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批判について

波乱万丈…と言うには小さい波の束

人生には、あらゆるがある。
調子の波、気分の波、運の波、仕事の波、財布の波、予定の波…。おまけにそれを処理するのは脳の中の電気信号の波だし、そもそも僕ら自身を構成する粒子も波であるときた。
これらの波はいずれも異なる周期や振幅・位相を持っているが、それ故に、山同士や谷同士がぶつかったり、ときには山と谷が打ち消し合ったりする。

谷はそのうちのいくつかでも重なると、なんとなく晴れぬ気分になるものだ。ちょっと仕事で躓いたときに気分の谷が重なると、大げさな無力感に苛まれたりする。そういうときに限ってダメ押しが降ってくるというのもよくあることだ。
先日、下のような記事を目にした (今気づいたが、もう半年も前の記事だ)。

普段ならば批判などは大して意に介さず、ありがたい意見として改善の参考にさせていただくところだが、ちょっとした谷に居たためにささくれてしまった。
実際、日頃からゆる界隈の人々のトーク力には舌を巻いているし、いわゆる「落選組」の別館メンバーにもそれぞれ個性や強みが光っていて「敵わないな〜!」と思わされる。特に同時期に本家に加入した藤井さんはカフェイベントも含め八面六臂の活躍でなんとなく気後れしていたので、ピンポイントで変なツボを押されてしまったのである。

(それにしても「前戯の囁き」には笑ってしまった。実際のところ我が家の会話は、僕の面白くも興味深くもない発言と夏生さんの鋭いツッコミ、夏生さんの楽しい妄想と僕の生返事が大半であるので、この方が想像するような状態からは程遠い。YouTubeに映るのも確かに我々の一面ではあるが。)

definition error: 面白さ

面白さの定義は人それぞれだと思うし、各人がYouTubeやその他のコンテンツに求めることも実に様々だ。僕自身はコンテンツに情報や学びを求めてしまうので、学術系・教養系中心に視聴しているのだが、そういった人はむしろ少数派に違いない。本家のゆる言語学ラジオでさえ、今やあの二人の掛け合いを目当てに観ている人が大多数だろう。
ただし、彼ら (特に堀元さん) 自身が何度もそう公言しているように、「自分が面白いと信じるコンテンツを作る」ことは重要だと思う。そして僕自身、コンテンツを通してやっていきたいことが明確にあるので、それを曲げるつもりは一切ない。それが合わないということであれば残念だが他のチャンネルを観ていただくのがお互いのためだろう。
(僕のやりたいことについては、ここではあえて語らない。動画の端々に見出してもらえれば幸いである。)
コンテンツの副産物として、夏生さんや堀元氏や他のパーソナリティとの関係を想像して楽しんでいただくのは結構だが、内情を知らぬ人に「かくあるべき」とまで言われる筋合いもない。黙って民音ペアを推していただければよかろう。個人的にはあんとれuraQペアも同等のポテンシャルを秘めていると思っている。

ゆるゆる道鏡学

この記事に対してXで軽く反応したところ、下記のような温かい返信を多数頂いた。陰に陽に、常日頃応援してくださる皆様には感謝しきれない

「そうは見えない」とよく言われるが、僕は基本的に自分の能力を信用していない。だましだましやってきた学力や技術力などたかが知れているし、いつでもすぐ隣に超人がいた。運など死なない程度にしか持っていないから、当てにしてギャンブルをしようものならすぐに予算が尽きる。
しかし、これだけは持っていると自信を持って言えることがある。「人運」だ。
これのお陰で、堀元さんをはじめとするパーソナリティ、もりふじさんや別館学徒たちにも会えたし、その周辺のスタッフ、ファンコミュニティ、そして何より夏生さんに出会えた。その夏生さんも、僕の友達に合うたびに「いい友達に恵まれているね」と驚く。研究仲間も、フランスで出会う人々も皆いい人ばかりだ。
この運に感謝しているからこそ、僕はよほどのことがない限り人を拒絶しないし、どんな人でもいい面、学ぶところがあると思って付き合っている。「良い人と出会えること」が僕の唯一の特殊能力で、今日の僕があるのも99パーセントがこの能力のおかげと言って差し支えない。僕の知識や技術やすべての能力は、環境によるものだと思う。

上のような態度の根底にはニヒリスティックな唯物論があるのだが、表出だけを見れば「他人の力を利用して甘い汁を吸っているやつ」に見えるだろう。浅学非才の僕にはよくわからなかったが、先の記事の「ゆるゆる道鏡学」とはそういった部分に対する批判であるように思われる。
確かにそういった一面もあるかもしれない。でも考えてみてほしい。いい人たちの周りにはいくらでも人が集まってくる。そんな彼らに、「美味しいところだけ持っていく嫌な奴」と付き合い続ける義理はないのだ。仮に鎖のような強固な絆であっても、関係を保つお互いの努力なくしては、錆びて、軋み、脆くなる。次に動かすときには力のかけ方を間違えないように敬意と注意を払う必要があるだろう。だから僕が友人と付き合う上で特に心がけているのは、各人と適切な距離を保つこと、そしてときどき取り上げて錆を落としてやることだ。
これは僕がたくさんの人と出会い、たくさん話し、ときどき好かれて、それよりずっとたくさん嫌われて、その中で得た技術だ。もちろん理想的にできているとは言い難いが、僕の人格は「良き友人たちに恥じないように」という願いから生まれた。先日共にヨーロッパを旅した友人からは、友人兼現地ガイドへのリップサービスとはいえ「(LEOには) 良いところしかない」とまで言ってもらったので嬉しくなってしまった。夏生さんの理想像とは多少ズレがあるようなので、目下調整中ではあるが。

そんな僕 (達) に、ちょっとした節目が来た。これは少し残念なことでもあるし、他方、喜ばしい面もある。
応援してくれている方には、近々その詳細をお知らせすることになるだろう。

悲しい部分は、この節目が自分の力不足が招いたものであるというところである。冒頭にも書いたように、周囲の優秀な人々との差を感じてしまうところでもある。しかしジタバタあがいても仕方がないので、これからも粛々と実力をつける努力をするのみである。勉強も筋トレもその他の技能も、明日突然改善するということはほとんどない。歯がゆいが、淡々と一歩一歩を踏みしめて進むしかないのだ。これはこれまでの勉強を通して学んだことでもある。
明るい面に目を向けるならば、また一つチャンスを得たとも考えられる、ということである。この節目の先は、上に向かうか下に向かうか自分次第である。悔しさは噛みしめて、前向きな力に変えていきたい。

(この件については後ほど追記するかもしれない。あるいは別の記事にもう一度まとめるかも。)

終わりに

全体的にぼんやりとした表現になってしまったが、批判は真摯に受け止め、今後の改善に努めたい。匿名でも記名でも偽名でも、感じたことはどんどん投げていただけるとありがたい。どこかで見つけた感想を共有してくれてもいいし、要望や提案も大歓迎である。

小さな波でも、位相がそろうと大きなうねりとなることがある。日々積み重ねた小さな波が、どこかで収束して大きな上昇流となる日を待つことにしよう。


発信活動は今後も一層力を入れてやっていきたいと思っているので、ぜひとも引き続きご支援のほどよろしくお願いいたします。


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