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サプールをめぐる冒険 第6話(コンゴ3日目)

午前4時。

薄いピンク色の朝焼けに染まったブラザヴィルの街並み。
ここでは毎朝、太陽が昇るまでの間に2回ほど、街のどこかに設置されてるスピーカーからアザーンの放送が流れます。
それをぼんやりと聞きながら、昨日のことを振り返っていました。

運よくサプールと会うアポイントが取れた。とてもラッキーだったと自分でも思う。
でも、本当に本物のサプールが来るんだろうか?サプール写真家のCHANOさんからは「最近はサプールの真似をした『なんちゃってサプール』も結構いるよ。」という話をついこの前の講演会で聞いたばかり。まさかの『なんちゃって』が来たらどうしようか?
相変わらず時差ボケのせいでフワフワとした頭の中で、そんなことをぼんやりと考えていました。
まぁ、それならそれでもいい。ネタとして考えるなら逆に面白い。
もうここまできたら「なんちゃって」でも何でもいい。とにかくサプール(あるいはサプールっぽい人)に会いたい。会わずに帰れる訳がない。

泣いても笑っても今日がコンゴ最終日。ちゃんとサプールに会って、思い出いっぱいにしてから次の目的地ケニアへ向かおう。

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モーニングの時間を待って一階の食堂に降りて行きます。
旧フランス領だった影響かどうかは定かじゃないですが、朝食に出てくるパンが美味しい。それこそどこにでも売ってそうな素朴なパンなんですが、あっさりとしているので何個でも食べられる。
今思えば、このパンとオムレツとコーヒー(コーヒーはインスタントのスティックが出てくるので自分でお湯を注ぎます)以外、実はコンゴでは大した食事を食べていませんでした。初日の夕方に食べたハンバーガーぐらいです。遥々コンゴまで来て唯一食べたものがハンバーガーって、いかに僕が食に興味がないかの表れだなと思いました。


朝食を終えたらチェックアウト。荷物はホテルで一旦預かって貰うことに。
「サプールと会った後にまた戻ってくるよ」と伝えると、「Good luck!」とホテルの男性スタッフが笑顔を返してくれました。このホテルのスタッフには初日から空港で助けて貰うなど色々とお世話になり、ここに泊ることが出来て本当に良かった。

9時を少し回ったところで表通りに出てタクシーを捕まえ、今日もまたBacongoへ。

サプールを意識したスーツ姿の僕を見て、昨日のタクシードライバーはなぜか僕をアメリカ人だと思い、今日のドライバーは「君はミュージシャンか?」と訪ねてきたので、「そうだ。新しい楽器とサウンドを探しに来た。こっちでライブもやる予定なんだベイベー。」と適当なことを返します。


昨日歩いたマツワアベニューのマルシェの前は、今日もたくさんの人でごった返し。車もなかなか前に進みません。しばらく渋滞にハマりつつも9:40には待ち合わせ場所に到着。
タクシーを降りて店の前まで歩いていく。まだ誰も来ていない。
僕に気付いた店の主人が「こっちのイスに座って待ってなよ」と席を用意してくれました。

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最初に来たのはヒゲおじさん。昨日のお礼を伝えてからタバコを差し出し2人で一服。それから間もなくしてビエン、そしてビッグブラザーも到着。
今日は二人とも襟付きのシャツを着てたので、「今日は君たちもサプールだね!」なんて冗談を言い合いながら、今日の段取りやスケジュールを確認します。
ビエン達が電話でサプールと連絡を取り合った結果、どうやらサプールは到着が少し遅れるらしいので、みんなとおしゃべりをしながらのんびりと待つことに。
昨夜のうちにサプールが来るという連絡が行き渡ったのか、時間が経つごとに周りに少しずつ人が集まってきます。まるでちょっとした催し物の雰囲気。
「コレは本物のサプールが来るな。」心の中で確信めいたものが生まれてきて、僕のテンションも徐々に上がっていきます。


待ち合わせの時間から約1時間が過ぎた頃、
「シゲ!もうすぐ来るよ!」
と、ビエンが僕に告げました。
遂にその時が来る。
サプールという存在を初めて知ってから今日までずっと待ちわびた瞬間が、このbacongoで訪れようとしていました。心の中のそわそわ感が増幅されていきます。


しばらくすると、マツワアベニューから一台の白いピックアップトラックがやってきて、サプールの到着を待っていた僕たちの目の前で停車しました。

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1人ずつサプールが車から降りてきます。
よく見れば見たことがあるサプールでした。写真集だったかネットの記事だったかは定かじゃないけど、確かに見たことがある人です。
本当に正真正銘のサプール!マジで来たよ!ヤバい!!
急いで彼らの元に向かい一人一人に御礼と感謝の意を伝えてから、まずは最初の記念撮影。

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もう、舞い上がってます(笑) 正直、手が震えました。

ビエンが「まずは車に乗ってどこか店にいこう」ということで、毎日通った「Montagne Kojack」に向かうことにしました。しかしお店はまだ開いてなかったので隣りのバルに入り、全員にビールを振舞ってまずは乾杯!

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乾杯の後に、「なぜ僕がコンゴに来たのか」という理由と感謝を伝えました。サプールの存在を知ったことがきっかけとなり、僕は板金加工という自分が培った技術を活かして金属製の蝶ネクタイを開発した。だから直接そのお礼を言うために、そしてこの蝶ネクタイをプレゼントするためにここまでやってきた、と。
おそらく初めて目にするであろう金属製の蝶ネクタイ、未知のモノを見るかの如く「コレが蝶ネクタイ?どうやって付けるんだ?」と戸惑っていましたが、付け方が分かると喜んで装着してくれました!

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最高の1枚!! でもなぜか付け方が上下逆(笑)

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なぜ逆??(笑)

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あ、あなたまで!なぜ逆なん???(笑) 面白いから敢えてそのまま。

みんなでビールを飲みながらサプールに色々質問してみました。

青木「あ、あの、好きなビールのブランドは何ですか?」

なぜそれ聞く?!それを聞いてどうする?!舞い上がってる自分が本当に情けない。

青木「もし車に乗ってて割り込まれたりノロノロ走ってるヤツがいても、あなた達平和の紳士はイラっとしないんですか?」

その質問もどうなんだ?引き出すセンスゼロ残高。

サプール「イライラしないよ。当たり前だよ。」

青木「人生で一番大切なことは何ですか?」

サプール「それは家族だ。家族と幸せでいることが何よりも大切だよ。」

聞いたら、青いスーツのキングサプールは子供が12人、孫が37人、ひ孫が50人以上もいるそう(驚)。

サプール「君は結婚してるのか?子供は何人いるんだ?」

青木「結婚してて妻がいます。でも子供はいないです。」

サプール「子供がいないのか!?どうしてなんだ?信じられない!」

青木「子供の作り方が分からないんです。キング、ぜひ僕に子供の作り方を教えて下さい!」

というと、「イッヒッヒッヒ!!」と言ってニヤニヤ。しばらくみんなで笑い合ってました。下ネタは世界共通です。

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「ココから歩いて市場まで行こう」ということになり、ステップの踏み方を教わりながらみんなで街を歩きます。

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夢のようです。

市場に到着すると、たくさんの人たちで溢れ返っていました。

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その人混みの中にどんどん進んでいくサプール達。するとそれに気づいたお店のママ達や買い物客が誰からともなく一斉に「サプール!!サプール!!」の大合唱!これには鳥肌が立ちました。それに応えるように自慢のポーズを披露するキング。

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絵になり過ぎ!なんでこんなにカッコいいんだろ。

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こうしてサプールとの夢のようなひと時も終わり、彼らに別れを告げました。

今振り返ってみても思いがけない出来事でした。
会える確約は何もなかった。本当にラッキーだったとしか言いようがありません。僕はバックパッカーの経験もないし、英語だって自主練オンリー。更に言えばコンゴはフランス語圏です。
あらためて、一人で旅するって素晴らしいなと思いました。自分が何かを越えるのか、あるいは何かが自分を越えてくるのか、いずれにしてもミラクルでした。

26歳の時、傾きかけた父の会社を立て直すために地元に戻りました。会社の借金を返すために毎日必死になって働き、10年かかってなんとか当時の借金を返し終えた頃、僕は「働くこと=借金返済」だけだった自分に気付きました。
「何のために仕事をしてるんだろう?」
これから先の自分と社員と会社の未来を見つめ直すため、2014年に「経営指針成文化セミナー」を受講して経営指針を掲げました。
その中には「ストーリーあるオンリーワンのモノづくりを目指す」という文言が入っています。脚本家が書いた物語と違って、僕たちが生きている人生のストーリーは極めてリアルです。描いたとおりにいくほど簡単ではない。でも思い描くからこそ辿り着ける場所がある。

今回のサプールをめぐる旅を通じて、僕はあらためて「ストーリー」とは何なのかを考えました。そしてそれは「生きた証」であり、また「生き方」や「あり方」なんだと思っています。
サプールは「オシャレなアフリカの人達」というステレオタイプなイメージが世間的には強いと思いますが、これだけ自分たちの「生き方」や「あり方」を「装い」という表現の中に落とし込み、洗練された美意識を持って暮らしている心の豊かさは、やはり僕にとっては今でも衝撃です。

人生で本当に大切なことや幸せについて、僕は彼らの「ストーリー」からその多くを学び、そして今でも新たな気付きを得ています。サプールを愛する日本人のひとりとして、僕は生涯をかけてサプールと共に生きていくことを決めました。

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ここに至るまでには多くの方々に支えて貰いました。
「Metal Butterfly」を応援してくれた皆さん、SAP CHANOさん、かおりさん、リーマントラベラー東松さん。Metal Butterfly製作チームのやっさん、墳ちゃん、大切な仲間と家族、そして社員のみんな。本当にありがとうございました。

そして何より、ビエン!!
彼なくしてこの奇跡は起こらなかった。僕にとってブラザヴィルの最高の友人です。
とても賢く、コンゴへの深い愛情と大きな夢を持つ若者です。
彼との出会いに心から感謝!!

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茨城の片田舎にある小さな町工場の二代目が、サプールに影響を受けてアルミで蝶ネクタイを作り、それをわざわざサプールに届けに行った。
そんなお話でした。

この後、僕はケニアのナイロビ、そしてタンザニアのザンジバル島からダルエスサラームと旅を続けました。続きはまた今度(^o^)

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