女の子もヒーローになれる!のさじ加減。
小学生低学年のある一時、私はよく友達とインディ・ジョーンズごっこをやっていた。とても田舎に住んでいたので、学校まで歩いて三十分はあったと思うのだけど、その長い道のりを、友達とノートに冒険記録をつけながら帰るのが楽しみだった。
今見返すと何とも意味不明な冒険の記録である。
なんでそんな遊びをするようになったかと言えば、言わずもがな、インディ・ジョーンズの映画を観たことがきっかけだった。
たぶん、テレビのロードショーでやっていたのをたまたま見たのだと思う。
テンポの良いアクション。
秘密の暗号。謎めいたお宝。
かっこいい音楽。
頭がさえて、危険なこともひらりとかわすインディがかっこよくてたまらなかった。
こうして書くと、アイドルに恋してしまうようにインディのことが好きになっちゃった!みたいな話しに聞こえるけど。ちょっと違う。
私はインディに惚れてしまったわけではなくて、インディ・ジョーンズみたいになりてえ!と思っていたのだ。
私もあんな冒険をしたい!めちゃくちゃ楽しそう!と思ったのである。
その延長が、友達とのジョーンズごっこだった。
けれども、「なりたい!かっこいい!」と思うと同時に、
「なんで私は女の子なんだろう!インディにはなれない…」と落胆した記憶もある。
結局、そんなことは不可能なんだけど笑
今思うと、こういう思考に陥った自分の記憶を感慨深く感じる。
幼いながらに、ああいうスーパーヒーローは男の特権であるという刷り込みがあったのだろうか。
最近、映画のラインナップを見ていると女性ヒーローが増えたなぁと思う。ワンダー・ウーマンとか、ハーレイ・クインとか、男に頼らずに女だってやっていけるわよ!みたいなメッセージの映画が増えた気がする。
女性の主人公ものは昔からある気がするけど、あからさまにアクションや攻撃性を持ったものが出てきているのではないだろうか。
これらの映画を実際に見たわけではないから、しっかり内容を吟味できているわけではない。私の思い過ごしかもしれないけれど。
トイ・ストーリーの中で女の子のおもちゃがスカートからパンツルックに様変わりして、リーダシップを取ったり、シュガーラッシュの中でおしとやかなイメージのディズニープリンセスたちが、ちょっと強気の面を見せたり。
今までのキャラクターの在り方が、ちょっとずつ揺らいでいる。
「男は隠さないのになんで女は隠さなくちゃいけないの」と、セレブリティが自分の胸をインスタグラムにさらす姿も目にした。
女性の在り方に対しての固定観念を覆そうという動きがあちこちで起こっている。
今の子どもたちは、こういうものを見てどう思うのだろう。
私みたいに男ではないことを落胆することって、いまの時代はないのかな。
大学でジェンダーについて触れるまで気が付かなかったけど、男女平等ってそこまで確立されているものではないんだな、と気が付いた。
「女性の管理職あり」とか、「女性の社会進出」とか「女性が働きやすい」とか女性優遇が、呼び物みたいに使われていることもある。
それがアピールとして推せるということは、今の社会で珍しい、進んでいるということであって、、、つまりは「当たり前ではない」ということなのだ。
女性の在り方が強い方向に変わってくるのはいいことだ。
けれども、女の人は差別されているから弱いのではなくて、身体的にもやっぱり男の人より弱いという事実はある。
選ぶと選ばないとにかかわらず、良くも悪くも、もともとのそういう性質って存在するのではないだろうか。
それを無視していいのだろうか。
それに、ただ単に男っぽくふるまえばいいってことでもないよなと思う。
女性には女性なりの魅力というか、良さがあるわけだし…。従来のディズニープリンセスたちが「間違っていた」とは思えない。
しかし、そういう時代の波が来ると、過度に何でもかんでも「強い女像」に返るべき!みたいな風潮になって、それが流行り・正しいことみたいになってくる。アニメキャラクターの変化がそれだ。とっても極端。
男の子は青、女の子は赤、みたいな固定観念が崩れていくことはいいことだ。けれども。
全部をいっぺんに塗り替えることには違和感を感じる。
結局それが新しい「固定観念」に変わるだけで、結局同じことなのではないか。
選択肢が増える。
それが一番大切なことに思える。
女の子はプリンセスになってもいいし、ヒーローになってもいい。
おしとやかでいてもいいし、やんちゃでもいい。男の子もそうだ。
複雑すぎて難しいことは簡単に言えないけれど。
みんながありのままで居られて、好きなものになれる、柔軟な社会であればいいな、と思う。
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