愛とは、約束である。
愛とは。
一体なんでしょうか。
Mr.Childrenが好きなアナタは、『愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの』と答えるでしょう。
スキマスイッチが好きなアナタは、『愛……どこで誰が創造したもんなんでしょうか?難解なんだね』と頭を抱えるでしょう。
ジョン・レノンが好きなアナタは、『Love is real. Love is feeling. Love is …』と止まらなくなるでしょう。
愛。
やっぱり素敵な言葉なので、数多くの歌詞に登場します。
でも、私が好きな歌詞ランキングの中に、愛についての歌詞は入ってきません(何そのランキング)。
どうも使い古されすぎているからか、私の心が汚いからか、愛関連の歌詞が響くことはそんなにありません。
しかしそんな私も、とある本の、愛について書かれた一節にものすごく考えさせられました。
あるセミナーで1人の男性が前に出てきてこう言った。
「妻と私は昔のような気持ちがもう持てないんです。私は妻をもう愛していないと思うし、妻も私を愛していないでしょうね。どうしたらいいでしょう?」
「奥さんを愛してください」と私は答えた。
「ですから、私にはもう、愛という気持ちはないんです。愛(Love)を感じないのに、どうやって愛するんですか?」
「いいですか、愛(Love)は動詞なのです。愛という気持ちは、愛するという行動から得られる果実です。
ですから、奥さんを愛する。奥さんに奉仕する。犠牲を払う。奥さんの話を聴いて、共感し、理解する。感謝の気持ちを表す。奥さんを認める。そうしてみてはいかがですか?」
──これを読んでいないのに読書好きを語る奴はモグリと言われる(嘘です)ビジネス書、スティーブン・R・コヴィー氏の『七つの習慣』からの引用です。
私は学生の頃にも一度この本を読んでいたのですが、その時はこの部分にはピント来ず、テキトーに読み飛ばしていました。今思えば。
この文章に出会ったあと、そういえば昔、愛に関する文章を読んだことがあったな……と思い出しました。
その時もあまりピンとは来なかったのですが、何となくひっかかったので、ノートに書き留めた記憶があります。
読書ノートをパラパラとめくると、ありました。
誰かを愛するということは、相手に対してただ強い感情を抱き、惹かれるだけではない。愛することとは決断であり、判断であり、何よりも約束ではないだろうか。
NHK“猫のしっぽ カエルの手”で有名なベニシアスタンリースミスさんの著書、『ベニシア京都里山暮らし』からの引用です。
これを最初に読んだ当時は、一体どういうことなのか、てんでわかりませんでした。
なんだこの寂しい文章、と思いました。
本当に愛していれば、愛を感じていれば、約束なんて必要ないじゃない。決断って何?判断?ん??
こんな風にしか思えない人としか一緒になれないなんて不幸だ、とさえ思いました。
この人は、どっぷりと恋に落ちたことが、誰かを愛したことがないのだろうな、と思いました。
そんな人にこの人は出会えなかったんだろうな、と思いました。
でも、今ならわかります。
この文章が、どれだけ愛情に満ちていて、どれだけ幸せを大事に見つめているのかが、今ならわかります。
愛とは動詞。
愛という気持ちは、愛するという行動から得られる果実。
愛とは決断であり、判断であり、約束である。
これが、30歳の私が共感している、『愛』です。
あなたにとって、愛とは何ですか。