書いて考える
下半期にはいった。仕事は年度区切りなので、そういう意識が強いが、占いなどは、「2024年下半期の運勢」とか書かれてある。
私の年代でなくても、この頃はあちこちで「小泉今日子」や「稲垣えみこ」の名前が話の中でよく出てくる。彼女たちの暮らしぶりや、50代も終盤にあっての心の変化やこれからのこと、ひとり暮らしのいろいろなことが、共感を呼んだり、羨ましく思えたりしているのだろう。私も、ひとり暮らしを始めた4年半前、それまで30年近く住んだマンションから引っ越しをして、荷物もどっさりと整理をし、電化製品もほとんど新品に買い替えて、まさに心機一転というところ。まさに、彼女らの年齢で、大きな節目だった。
家族世帯の多い住宅地から、都会の下町に引っ越しをしてきた。職場とかなり近くなって通勤が楽に、時間も有意義に使えるようになったし、車も自転車もすべて手放した暮らしになり、常に歩く生活になった。
夜、ぶらぶらと歩いていける場所で飲みに行ったり、我が家で集まっての家呑みもごくたまにしたりするようになった。家事はひとり分で、これもかなり心身共に楽になった。親しい友だちや、新たな隣人とちょこちょこ旅行的なものをするようにもなった。
いつからかは明確に思い出せないが、コロナになる前から「ちょっと仕事に飽きたな」と感じることがあった。わくわくしない。仕事を楽しんでやってきていたが、つまらない・・と思うこと、なかなか心躍るような企画が湧いてこないようにも感じた。やりたいことをやり尽くしたのか、とも思った。自分の中に楽しいことが潰えてしまったというわけではないことはわかっていた。実際に、オンラインのシナリオ講座を受講していたときは、宿題に苦労していたけれど、その苦労が楽しくて仕方なかった。その時の楽しさが忘れられずに、短い講座も追加で受講した。
職場での自分の立ち位置の変化というののせいかとも考えた。非正規ではあるけれど、ちょっとだけ管理職をやっている。上司が変わって、自分の年齢もあがっていて、同僚も異動や退職などでメンバーチェンジが毎年なにかしらある。そんななかで、事務の仕事が増えるなど、全体の管理を担う内容にウェイトが置かれるようになったりもした。企画に期待をされていないのかとも思ったが、若い人たちは、それほどフットワーク軽く企画を出すわけでもない。まぁ、それでも私がやりすぎるというのは良くない、むしろ後進に道を譲りながら手助けをするのが良いなと素直に思えた。
そういうところにちょっと立ち位置をずらしてみたのが、ちょうどコロナの時期かと思う。コロナだったので、それほどガツガツ新しいことをするような雰囲気でもなかった。だから、モヤモヤしていたけれども、それはそれで抱えながら情勢を見ていた。
この間、年に3回くらいだろうか、大学の市民講座で、哲学や古典芸能、地史などの講座や、ちょっと変わったところでは映画字幕の講座を受講したりした。どれもかなりおもしろかった。思想の講座は2年連続で受講したが、刺激的で、学ぶことのよろこびが溢れて、帰り道にウキウキが止まらなかった。
そんななか、昨年春、新しい上司がやってきて、その前の3年間に比べると、かなり仕事がしやすくなり、私自身がよい雰囲気でいられるせいか、職場の雰囲気も上がったような気がした。これは多分錯覚だろう。1年半となるが、自分のモヤモヤが今年になって理解できるようになった。仕事に飽きている、という感覚の正体が見えてきた。
この仕事に就いて17年ほどになるが、10年くらいはそれまでの波瀾万丈の人生の引き出しに入っているものがすべて仕事のネタに使えた。これほど、自分の愚かさによって出くわさねばならなかった失策の数々、あるいは年相応の悲哀、困難が、こんなに早くに役立つ日が来るとは思わなかった。金融関係やIT関係などの分野を除けば、社会課題と呼ばれるものには広範囲に対応できた。
自分が対応できることは多かったが、自分の経験知でやり続けていては、自分が未知の世界へと漕ぎ出していくことはできない。仕事に飽きているのではなく、自分に飽きているな、という気づきがあった。私は自分の引き出しに入っていないもの、あるいは入っているけれどすっかり忘れているもの、または引き出しに入ったばかりのものに関心がある。散々使いまくってきたものには、興味が薄れてしまった。小器用にやってこれたこと自体にも飽きている。
ちょうどそんな時に「アンラーニング」という言葉に出会った。アンラーニングはこれまでに学んだものを捨てる、というようなところか。とにかく、これを知った時には「我、発見せり!Eureka!」といった心境だった。これだ、これだと。
捨てるのは得意なので、容赦ない。それで、ちょっとずつ新しい風を入れているところだ。これまでやったことのないテーマで企画をしたり、企画の新たな進め方を試みている。これはなかなか楽しい。新しい自分、新人のようにドキドキしながら新しいやり方を体験していく。自分の引き出しのものを惜しみなく出すのではなく、そこに新たに詰めるものを探しにいく、そのスタートを切ったところだ。
いつ雇い止めに合うかわからないけれど、仕事がある間は、新しいものに出会って変わる自分を楽しみたい。
ほら、こうやって書いて考えるって、すごくいい。大江さんの本のタイトルだけど。