特集「Tiwa Savage」遅咲きの"Queen of Afropop"
彼女の名はTiwa Savage。Afropopの頂点に君臨するナイジェリアンシンガーです。これまで「note」を通じて様々なAfropopアーティストの経歴や音楽性に触れてきましたが、その中でも私にとって最も興味深い存在だったのがTiwa Savageでした。今回はそんな彼女の半生を振り返りながら、彼女がどのようにして成功を手にしたのか、そして彼女が音楽シーンに残した功績とはいかなるものであったのかを順を追って紹介していきたいと思います。
<TOP画像引用元>Tiwaが若い時代に苦労した貴重なエピソードを紹介したガーディアンの記事からhttps://guardian.ng/life/tiwa-savage-recounts-her-days-of-struggle/
プロローグ ~Celia~
新年あけましておめでとうございます。アフリカ音楽キュレーターのアオキシゲユキです。
今回、私が最も愛するアフロポップシンガーの一人であるTiwa Savageを取り上げられることを本当に嬉しく思っています。彼女の成功までの道のりは決して順調ではなくむしろ遠回りでしたが、夢を諦めずに挑戦し続けたその想いは2020年8月にリリースされた最新アルバム「Celia」の中にも込められています。
「Celia」というアルバムタイトルはTiwaの母親の名前で、このアルバムのメインテーマは「母親に対する感謝」と「現代を力強く生きる全てのアフリカ人女性に対するエンパワーメント」という2つの想いが込められています。
母親がTiwaにどのような影響を与え彼女をどう支えてきたのか、その詳細はこの後ゆっくり説明するとして、ここでひとつご紹介するのはアルバムのジャケットデザインについて。
このイラストはルドー(Ludo)と呼ばれる戦略ボードゲームをモチーフにしていて、小さい頃Tiwaは母親からこのゲームを教わり、勝つためには動く必要があること、そして人生で成功するには大胆さが必要であることを学んだと語っています。Tiwaにとってルドーとは「母親と自分の人生を象徴するもの」であり、また「人生の教訓」でもあるわけです。事実、彼女は人生のターニングポイントで「動き」、また「大胆」な戦い方を選択します。
1章 ~Early Life~
Tiwaは1980年2月5日、ナイジェリアのラゴス州IsaleEkoに生まれました。子供の頃から歌うことが好きで将来はスターになることを夢見ていたTiwaは、11歳の時に中等教育を受けるため家族と共にロンドンに移住します。中等学校ではオーケストラでトロンボーンを演奏していたとか。そして16~17歳の時にジョージ・マイケルのバックヴォーカルとして音楽のキャリアをスタートさせ、その後もチャカ・カーンなど数々の有名アーティストのサポートを経験することになります。
高校卒業後はケント大学に進学して会計学を学び、一度はRoyal Bank of Scotlandに就職(そう、Tiwaは銀行員を経験しています)するのですが、ある時あのメアリー J. ブライジから、わずか3日後にスタートするツアーでのバックヴォーカルをやってくれないか?という突然のオファーが入りました。その瞬間、彼女は銀行を辞めることを決心したそうです。
その後Tiwaは奨学金を受けてアメリカのバークリー音楽大学に入学し、ジャズを学びながら本格的に音楽家としての道を歩み始めました。バークリーを卒業する前の2006年、彼女はイギリスの「Xファクター」に出演しますが、24人から12人に減る審査で落選してしまいます。この時のことを「落選したことは本当に辛い経験だった。人から常に見られていることを意識しなければならなかったことも。」と語っています。Xファクター出演当時は、TV放映前に結果を知りたがるマスコミの執拗な追跡があったらしく、ホテル前には常にカメラが待機していたとか。なのでホテルやレストランの予約を取る際は、「ミッキーマウス」や「ティンカーベル」などの偽名を使っていたそうです。でもそれ、逆にすぐバレそうな気もしますが。
27歳となる2007年、Tiwaは無事にバークリーを卒業します。バークリーでの思い出を「自分より若い学生たちの意欲と情熱に突き動かされた。私にはこの環境が必要だった。」と振り返ってます。またソングライティングだけでなく音楽制作全般から音楽ビジネスまで学んだことも、後々アーティストとして活動していく上では非常に重要だったと語っています。
バークリー卒業後の2009年、TiwaはアメリカでSony/ATV Music Publishingと念願の契約を結びます。この時期はソングライターとしてベイビー・フェイスやキャット・デルーナ、ファンタジア、そしてモニカなどのアーティストに曲を提供していました。その代表作を挙げると、モニカの「Catch Me」では作詞作曲者としてクレジット、また今は亡きホイットニー・ヒューストンの2009年のアルバム「I Look to You」ではバックヴォーカルを担当、そしてファンタジアの「CollardGreens&Cornbread」を書き、この曲が収録されたアルバム「Back to Me」は2011年のグラミー賞ベストR&Bアルバムにノミネートされました。(ちなみにこのアルバムからのシングル「Bittersweet」でファンタジアは最優秀女性R&Bヴォーカルパフォーマンスを受賞しています。)
2章 ~Back to Nigeria~
こうして多くの人気アーティスト達のバックヴォーカルやソングライターとして十分過ぎる程のキャリアを重ねてはいたものの、やはり一人のアーティスト「Tiwa Savage」として成功することを求めていた彼女。当時の恋人で後の夫となるTunji Balogunと共に自身のレーベル「323 Entertainment」を設立し、ソングライターとしての仕事をしながらオリジナル曲のリリースとソロアルバム制作に向けて動き出します。この頃Tiwaは活動拠点をLAに置きつつ、以前より大きく成長を見せていた本国ナイジェリアの音楽シーンに可能性を感じると共に、自分にしかできないAfrobeatsを歌いたいと思い、ナイジェリアでのデビューを目指して着々と準備を進めていきました。
まず最初のシングル「KeleKele Love」を2010年11月に、その後2011年には「LoveMe(3x)」「Without My Heart」と続けてリリース。2011年12月には新人発掘番組「Nigerian Idol」第二シーズンのプレゼンターとして番組に出演することに。
最初の2枚のシングルのミュージックビデオはLAで撮影されていますが、おそらくこの「Nigerian Idol」出演の頃には活動拠点を完全にナイジェリアに移しているのではないかと思います。そして翌2012年、Afrobeatsの名プロデューサーDon Jazzyが設立した新しいレーベルMavin Recordsと契約を交わして、2013年にファーストアルバム「Once Upon a Time」をリリース。リリースの際にはラゴスのセレブタウンIkoyiにあるWheatbaker Hotelでリスニングパーティーを開催しました。
この時点でTiwa Savage33歳。シンガーとしてはかなり遅咲きですが、だからこそデビューからここまでの一連の展開においては、バークリーで音楽ビジネスを学びアメリカの音楽シーンに身を置いてきたTiwaならではの戦略性、特に世間からの注目度をどう高めていくかという意図が感じられます。
また、1stアルバムリリースまでには予想以上の時間がかかったようで、その理由は主にサンプリング音源の法的許可や、アメリカの有名R&BプロデューサーOak Felderとのスケジュール調整があったようです。それだけこのアルバム制作には思いが込められていたようで、「パーティートラックだらけのこれまでのナイジェリア音楽とは全く違うものを提示して、他のアーティストをもっとやる気にさせたい」というTiwaのコメントにその意気込みが感じられます。
ちなみにこの1stアルバムは2014年の「Nigeria Entertainment Awards」で「Best Album of the Year」、またHeadiesでも「Best R&B/Pop Album」にノミネートされました。アルバムとしてはR&Bテイストが色濃く表れる中、現在のそれとは違う当時のAfrobeatsサウンド(BPM早めのアッパーなダンストラック)が取り入れられています。「Once Upon a Time」の収録曲の中で今のTiwaにも通ずる「Tiwa節」が強く感じられるのは1stシングルでもある「Kele Kele Love」ではないでしょうか。ちなみに「Kele Kele」はヨルバ語で「Small Small」の意味。
また、「Love Me (3×)」はHeadies 2012のBest Vocal Performance (Female) とBest R&B Singleを獲得しています。
3章 ~Breakthrough~
2014年になってリリースした「Wanted」はセクシーなボディスーツを着たTiwaの姿があまりに衝撃的で、SNSなどでも騒然となり大きな社会問題を引き起こしました。公私に渡るパートナーのTunji Balogunと前年に結婚していたTiwaに対して、「結婚した女性がやることではない」「私達ナイジェリアの伝統と道徳に反したナンセンス」「このうえないゴミ」「アメリカ人に向けてやってるのか」など多くの反論が沸き起こりました。
その反面、彼女を支持する意見も上がっていて「よくやった!Tiwa!」と声をあげた人もいたそうです。「34歳の既婚スター」(原文;The 34 year-old married star)という表現が記事に登場しているぐらい、保守的なナイジェリアではセンセーショナルなビデオだったようです。(出典はこちら)
男性優位のナイジェリア社会においてTiwaのような女性アーティストのこうした表現は世間からの攻撃が激しく、「女性アーティストは音楽業界で成功しない」と信じる人達からの敵対的な言葉を受けながらも、そうした声には耳も貸さず彼女は自分の道を貫き進んでいきました。
この1件に関しては僕の推測ですが、意図的にバズらせたのではないかと思っています。アメリカのエンターテインメントの現場で働いた経験から生まれたビジュアル戦略のように思えますし、また彼女はメアリー. J. ブライジ等のトップアーティスト達と身近に接することが出来た経験から、世間やメディアのリアクションに対してどう自分自身を保つべきかについて多くを学んだ、と後に語っています。
2014年はリリースも多く、この他に「Love in Yellow」や、Marvin Records所属アーティストによる合作「Dorobucci」、そしてアフリカ人がコミュニティを基盤とした社会投資プロジェクトへの参加を促し共有価値の創出を目指したプロジェクト「AfricaRising」に加わり、Mi Casa、Lola Rae、Sarkodie、Diamond Platnumz、Davidoらと共同でキャンペーンソングを歌いました。
また「MTV Africa Music Awards 2014」において見事「Best Female」を受賞し、その存在感をアフリカ中に示します。
そして2015年12月、2枚目のアルバムとなる「RED」をリリース。このタイトル「RED」は「Romance」「Expression」「Dance」の頭文字を取っており、客演としてDon Jazzy、Olamide、Dr SID、Iceberg Slim、2face Idibia、D'Prince、Busy Signal、ReekadoBanksらが名を連ねています(デラックスエディションでは更にWizkidとP-Squareが追加)
2ndアルバム「RED」に対しては様々な評価があったようで、賞賛する声もあれば「作詞作曲が不均一」「1stよりも劣っている」などの意見もあったようです。ナイジェリア・エンターテイメント・アワードのベストアルバムにノミネートはされましたが、高評価とまではいきませんでした。
また、このアルバムのレコーディング中だった7月にTiwaは男の子を出産し母となりましたが、その翌年には夫でありマネージャーだったTunji Balogunの金銭感覚の問題や薬物使用などが原因で離婚することになります。
しかし翌2016年の6月、TiwaはROC NATIONと契約を交わすという大きなチャンスを得ることになります。ROC NATIONとはラッパーのJay-Zが2008年に設立したレコードレーベルで、Jay-Z本人はもちろんリアーナやカルヴィン・ハリス、リタ・オラなどが所属する世界的影響力を持つエージェンシーです。その流れで翌2017年にはJay-Zが主催する「Made in America Festival」に出演を果たします。バークリーで音楽を学び、ソングライターとして下積みを重ねながらデビューの夢を追いかけていた憧れの地アメリカに、Jay-Zという強力な後ろ盾を得て彼女は戻ってくることができたのです。
4章 ~Expansion~
2017年9月、新たなEP「Sugarcane」がリリースされます。
このEPからTiwaの音楽性が大きく変わったと私は感じています。まず、これまで音楽制作上のタッグを組んでいたDon Jazzyがプロデュースから外れ、代わりにSpellzやBaby Fresh, Maleek Berry, P2Jなどの実力ある新たなプロデューサーを迎え入れることになり、このことが結果としていい方向に作用したと思います。特にNative誌のレビューについては「TiwaがAfropopを採用したことを賞賛」との記述がWikiに掲載されており、逆に言えばこのEPをリリースする以前のTiwaの音源は「Afropop」ではないとも言えるわけです。
ちなみに、現在「Afropop」あるいは「Afrobeats」と呼ばれてる音楽と、「それ以前」のナイジェリア音楽との境目は一体どこにあるのか、これは私の中でも最大の「大人の自由研究」なんですが、現在の流れの元になった重要曲を挙げるとするならば、2013年にMr.Eaziがリリースした「Bankulize」と2015年にMr.EaziがJulsと一緒に出した「Skintight」なんじゃないかと思っています。これについてはまた別な機会に詳しくご紹介したいと思います。
いずれにしてもこの「Sugarcane」からカットされたWizkidとのコラボ曲「Malo」はThe Headies 2018でベストコラボ賞を獲得するなど評価も高く、「Sugarcane」は現在のTiwa Savageに繋がる独自のスタイルを確立した作品だと言っても過言ではないと思います。
2018年8月24日、UKのグリニッジにあるアリーナ「O2」で開催されたフェス「Indigo at The O2」で、Tiwaはヘッドライナーを務めます。このイベントには他にもDon Jazzy、Reekado Banks、Dr.SID、Di'JaなどのMavin Records所属アーティストの他にも、同年3月にTiwaやMr.Eaziとのコラボ曲「Love Struck」で共演したUKのWSTRNなどが参加しています。
そして2018年11月、TiwaはMTVヨーロッパミュージックアワードで「ベストアフリカンアクト」を受賞します。このカテゴリで女性アーティストが受賞するのは初のことでした。
続いて同年12月、ネルソン・マンデラ元大統領を記念し南アフリカで開催された「グローバルシチズンフェスティバル;マンデラ100」に出演。この時に共演したアーティストはJay-Z、ビヨンセ、エド・シーラン、ファレル、コールドプレイ、アッシャーなどそうそうたる面々でした。
更に2019年3月にはロンドンで開催された「ワイヤレス・フェスティバル」への出演と、それまでのナイジェリア国内での活動から国外の大規模フェスに立て続けにジョインし、「Tiwa Savage」というブランドは着実にワールドワイドなものへとなっていきました。
そんな大きな流れの中、2019年5月に発表されたのはユニバーサル・ミュージックとの契約でした。同時にそれは古巣であるMavin Recordsを去るという決断を意味していました。
続いて7月にはビヨンセのプロデュースによる「The Lion King; The Gift」のリリース(参加曲;Keys to the Kingdom)となるのですが、このプロジェクトへの参加オファーのメールがビヨンセ側から届いた時、はじめTiwaとマネージャーは「詐欺だ」と思ったそうです(笑)。後々本物のオファーだと分かり急いでアメリカ行きのチケットを取ってスタジオに向かったとのこと。
その後9月には現在ユニバーサル傘下のMotown Recordsから初カットとなる「49-99」をリリース。このタイトル「49-99」とはフェラ・クティが1978年にリリースした「Shuffering and Shmiling」の歌詞にある「49 sittting, 99 standing」から引用されており、Pulseの記事でTiwaは「"モル"と呼ばれるナイジェリアの路線バスには49席あって、座ってる49人の他に立っている99人がいるということ。つまり金持ちが金持ちになり貧乏人が貧乏になるという不均衡を反映している」と説明しています。グローバルシングルをリリースするに当たって「私達アフリカ人が苦しんでいて、なのに笑顔でいること。そして音楽が強力なツールであるというメッセージを伝えたかった」と述べています。ここでわかるのはすでにこの「49-99」から3rdアルバム「Celia」に向かって走るベクトルが、これまで歌詞の中心だった「ロマンス」から社会的な「メッセージ性」へとシフトしていることです。これは「Tiwa Savage」のブランディングがここで大きく変わったことを意味しています。
その後すかさず2019年11月には「Attention」と「Owo Mi Da」の2曲を同時にリリース。そして2020年7月に「Dangerous Love」、8月に「Koroba」「Temptation」をリリースして3rdアルバム「Celia」の発表へと辿り着くわけです。
エピローグ ~Celia~
冒頭のプロローグで述べたように、この「Celia」は「母親に対する感謝」と、「現代を力強く生きる全てのアフリカ人女性に対するエンパワーメント」がテーマになっています。
彼女の母親であるCelia(正確にはCeciliaとの記述あり)は、Tiwaが本格的に音楽を志す上での大きな決断のタイミングで、常にTiwaがやりたいことを最優先に考えてくれたようで、そのサポートがあったからこそ大学を卒業して就いた銀行の仕事を辞める時や、バークリーに進学してもう一度本格的に音楽を学ぶという決断を下すことが出来たんだろうと思います。何しろ2回大学に行ってる訳ですし、バークリーで音楽を専攻した後に成功する保証だってない訳ですから、母親CeliaもTiwaと一緒に同じ夢を叶えたかった、というのがきっと本当のところだったのではないかと思います。
またエンパワーメントでいうと、Tiwaはこれまでにも乳がん検診の啓発活動や、故郷に学校を建設するための資金集めに携わるなど、社会貢献活動にも積極的に参加してきたアーティストです。また、これまで自身が女性アーティストとしてのヴィジュアル表現に対し世間から様々なバッシングを受けてきたことや、女性アーティストは大きな成功は収められないというナイジェリアの男性優位な社会構造、そして離婚を経験しシングルマザーであることも含めて、彼女自身が矢面に立って戦い続けた人間だからこそ、全てのアフリカ女性に対し勇気づけ励ますメッセージを発信し続けることに使命を感じているのではないかと思います。
Tiwaが築いた功績として私が感じていることは、ナイジェリア国内においては女性アーティストの地位の向上やアーティストの作家性・メッセージ性に対する啓蒙、つまり単なるパーティーチューンのAfropopではなく世界で戦えるレベルのAfropopを生み出す礎を築いたのではないかと思っています。また、アメリカ流R&BとAfropopの融合を誰よりもメジャーに、そして誰よりも味わい深く確立したことではないかと思っています。すでにR&Bアーティストの中にはTiwaフォロワーが生まれていて、以前の記事で紹介したShay Liaなどがまさにそうした存在だと思います。
またこの「Celia」で特筆すべきは、Fireboy DMLがCo-Producerとしてアルバム制作に関わっていること。彼のソングライティングセンスはデビュー当時から色々なところで賞賛されていて、普通だとデビューアルバムには同じレーベルのすでに名前が売れてる先輩をゲストにフィーチャーして注目度を上げセールスに繋げたりするんですが、Fireboyのデビューアルバムはノーゲスト。1人もクレジットされてないです。この辺が彼らしさだと思うんですが、これを機に才能豊かなFireboyもTiwaのプラットフォームを活用して海外展開が加速する可能性が高いかも知れないですね。
しかしここまで書いてきたこの「Celia」、ナイジェリア国内での評価はそれほど高くないのが現実です。NaijaLoadedのスコアで4/10点、Pulseで6.4/10点と微妙な採点。
私はこのアルバムからTiwaが発するメッセージを、「私達のアフリカ、そしてAfrobeatsには最高にクールなリズムとメロディがある。そして今、世界は私達のAfrobeatsに大注目してる。それを使ってR&BでもHiphopでもビジネスでも、あなたの好きな世界で成功すればいい。それを出来るのは、そしてそれをやって一番カッコいいのは私達アフリカ人なんだから。クールに、力強く、賢く、大胆に、あなたが信じる道を進めばいいじゃん!」そんな風に受け止めました。皆さんはいかがでしょうか?
という訳で長々と紹介してきましたTiwa Savage特集ですが、最後にぜひご覧頂きたいのが、ラゴスの有名なブックストア「Jazzhole」で収録されたTiny Desk ConcertでのJazzアレンジの楽曲たちと、
ELLEの「Song Association」に挑戦して楽しそうなTiwaの無邪気な姿。
最後までお読み頂きありがとうございました!
今年1年もたくさんのAfropopと出会い、皆さんと一緒にアフリカ旅行ができることを心から楽しみにしています。アフリカ音楽キュレーターでMetal Butterflyプロデューサーのアオキシゲユキでした!
そして今回の参照記事は以下のとおりです。
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