【フランキー バネリさんのこと】
Quiet Riotのドラマー、フランキー バネリさんが亡くなった。
訃報を受け、打ちのめされる思いで居る。
8/12は4年前すい臓がんで亡くなった叔父を、先月7/16は8年前に、
これまたすい臓がんに奪われたジョン ロード御大を偲んだばかりでもある。
昨年9月、アイアン メイデンのLegacy of the Beastライブを観にロサンゼルスに赴いた私は、アメリカのすい臓がんの患者団体「PanCAN」を訪ねた。
5年生存率がいまだ10%にも届かない、難治がんであるすい臓がんの治療の進展を願って、ささやかな寄付と啓発カラーの深紫(Deep Purple)の折り鶴を届けたのである。
人類がポリオを100%撲滅出来たように、悲願を込めて折り鶴は100羽折った。
メイデンのライブで世界から集う仲間とのフラッグセッション。
そこで用いる日の丸をLegacy of the Beating of CANCERとしたのは、このためでもあった。
その翌月、突然フランキーさんががんを公表。
さらにその翌月、11月のすい臓がん啓発月、PanCANのwebサイトに
フランキーさんが登場して、PanCANのサポートに感謝しているという
コメント、オフィスをサプライズで訪問しメンバーたちに自分の闘病を
講演している記事も載った。講演の写真に写っているのは、私の訪問時に
会った人が大半だった。
この奇遇が他人事と思えず、12月ジミー桜井さんとのライヴでの来日時に合せ日の丸への寄せ書きを募り、ご縁があって直接ご本人に手渡した次第である。
その後facebookを通じ、やり取りさせていただいたが、とりわけフランキーさんの日本文化への造詣の深さ、茶道を嗜む数寄人としての姿勢、花を生け、限られた時を彩りとともに謳歌する姿には心を打たれた。
花の存在そのものが迫る、深い存在感がどの生け花にも感じられた。
私自身遥か昔だが、茶道も華道もすこしばかり齧り、古典も学んだ。
生け花とともに彼が飾る掛け軸の的確さは、日本人としてのDNAをなにより刺激された。
おりしもコロナ渦で会えなくなった実家の母に見せると、画家でもある母も大変興味を持ちそのうち庭の草花を生けた、などと送ってくるようになった。
フランキーさんが日課に様に上げる、生け花や茶器の画像を母にも送り、
そのやりとりは隔離生活のふたりの慰めになった。
フランキーさんの生け花やお茶の投稿に、厚かましくも母の生け花を返すと
喜んだ様子で反応してくれる。
禅語の掛け軸と紅のバラの組み合わせは、脱帽物の審美眼で、感動した母は水彩画を描いて送ってきた。それをフランキーさんの投稿に載せると、また彼も喜んで反応してくれる。
有名ロックスターと極東の島国の一ファンという立場を超えた、心のつながりが母と私とそしてフランキーさんに生まれた、というのは思い上がりだろうか。
発見時には肝転移していたすい臓がんを強力な抗がん剤で抑え込み、盟友ジミー桜井さんとの約束を果たしたフランキーさんのドラム。五臓六腑に響いたあの力強いVibeは、もうニ度と聞けない。
そして生け花も、お茶のやり取りももう二度と戻らないことが、今たまらなく悲しい。