人であることを伝える仕事をする【481/500】
LINE Blogの終了が決まり、また一つ時代が終わったなぁと悲しんでいます。亀谷です。
本日は「人であることを伝える仕事をする」という内容で1本書いておきます。
コスパだタイパだとパフォーマンスの最適化を続けた結果、人は何になりたいんでしょうか?
時間つぶしにでもご覧ください。
AIが人に近づくのか、人がAIに近づくのか?
最近よくシンギュラリティがいつ起こるのか的な話が出ます。
AIが人の知能を超える転換点はいつで、それによって何が起こるのか?みたいなやつです。
これに関してはいろいろな説があるのでここで深堀りはしませんが、まぁ、いつかは起こる話なんでしょう。
AIの発達によって、近い将来、今ある仕事のうち49%はなくなる。
とかいう話もありますし、これから人って何をして生きていくんでしょうね?
私は作業の無駄は嫌いなのですが、自分の無駄は無駄だと理解して楽しんで生きているので、人であるってこういうことだよなぁ。なんて最近思っています。
養老先生が「AIが人に近づくんじゃない、人がAIに近づくんだ」と言われていますが、まさにその通りだと思うわけです。
コスパ・タイパがどうこう言って、人であるから面白いことを機械に置き換えて効率化を進める作業って、理解はできますが、ただ人が人であることをやめようとする作業だよなぁなんて思ってみたりもしています。
どんなに効率的で、自動的に全ての答えが出てきても、作業的には効率的なんでしょうがそこに面白味はありません。
仕事が人生の暇つぶしと思っている私にとっては、せっかくの暇つぶしをなくさないで欲しいなぁと思ったりもします。
一人の人が生きる時間は決まっているので、そこに選択肢を生むという意味で機械に代替させるのは良いのですが、ほとんどの人が、時間の全てを有効的に使っているわけではないので、どうでも良い作業も残しておく意味はあるんじゃないでしょうか?
昔、中国のマックってトレイを片付ける人がいて、その人の仕事を奪うから自分のトレイは下げちゃいけないみたいな時期がありました。わざわざ非効率でも人が行う仕事を作っていたわけです。
シンギュラリティを超えた先には、効率化とは逆だけれども、人のために仕事を作るという発想が一周回って起きてくるのかもしれません。
人が仕事をしていることを伝える工夫を。
ちょっと脱線してしまいましたが、話を元に戻しますと、シンギュラリティを考える際にAIから抜かれることを考えるよりも、人が仕事をすることによって生み出されるのは何なのかを考えて仕事をするって重要なことだと思います。
人がやっているのか、機械がやっているのか分からない仕事をしていると、相手から見てその仕事の価値が大きく落ちます。
仕事を受け取る側も機械に対して大変だったねとか、お疲れ様とかの感情は抱きません。
人がやっているから大変だったねとか、お疲れ様とか、ありがとうとかの感情を抱くわけです。
じゃ、どうやって人がやっているかを伝えるのかというと、そこには無駄な要素を挟んで温度感を出すしかないかなぁと思っています。
コスパ・タイパの観点から見ると無駄な作業なんだと思いますが、仕事にプラスαの要素としてやる気や、日常的な報告、気遣いなど、人としての温度感を加えて、この仕事は私が自分の手でやっているんですよ。ということを相手に伝えてあげるだけで、受け取る人が抱く、その仕事の価値を上げることができるはずです。
せっかく人と人とで仕事をしているのであれば、人であるからこその趣みたいなものは楽しみながらやれると、仕事の価値観も変わってくるんじゃないでしょうか。
この仕事の熱を伝えるという話は社内でも良くしているのですが、効率が悪いと思っているのか、伝えることがないのか、ほとんどの人はこれができません。
しかし、ここまで書いていて、きっとこれも教えてあげれば機械の方が上手くやるんだろうなぁと思い始めました。
機械は作業を無駄だと思ったりはしないから、言われたままやるはずですし。
効率を追い求めた人は無駄を省き、感情を失い、機械に近づき、無駄を無駄と思わない機械は、言われるがままに無駄を取り入れ、上手に人を演じる世の中。人が温かみを取り戻すよりも、こっちに向かっていくのかもしれませんね。
そうなると、最終的に向かう先はマトリクス的な未来かと思うとなんか変な感じです。
コスパとかタイパとか言わずに、もっと人であるからこその無駄を楽しみながら生きていきたいものですね。
それでは、また来週。良い週末を!