳴った。Tさんだった。紙切れに自分の名前と電話番号を持ってきて、何かの時には通報してほしい、というようなことを突然おっしゃって、私の連絡先も欲しいという。ちょっと驚いたけれど、なるほどお互いひとり暮らし、こういうのも生活の知恵かと思い、私も名前と電話番号を渡した。また、2年くらい前だったかに、Tさんの奥の部屋に住んでいたおじさんが引っ越しをされたときには、「横浜のこどもさんのところに引っ越しをされた」「電話番号はお返しした」と、その方とも連絡先を交換していたようだった。
2年前の夏にTさんとお話ししたのが最後だった。やはり、玄関のインターフォンが鳴った。玄関に出てみると、Tさんが「花火!」と言うので、彼方を見やると小さいけれど、しっかりと花火が見えた。淀川の花火である。そこで、私はTさんと並んで20分くらいだろうか、花火が終わるまでお話をしながら花火を見た。彼女がもともと大阪市の南側のこの界隈でお仕事をされていたこと、ご年齢も私の親と同じぐらいであること、病気があるけど高齢だから進行は遅いから手術はしないと言われていることなどを話された。9月から2週間ぐらい入院予定というようなこともおっしゃっていた。
その後、9月に入ってしばらくはベランダにいると、彼女のベランダ側の窓の開け閉めが微かに聞こえたり、ちょっと気になって彼女の部屋の前まで行くと、部屋の明かりがはめ殺しのガラス越しに漏れていたりして、入院はまだなのかな、と思っていたら、半ばを過ぎた頃だったかにご不在なのだなと感じた。
昨年の秋の終わりに、私も意を決して町内会に入った。班長が回ってきます、というようなことは言われなかった。Tさんの二つ向こうの部屋の、比較的若い、もしかしたら私より年下かな、そこに住んでいる方が集金にこられた。その方は私が引っ越してきたばかりの時に、通路掃除中に通りかかって、大きな紫陽花の切り花を家から持ってきてくださった方で、その後もふたたび通路掃除中に、今度は町内会の地図を持ってきてくれた。この辺は初めてですか?と尋ねて、「(町内会の)勧誘じゃないですから!強制じゃないですから!」とおっしゃった。まち猫の保護活動をしている、早朝だったか、深夜だったかに出くわした時におっしゃっていたので、お世話を厭わずにやってくださる方なのだなと思った。ぼんやりと班長になったらTさんところにも集金にいくんやな、と想像していた。
ちょっと前に、ベランダにいるときにTさんの部屋に複数の人の気配を感じたことがある。気配というより複数の男性の話し声だった。ご親戚でもきているのかなと思った。でも近くにご親戚があるような話も聞かなかったし、そもそもこれまでそういう物音を聞いたことがなかった。8月か9月。やはりその間にTさんの身になにか変化があったんだろう。
Tさんは、向こう隣のおじさんが引っ越された時に電話番号を返した、と言っていたので、私も引っ越しをするときはTさんからもらった電話番号のメモをお返ししなければならないと思って、そのメモをいつも捨てないように、見失わないようにと思っていた。
Tさんになにがあったのか、班長さんが知っているだろう。私は唯一名前を知っている隣人を失った。工事通知の紙を持ったまま自室を行き過ごし、Tさんの部屋の前まで行って、そのドアを見つめた。Tさんはもうここにはいない、とわかった。よそ者の私が、ずっと前からここにいた人を送りだした、という不思議な感慨が湧いてきた。よそ者の私が、ここを懐かしい場所と初めて感じた記念日。Tさん、さようなら。