漫画アニメ規制にどう立ち向かえばいいか
なぜ”フェミニスト”は萌え絵を叩くのか?
自称フェミニストは萌えキャラに嫉妬しているから叩くのだという主張がたびたび聞かれます。確かにその側面もあるとは思いますが、ミクロの個人的感情というより、もっとマクロな、社会的ムーブメントのように思えます。
19世紀初頭のイギリス、産業革命のときにラッダイト運動というものが起こりました。機械の導入により失業を怖れた職人、労働者が機械を破壊して回った運動です。
萌え絵叩きはそれに似ているように思います。
ホモソーシャル・マチズモ世界観(「(現実の)女性は男性の戦利品」「ステータスシンボル」)や、それに乗っている既存女性の「男性にちやほやされるお姫様」「社会のマスコット的存在」といったポジションが、萌えキャラという新たに登場した女性文化概念によって脅かされている、と。
また、自称フェミニストらは、萌え文化を排除したい保守勢力に媚びたり(萌えキャラを叩くと保守政権にいろいろと便宜を図ってもらえる)、一部女性の不満を代弁することで賞賛されそれにより承認欲求を満たしたり、社会運動のリーダーという立場に立つことで高揚感を味わったりしているようにも見えます。
オタク自身が萌えを抑圧してきた
もっとも、オタク自身も「萌え」を積極的にアピールしてきたわけではありません。むしろ抑え込んできたといっていいでしょう。
東京工芸大の伊藤剛教授は「萌えフォビア」という概念を提唱しましたが、これは萌え文化に対する攻撃側よりオタク、愛好家自身の感覚であるとしています。自分らの愛好する文化へのうしろめたさのようなものがあるのでしょう。
オタクは「キャラクター萌え」をひた隠し、キャラクターはあくまでも現実の女性を描いたもの、表現したものであり、キャラクターは器に過ぎないとして、存在しないものであるかのように振舞ってきました。
社会との軋轢を極力回避するための生存戦略としては、それもありだとは思います。
ただし、それは一般社会の側も「見て見ぬふり」をし、干渉しないということが前提です。
実際には彼(女)らは「児童ポルノ規制」等にかこつけて、萌え文化の「完全抹殺」を幾度となく試みてきました(彼(女)らは今でもその機会をうかがっています)。
オタク側が自らキャラクター文化、フィクトセクシャルを透明化していることに付け込んで、「児童ポルノ」だと的外れなレッテルを貼り潰そうとしているのです。
規制反対派のこれからの戦い方
初音ミクと”結婚”された近藤さんがたびたびメディアに登場し話題になってます。
賛否両論がありますが、私は近藤さんの活動を非常に高く評価しています。
これまで存在しないもののように扱われていたキャラクター愛、フィクトセクシャルというものが存在することを世の中にきちんと訴えてくれたからです。これまでオタク自身が抑圧してきた感性、シコウをようやく社会に強力なインパクトでもってカミングアウトしてくれる人が現れました。
彼の活動のおかげで、これまで有無を言わさず条件反射的にキャラクター表現=児童ポルノ、として叩いてきた特定の新聞社やテレビ局の論調にも変化の兆しが見られます。
キャラクター萌え文化に対し、それらを現実の子供を描いてるものであるとか児童ポルノであるとは言いづらい社会の雰囲気づくりをしていくことが肝要です。
「子供の人権」を掲げ、児童ポルノや性的搾取であると主張してくる相手に対し、「表現の自由」だとか「保護法益」論で対抗するのは的外れです。
(大臣答弁、省庁ヒアリング等で)児童ポルノに二次元は入らないことが確認されている、だから二次元は対象外」というトートロジーみたいな主張を繰り返すのもナンセンスです。
(萌え系)キャラクターは、現実には存在しない独自の造形、デザインそのものが愛好、愛情の対象になっています。つまり、現実の女性・未成年女子を表現したもの、それらに紐づけされたイメージ・表象ではもはやなく、キャラクター自体が一つの独立した概念であり、よって規制に何らの合理性も正当性もないのだということを訴えていかなければなりません。
なお、萌え文化が少子化を促してるとし罪の意識を感じているオタクも少なくないかもしれませんが、萌えと親和性が高い人は10%程度で頭打ちとなっていることが各種調査からも明らかになっています。
https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2020/jinkou202010.pdf
日本国民の大半は、少子化は政府の無策によるものと考えており、萌え文化に理由を求めている人はほぼ皆無と言っていいでしょう。後ろめたく思う必要も、逆に(萌え文化の影響を過大視し)自意識過剰になる必要もありません。
そもそもキャラクターという新たな異性像を創造し愛情を注ぐことは、憲法で保障された「幸福追求権」の正当な行使であって、何ら臆することはありません(同性愛者のような法的な地位を要求してすらないのです)。規制を主張する側こそ、何ら他人をも害することのない、他者の幸福を追求する権利、基本的人権を侵害するという不当行為を行っています。
男性にちやほやされるお姫様という地位は、守られるべき女性の人権ではありません。それはただのワガママにすぎません。いやむしろ時代錯誤の唾棄すべき女性差別、ミソジニーと言ってもいいでしょう。そんなものを必死に守ろうとしてる連中が”フェミニスト”を名乗っているのは、噴飯ものです
(成人男女がお互い同意の上でそのような関係を築くことに関してはとやかく言うつもりはありません。ですが他者へそうしたミソジニー世界観を強要することは厳に慎むべきでしょう)。
二段構え
もっとも、「創作物」は萌え系だけでなく、リアルテイストの、ガチの小児性愛者御用達コンテンツといったものも実際あります。そのどちらとも判断つかないようなグレーのものもあります。
また、荻野幸太郎氏が指摘するように、「実在人物の代替品としてキャラクターをポルノ的に消費」するような人もいるでしょう。
グレーゾーンは規制の突破口になりかねず、「フィクトセクシャル」論だけでは不十分です。
「萌え系」「非萌え系」にかかわらず、あらゆる創作物を規制の対象にしてはならない、というところまで押し戻しておく必要があると考えます。
まず外堀にすべての創作物、さらに内堀に萌え系というように二重の防衛線を構築するといったイメージでしょうか。
その理屈はどうするのか。
創作物の規制に合理性がない、です。
犯罪とシコウは無関係だということです。
両者を同一視するのは、カネが欲しくて仕事をし給料もらっている人は銀行強盗をしかねない、と言っているようなものです。
仮にそこに強い相関を認めるのだとしても、ではなぜ成人への性的欲望は問題視されないのか?
相手の年齢に依らない欲望など無数にあります。ある種の性犯罪者は大人か子供かなんていちいち斟酌しません。一人の性犯罪者による被害者がそれこそ一桁から50代と多岐にわたってたなんてよくあることです。こどもコンテンツが社会にあろうがなかろうが、関係ありません。子供、大人という区分は便宜上設けられた分類の一つに過ぎません。こどもコンテンツがなくなれば子供への性被害はなくなるだろうというのは何の根拠もない勝手な思い込み、希望的観測に過ぎません。
荻野(幸)さんが指摘するように、コンテンツを問題視するくらいならいっそのことリアルの成人同士の性交渉を禁止しろってことになってしまいます。そちらの方が明らかにはるかに子供への性的加害行為のハードルも下げており、規制のプライオリティは高いはずです。キャラクターなんかより現実の成人女性、子供のほうが同じ現実の人間同士ということではるかに近しい関係ですし。
人種差別的側面も
萌えイラスト的なものは、すでにこの国では戦前戦中から右翼・保守勢力のバッシングの対象になっていました。
保守派が萌え絵を攻撃する背景には、こういった要素も多分に含まれていると考えます。
戦前戦中この国の軍部や内務省は「青い目の人形弾圧」もおこないました。日本版”ユダヤ人迫害”ともいえるものです。
「萌え叩き」は、いかがわしいおこない、ナチズム、戦前大日本帝国の復活の危険な兆候だと内外に発信するのも有効です。とにかく使えるリソースは何でも使う。
日本共産党に協力を求める
日本共産党は規制推進に舵を切ったとして彼らとの連携に抵抗を覚える人も少なくないかと思います。
ですが、彼らに協力を仰ぐ以外に選択肢はありえません。
与党に山田太郎議員が入って氏が規制を防いでくれている、氏の影響で自民党は規制反対派に鞍替えった、と思っている人もいるかもしれません。そうした見方は正しくありません。虚構です。
規制推進勢力は「国際的圧力」を頼みに規制を推進しようとしています。
山田議員は元々セクシャリティとしてのフィクトセクシャルに関心がないことに加え、氏の所属する自民党自体が人権や性的マイノリティに冷淡な党であり、それに抗ってまで氏が人権や性的マイノリティとしての観点からオタクを擁護してくれることは期待すべくもなく、相変わらず「表現の自由」「保護法益」といった的外れな主張に拘泥し、「何かやってる感」の演出に励むだけでしょう。
その点、日本共産党は一度理解してくれたらブレることなくとことん戦ってくれます。彼らは打算でなく信念で動きます。外圧にも、「児童ポルノを擁護してる」などという世間の中傷にも怯(ひる)みません。堂々と正論を主張してくれます。
オタクが協力を仰ぐのに最もふさわしい政党と言えます。また、共産党が動けばそれに引っ張られて(日和見、ポピュリズム政党の)立民もその陣営に加わる傾向にあります。
昨年共産党が規制推進派に寝返ったという情報が流れました。たしかに、党の綱領に”フェミニスト”が長年主張してきたことが載りました。
ただ、それは前述のように規制反対派がきちんと自分らの文化、セクシャリティを主張をしてこなかったツケともいえるでしょう。
『萌え』という自分たちの文化、及びどういう理屈で反対していくべきなのか等々、丁寧にしっかり伝えていけば彼らの方針を変えることができるでしょう。
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