ロロ 『飽きてから』を観て

自分の人生を他人に生きてもらう事はできない。

絵でただ一度の賞状をもらった雪之と、実家に山ほどの賞状を置いてきた青。
おふくろの味を知っていても宅配ピザに憧れていたしっぽと、都市開発のどこにでもある街に住んで外食ばかりで育った青。
しっぽが、ずっと描かないでいる漫画を、雪之が代わりのようにして描く。それがしっぽを追い詰めて、彼女が出て行ってからは、雪之の描く漫画は止まってしまう。
雪之にとって、漫画はしっぽが描くべきものであったが、しっぽがいなければ描くべき理由がない。

もしこれが、2000年までの時代の物語であれば、他人に自分の希望を押し付けずに、自分自身の人生と向き合うという展開が用意されていたかも知れない。
その自分自身の人生とは何かと言えば、一生をかけてやる仕事であったり、誰かとの深い恋愛関係だと考えられていた。
しかし時代はかわって、働くべき人生は長くなっても、労働の環境は流動的で、特定の職業を自分の人生とイコールと呼ぶのは、ずっと困難になった。

雪之は調理師免許を得たものの、パワハラによって職場を移り、しっぽはスーパーのバイトを辞めて、おそらくコロナで厳しくなった実家を助けていたのだろう。大学院生の青は、簡素化する学校給食のために栄養士の資格を得る事を考える。この先の見えない状況が、ずっと続くのが今の時代だ。3人がルームシェアをしている事は、経済的な理由と無関係とは思えない。「めっちゃお金が欲しかった」はしっぽだけの言葉ではないだろう。

では、恋愛はどうか。冒頭の3人が出会ってサイゼリヤに行く前のシーン。雪之はしっぽをずっと見ている。たぶん、雪之は青よりもしっぽの事が好きだったのだろう。それを告げる事なく、雪之は青と恋愛関係になる。雪之が、どういうつもりで青の恋愛感情を受け入れたのかは、わからない。
しかし恋は飽きる。
むしろ、飽きてからが本番だ。飽きてなお、関係を維持するとは、どういう事なのか。

劇中では、不思議とドラマチックな決断のイベントが描かれていない。
例えば、青が雪之を好きになった時、青が雪之に告白する時、しっぽが戻ってくる事を決断する時、三人が同居すると決めた時。
描かれるのは、それら関係のピークとなるシーンではない。ピークを過ぎてしまった後、それでも延々と続くかもしれない毎日を、どうするのか。

雪之との恋愛関係から、家族という次の関係を2人に求めようとする青。しかし家族となれば、そこでの力の関係は不均等になる。当たり前のように「親と子供」の関係が発生し、親は子供を庇護すると同時に、何物か望む生を生きさせようとする。
しっぽは、それを拒否する。むしろ、それを拒否して、なお関係を維持する事を宣言するために、5年をかけた散歩から帰ってきたように見える。

「私の人生はディレクターズカット版」と言って、雪之に弾を撃つ青の、他者へ浸食する様子は危うい。もし薔薇丸たちとサイゼリヤに行っていれば、青はまた別の関係を持ったかも知れない。しかし、彼女は戻ってくる。青が現れるまでの、雪之としっぽの行き場の無い沈黙が印象的だ。
一方、しっぽが「気分で名前を変える」というのは、まるでSNSのハンドルネームのように、ピークのある関係になる事を意識的に避けているように見える。だが、しっぽは母からの手紙をいつまでも手放せなかったり、2人から「友達」と言われて嬉しそうだったりする。
この2人なら、たやすく疑似家族の関係に呑まれてしまうように感じる。だからこその、しっぽの拒否ではないか。

頬杖さんが持っていたしっぽの涙を固めた珠を、青はしっぽに返す。青はしっぽが出て行く時の悲しみと、戻ってきた理由を理解したのだと思う。
再開した同居は、しかし永続的なものでは無いし、同居の関係性も以前とは変わるのだろう。
それでも、飽きてからの関係で生活するという事は、他人が他人のために作った薬玉に、しばしの祝祭の気持ちを見出していくように、自分のものでは無い感覚に目を向け続ける事なのだ。

劇中の短歌は、映されるシーンのタイトルになりそうなものや、登場人物の感じたものを表しているようで、どちらが先にあったのかという時間的距離と、舞台と歌の物理的な距離があって、相互に揺れ動かされるようだった。
特に、青がしっぽの髪にドライヤーを当てるシーンの歌

幾度もブリーチを経たきみの毛が水面のように輝いて、ばか

は舞台上に三人称で見えている青の、一人称の視点の様に感じられて、しかしまた独立した一首の主人公も見る事ができて、ユニゾンのようで面白かった。
一方で、銀歯の歌は、現れるタイミングが少し遠くて、配信を見て「あ、銀歯抜けたんだ」と気が付いた。

ところで劇中で青と雪之が観ようとした映画『きみの鳥はうたえる』だが、男性2人、女性1の友人関係の中で、1人の男性と恋仲になった女性が、もう1人の男性に心を動かすという話なのだが、この映画を青と雪之、あるいは青としっぽで観たとしたら、映画の後でどんな会話になったのだろうか、というオルタナティブの楽しみがあった。


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