記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

これまでの記事で書き落としたことを、「似ているところの際立った差異」などから分類する,2022年11月19日


https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b

この記事の注意点などを記しました。

ご指摘があれば、
@hg1543io5
のツイッターのアカウントでも、よろしくお願いします。
https://twitter.com/search?lang=ja&q=hg1543io5

注意

 これらの物語の重要な展開を明かします。特に、『二重螺旋の悪魔』にご注意ください。

特撮テレビドラマ

『ウルトラマン』
『ウルトラセブン』
『帰ってきたウルトラマン』
『ウルトラマンコスモス』
『ウルトラマンネクサス』
『ULTRASEVEN X』

特撮オリジナルビデオ

『ウルトラマングレート』
『ウルトラセブン』

特撮オリジナルビデオ(自主制作)
『帰ってきたウルトラマン』(DAICON)

特撮映画

『ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』

漫画

『鋼の錬金術師』
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』
『るろうに剣心』
『銀魂』
『築地魚河岸三代目』
『ラーメン発見伝』
『らーめん才遊記』
『らーめん再遊記』
『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』
『絶園のテンペスト』
『ウルトラセブン ゴードの巻』(「宇宙人15+怪獣35」)
『鉄腕アトム』
『血戦のクオンタム』

『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』

テレビアニメ
『鋼の錬金術師』(2003)
『涼宮ハルヒの憂鬱』
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボールGT』

テレビドラマ

『相棒』
『SPEC 零』

小説
『ターミネーター3』
『蔭洲升を覆う影』
『時空争奪』(小林泰三)
『ティンダロスの猟犬』
『酔歩する男』
『SPEC 零』
『二重螺旋の悪魔』

『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』(web小説,書籍)

はじめに

 これまでの記事で、豆にも満たないような考察を書き落としたため、まとめました。そこで今回は、似ていると私なりに判断した物語の細かな差異などに注目した考察をまとめます。

『ギフト無限ガチャ』はイスラームの物語と言えるか

2022年11月19日閲覧

 『ギフト無限ガチャ』について、主人公達が、主人公を苦しめた3つの大きな原因のうち、種族差別に反対しても身分制度や経済格差にはあまり反対しないのが、イスラームの理想に似ていると私は記しました。
 しかし、漫画版の墓が十字架になっている、女性の高い地位を認める、服装なども西洋風で、イスラームの地域とは印象が異なるのも否めません。
 これについて、ファンタジーとして『鋼の錬金術師』を連想します。キリスト教の要素が、西洋風なので消し切れないことです。
 『鋼の錬金術師』原作は、単行本の原作者の荒川さんの解説によれば「キリスト教のある世界ではないのでバレンタインなどはない」とありましたが、主にドイツを連想させるヨーロッパ風の国で、英語もあるため、キリスト教の要素が完全には切り離せないようです。「特に信じている宗教はない」という軍人もいるのですが。
 具体的には、バリーに殺された被害者の数を十字架のイメージで示す、土葬であるなどです。
 また、錬金術の都合で、いわゆる「フラメルの十字架」、「7つの大罪」などはあります。
 ちなみに、2003年のアニメ版では、「400年前はキリスト暦があったがあまり知られていない」、「魔女狩りもあった」という解説があるので、私が見落としている中にもキリスト教の要素はあるかもしれません。
 『鋼の錬金術師』のように、『ギフト無限ガチャ』もキリスト教の要素は外せないのかもしれませんが、処刑の苛烈さなども踏まえて、イスラームを連想します。

「等価交換」は「冷たい現実」か「子供の理想論」か

 また、『鋼の錬金術師』では物理法則としての「等価交換」を、主人公の錬金術師のエドワードが人間同士の倫理にも重視するところがあります。
 それは一見冷たいのですが、2003年のアニメ版では、「頑張ったら報われる世界であってほしい」という、どちらかと言えば情のある理想としても説明されています。エドの師匠のイズミの師匠のダンテは、それを最初こそ表面的に肯定していましたが、敵対したあとは「等価交換など子供の理屈であり、努力しても報われない人間も、努力しなくても幸福な人間もいる」と否定しています。
 つまり、一見冷たい現実としてエドが主張した「等価交換」が、むしろ子供の甘い理想論として示されたのです。

等価交換と一神教の分類

2022年11月19日閲覧

 マルクスの『資本論』では、商品の等価交換から、商品を作る労働にこそ価値の源があるとされました。しかしこれを経済学で否定する観点があります。労働価値は産業資本では通用しやすいものの、イスラームの社会での商人資本では、場所によって異なる価値の商品を運ぶ差額で儲けるのであまり適用出来ず、ユダヤ社会にも多い金貸資本も、利子で儲けるので合わないともされます。
 エドの理想は、産業資本を発達させたとみられる、キリスト教のプロテスタンティズムの「倹約」などの道徳に案外近いかもしれません。
 また、ものを加工する錬金術を宗教的に批判する傾向のある、砂漠で一神教を信じるイシュヴァールの民は、イスラーム社会にも似た厳格な戒律があるようです。しかし、イスラームは商人の教えともされるので、「自然のものをいかに異なる場所で交換するかが価値の源」という、エドとは異なる努力の観点があるかもしれません。
 そして、原作終盤でエド達が等価交換に代わる倫理として「10受け取ったら1加えて返す」主張は、おまけのギャグでは利子のように解釈されており、それはそれで金貸資本の論理になったかもしれません。
 ちなみに『二重螺旋の悪魔』は、人間が搾取されるのが『鋼の錬金術師』に似ていると私は考えていますが、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの全てに共通する『創世記』の言葉が、搾取のためのある論理に繋がり、この3つの一神教からは悲惨な展開になっています。
 また、搾取のために人間を「組み立てる」かのような説明は「近代工業と同じだった」と説明され、この物語は人間を搾取する側の産業資本の説明だったかもしれません。

「優秀な」人間同士の争いをどうみなすか

 『ウルトラマンコスモス』や『ULTRASEVEN X』では、経済の観点から気になる描写があります。
 「人間のエネルギーを搾取する存在が、人間同士の争いをどうみなすか」です。
 それは似ているようで、実は微妙に異なります。
 『コスモス』では、怪獣を資源として消費するノワール星人が人間を労働力として分析するために強化する機能を持つ怪獣「ラグストーン」を用いたようです。
 『SEVEN X』のペジネラは、寄生した人間の営業や投資などの成果を上げるための頭脳を発展させて、人間社会で増殖しようとしたようです。
 しかし、微妙な差異が、「それはあらゆる人間が向上して同じ幸福を得られるか」です。
 『コスモス』の準レギュラーのカワヤは、ラグストーンで部下が強化されたときに「追い抜かれるのが怖い」というような嫉妬をコミカルに主張していましたが、それでも部下や知り合いが心配だったらしく、潜入しました。そこで部下にも同じ強化を勧められ、何故か適合しなかったところ、部下に拒絶されました。
 しかし、この部下は逆に言えば、「自分に嫉妬する上司にも同じく優秀になってほしい」という強引な善意があったかもしれません。競争で自分だけが追い抜くつもりはなかったのでしょう。
 ノワール星人も、「何故人間は怪獣を資源として利用しない?」と尋ねたり、別の怪獣を巡り交渉はしたりしているので、完全に人間の都合を考えていないわけではなく、人間の労働力を向上させるのも、ある程度は善意のつもりなのかもしれません。
 相手を分析すること自体は、相手が自分達に有害であろうとなかろうと、程度の差異はあれ、人間もするでしょうし、ノワール星人を一概には責められません。そもそも怪獣の能力を利用するのは、近年のウルトラシリーズで少しずつ主人公達もしています。
 後述する『ソリトンの悪魔』でも、異質な「生命体」を分析しようとする存在同士の接触が重要な鍵であり、相手を調べる、危険視すること自体が悪いとはみなされていません。
 やや脱線しましたが、ノワール星人やラグストーンは、人間を統一された労働力として、「みんな優秀になってほしい」とみなした可能性があります。
 一方『SEVEN X』のペジネラの場合は、営業や投資などのための頭脳の向上なので、みながその能力を得ると利益が下がる可能性があります。
 実際に、主人公のジンの仲間であるエスは、ペジネラの能力で「誰だって優秀になりたい」と話すものの、他の仲間のケイは民間人の一部が就職難なのを「負け犬」と言うところも考え合わせると、周りとの競争や差異を気にする意識が強そうです。
 産業資本の、比較的、労働量に価値が相関しやすいのがラグストーンならば、周りとの差異で価値を生み出す商人資本に近いのがペジネラかもしれません。
 ペジネラで強化された人間同士は、どちらかと言えば自分と同じ相手を「仲間」より「競争相手」とみなす傾向があるかもしれません。
 『ウルトラマンネクサス』では、人間を捕食して増殖するスペースビーストが敵でしたが、ビースト同士の争いはほとんどなく、ラグストーンで搾取される人間の成れの果てをビーストに置き換えられるかもしれません。

野生動物同士の争いと、怪獣同士の争い

2022年11月19日閲覧

 怪獣同士の争いから考えたのが、『ウルトラセブン』の未制作脚本であり、漫画化された「宇宙人15+怪獣35」です。
 ここでは、『ウルトラマン』も含めた多数の怪獣が宇宙人に操られて人間の街を攻めるのですが、ウルトラセブンを負かしたあと、人間の興奮促進剤で凶暴化させられたために怪獣同士が争い、かえって自滅して追い払われました。劇中の「共食い」という表現より、「潰し合い」というのが適切ですが。
 これは『鉄腕アトム』「赤いネコ」を連想させます。武蔵野の自然の開発に憤る科学者が動物を機械で操り、「自然の反乱」かのように東京都民を追い詰めました。無数の動物に銃が効くともみられず、都民を巻き込む可能性もあるため使えず、かなりの危機になりました。
 しかしアトムに機械を破壊されると、動物同士で争い、都民は救われました。
 つまり、野生動物などは住処を人間に破壊される被害者ではあっても、被害者同士で団結することは、それこそ自然にはあまりないのです。
 「宇宙人15+怪獣35」の脚本を記した上原正三さんは、複数の怪獣を登場させるのが好きだと『怪獣使いと少年』にあります。また、上原さんの脚本の怪獣は、迫害される沖縄の人間の象徴だそうです。しかし、上原さんは「沖縄の内部にも差別はある」と話し、沖縄全体の団結は主張しないそうです。
 上原さんの脚本で、家族であるシーモンスとシーゴラス、キングトータスとクイントータスなどを除けば、ツインテールとグドンなど、怪獣同士で争う例も多いようです。
 つまり、人間の文明や環境破壊の被害者である怪獣が、それら同士で争うのも自然のうちであり、被害者同士の団結はあまりないのが、「赤いネコ」の野生動物にも通じます。

敵同士を分断させることで、別の分断も起きる

 しかし、上原さんの脚本の主人公の戦いは、「閉塞した日常を切り裂くための能力である光を手に入れるもので、誰かを救うものではない。帰ってきたウルトラマン=郷秀樹が(初期)目の前の誰かを救うためにしか変身出来ないのも、他のところで困っている誰かを救えない意味で、結局は自分の意地のためだ」というやや悲観的な主張を切通さんはしています。ただ、『怪獣使いと少年』での解説は『帰ってきたウルトラマン』の初期の険悪な部分を強調して書いたとも、『ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ』で切通さんは補足していますが。
 「赤いネコ」と「宇宙人15+怪獣35」の微妙な差異にも、それが現れています。
 動物と異なり、怪獣同士の争いではビルが倒壊するおそれがあり、生存者がいれば巻き込む可能性があります。「赤いネコ」で「成功」と言えるのは、ほとんどの人間がビルの内部に閉じこもっていた都会で、なおかつ動物にビルを破壊するほどの能力はないためでした。
 それで救われて感謝する人間、見捨てられたと憤る人間もいるかもしれません。敵同士を争わせる分断は、場合によっては、決める人間と巻き込まれる人間の分断も引き起こすかもしれません。
 1983年のDAICON版『帰ってきたウルトラマン』や、『ウルトラマングレート』第7話では、「壊滅した地域に生存者がいるかもしれない中で大規模な攻撃をする」のを「仇を討つ」と正当化する場面がありました。
 なお、「宇宙人15+怪獣35」では、宇宙人が逃げるときに、狭い宇宙船に回収された怪獣もおり、怪獣同士で、興奮促進剤でも争わない団結が、皆無ではなかったかもしれません。
 
 

結果や勝利のために相手をおとしめることで負ける結果

2022年11月19日閲覧

 『銀魂』では、人気投票のときに、高い順位の人物でもさらに高くなろうとして、1位の銀時ですら自分の派閥全体で首位を独占しようとしました。それは、「ある分野で勝っても、自分より下だとみなす相手にだけは負けたくない」という、経済学の地位財の概念にも似ています。
 票数を金銭になぞらえれば、高所得者の競争で格差が広がるのが止められないのに似ているとも言えます。
 しかし、そのために銀時は敵対する派閥をおとしめる行動を繰り返し、やがて全体が「読者(かみ)に見放された」ことで順位を下げ、8位に満足していた新八と、その争いを引き起こすほど「踏み台」に苦しんでいた山崎が1位になりました。相手の結果を落とし合うのが、全体の悪い結果に繋がるのは、囚人のジレンマも連想させます。
 「結果が全て」という主張自体が新しい結果をもたらすという私の記事にも繋がります。

その場で決まらない勝敗や結果

 そもそも、「結果が全て」、「勝利が全て」という議論は、それ自体が勝者と敗者の存在という結果を生み出してしまうのですが、その1度の議論だけで全てが決められるわけではないでしょう。
 『築地魚河岸三代目』で、イワシの漁獲量の減少について、エコロジストの女優は築地などによる魚産業による乱獲、築地の仲卸の1人はエコロジストによるクジラの保護によるイワシへの食害が原因だとして、互いに相手の落ち度だとして言い争いましたが、築地の仲卸の長老は「黙らっしゃい!お前らがここで言い争って、どっちかが勝てばイワシが増えるのか?」と止めています。
 のちに仲卸の子供も、計画的に獲らないことが問題だと責めてはいますが、根拠の見えない中で言い争うだけでは、勝敗で良い結果は見えないのでしょう。
 『るろうに剣心』では、「強ければ生き、弱ければ死ぬ」と主張する犯罪者の志々雄による明治政府への反乱に、元維新志士の剣心が立ち向かう中で、志々雄の部下の宗次郎を負かしたあと、「勝ったから正しいのなら志々雄が正しいことになる。一度や二度の勝負で正しさが分かるなら誰も道を違えない」と主張しています。志々雄に勝ったあとも、「時代が剣心を選んだ」という説明はあっても、明治政府の問題などから、「自分達が勝っても正しいとは限らない」としています。
 つまり、そもそも「結果や勝利が全て」という議論をしたとしても、その場だけで決まらない結果や勝利があるというのが、順当な答えなのでしょう。

「疑い出せばきりのない」現実を物語で実現する

 『絶園のテンペスト』や『相棒』や『ウルトラセブン』「模造された男」では、「疑い出せばきりがない」という状況が生まれています。
 『絶園のテンペスト』では、魔法使いが、自分達の魔法の根源である「はじまりの樹」が人類の文明を滅ぼす可能性を危険視して、敵対する「絶園の樹」の能力を使おうとしました。はじまりの樹の抵抗により起きる災害で周りの住民に害をなしたため、政府の軍などから攻撃され、「軍の攻撃が我々を妨害すれば世界が滅ぶかもしれないのだ」と、説明せずに陰で批判していました。しかし、その魔法使い達にも予測出来ないほど、はじまりの樹と絶園の樹の戦いが激化し、本来科学を超越している、しかし通常の物語ならば魔法使いにとっては法則があるはずの「魔法」が魔法使いにも制御出来ず、何が起きるか分からなくなりました。そこからは政府の人間も魔法使いも議論を進めています。
 途中で、ある人間が殺人で魔法に関わる事態を引き起こした可能性が指摘され、その人物は「自分では違うと思う」と冷静に返し、そもそも最初から内面の描写があるため、少なくとも読者には「この人物が犯人ではないはずだ」と思わせる構造でした。終盤では、「その気がなくとも別の人格が隠れていたり、そのときの記憶が封じられたりするのではないか」という推測も立ちましたが、それは魔法使いの言う「魔法理論」との関連も特に解説されず、不可知論とも言えます。
 記憶喪失や多重人格は現実の科学でも理論が難しく、まして魔法使いの世界でそれが起きれば、もはや魔法の独特の論理も成り立たない「疑い出せばきりがない」状態でしょう。
 というより、魔法そのものが科学からみればそのようなものであり、「疑い出せばきりのない」論理を超えたものこそ、真の魔法かもしれません。物語の「魔法」はむしろ、「この法則以上のことは起きない」という厳密さが現実以上にあります。
 『相棒』「桜田門内の変」では、警視庁の内部で殺人事件が起こり、上層部は、「疑い出せばきりがない。鑑識も信用出来ないかもしれない」という話題にさえなりました。「狙われた女」では、逆にある事件の証拠が不自然に欠けていたことから、むしろ警察官の不正が疑われました。どちらも、主人公の右京は犯人に、警察の信用を傷付けたと憤っています。ただ、右京自身がそうでないかは何とも言えませんが。
 『ウルトラセブン』平成版「模造された男」では、地中から現れたラハカムストーンが、人間の願いをある程度叶えます。たとえば「バナナの皮に転んで、豆腐の角に頭をぶつければ良い」という罵倒が実現するほどの精密さです。ただし、物理的に可能な範囲であり、『ウルトラマンガイア』劇場版の「赤い球」のような、怪獣をゼロから作るほどではありません。
 しかし、近隣の人間の憎む相手を殺害するほどの効力はあるため、近付く人間に警察官が威圧して追い払おうとしていました。この警察官も、彼なりに超常的かつ際限の分からない人命の危機に、誠実に対処しようとしたかったのであり、彼が元々高圧的な人物かは何とも言えません。
 そして、地球防衛軍の上層部は、「分析するのも人間である以上、その欲望が危機を招くかもしれない」と手出ししにくくなり、一部の上官は「誰も信用出来ないというわけか」と自嘲のように話していました。
 一歩間違えれば、被害を防ぎたい警察官や警備員の一瞬の心の揺らぎすら、取り返しの付かない被害を出す可能性がありました。
 しかし、「一切の悪い心を追い出せ」と言うのは、宗教ならともかく仕事では無理な相談であり、その要求自体が悪ではないのか、というパラドキシカルなところもあります。
 『ドラゴンボール』の「地球の神」も、神の座を引き継ぐために、そのように悩んだ様子がありました。
 上層部の中で高圧的かつ血気盛んと言えるカジが、ラハカムストーンに関わる人物を敵だと断定して、かえって自分達に関わるロボットを暴走させるという、ある意味でこの石により可能な最大の被害を招いたあとに、「こんな石はなくなれ」と念じて実現してしまいました。しかし、ロボットの暴走さえなければ、「願いを叶える危険な石」を消すのは、むしろ誰かが叶えた方の良い願いだったかもしれません。『ガイア』劇場版では、「赤い球」で呼び出した怪獣を、呼び出したウルトラマンに倒してもらったあとに、その「赤い球」を消しましたし。
 「疑い出せばきりがない」という、人間の内面や物理法則を超越した事態は、善悪の前提すら狂わせるところがあり、それらを微妙に見分ける精密な論理が求められます。

『らーめん再遊記』で振り返る「比較分析」

2022年11月19日閲覧

 
 『らーめん再遊記』では、ラーメン店主や経営者を辞めたあと、小林秀雄などの高度な学問から、ラーメン全体を分析したり新しい「万人の形式」を生み出したりしようとしている芹沢の行動が軸になります。
 そのため、それまでの作品で紹介されたラーメンの「比較分析」なども行い、「爆食ワイルド系」という今作の分類でのラーメンを「二郎系」に分類し直すなどの整理をしています。
 そして、古いと思われた「背脂系」を他の流行やご当地ラーメンとの比較で再評価するなどの見直しもしています。
 芹沢は逆に、「ラーメン店を評価するならば、情実に縛られないように距離を置くべきだ」とラーメンフリークに勧めておきながら、前々作『ラーメン発見伝』で自分がその縛りを利用したと言われています。
 ある意味で、善悪や能力の高低で区切られていた人物や概念を、比較分析から整理し直して、逆転させる構図もあります。
 たとえば、芹沢は『発見伝』で、東大中退のラーメン・コンサルタントの天宮に「君は在学中と違って、周りが誉めてくれないからアピールしないと落ち着かないのではないか?」と言って怒らせています。しかし、芹沢も「それなりの大学を出てそれなりの企業に勤めていたのが脱サラした」と『再遊記』と振り返っています。企業を示すオフィスが大きく見えるので、「それなり」というのは謙遜かもしれず、天宮のような高学歴かもしれません。
 また、『発見伝』の劇中のテレビ番組で、「脱サラしたラーメン店主は頭でっかちで自信過剰で、それなりのラーメンしか作れずにプロになれると勘違いしている」と話し、資金を貯めるためにサラリーマンである主人公の藤本への皮肉にも聞こえますが、『再遊記』では芹沢自身も脱サラしていたことが判明しています。彼のラーメンは、料理としての完成度は高いものの、大半の客には分かりにくく失敗していたため、「それなりのラーメン」の定義次第では、自戒とも取れました。
 また、『発見伝』で芹沢のライバルとされたラーメン店主の千葉は、かつてラーメンマニアとトラブルになったことから、「俺は元ラーメン好きだが元ラーメンマニアじゃない。こいつ(藤本)みたいのは気持ち悪い。ラーメンマニアが店を振り回して業界を駄目にする」と話していました。それにラーメンマニアとして有名な宮部は、千葉の経歴や自分のサイトの招いた被害などから言い返せませんでした。藤本はラーメン屋台で修行していたので千葉の言う「マニア」を超える技能はあったものの、「マニアが悪い」という視点は崩せるかに限界のある議論でした。
 しかし『再遊記』序盤では、千葉も「俺もマニアだった頃」と振り返っており、「マニアと好きの区別に限界があった」とみなしたかもしれません。
 藤本も「マニアとオタクは違う」というようなことは言いますが、その区別も曖昧でしょう。
 ある意味で、比較分析は、「主人公達と悪役達は本当に異なるのか」という疑問にも繋がるかもしれません。
 先述した『相棒』の右京が、他の警察官の不正を責めつつ自分の違法捜査に甘いところにも通じるかもしれません。
 

人間のレベルを測る天使を超える人間

 『ドラゴンボール超』では、人間のレベルを測る神々自身のレベルはどうなのか、という問題があると私はみなしています。「結果」、「勝利」に並ぶと言える、「実力」に近い「レベル」が、測るにも同じ「レベル」を要する同語反復のパラドキシカルなところが悩ましいと言えます。
 そこで、レベルを測る、現時点で高みにいると言える天使を超えるかもしれない人間として、亀仙人を挙げます。
 『ドラゴンボール』シリーズでは、特に後半で、「戦闘力」という1つの値でほとんどの強さが決まる一元的なところがありましたが、それはSFの要素が強い宇宙人とであるラディッツとの戦い以降で、ピッコロ戦までは、仙人や神が中華風の武闘家に修行を付ける神秘的、宗教的なところがありました。「空のように静かに構え、雷のように動く」などです。
 『ドラゴンボール超』漫画版では、破壊神に追い付くために修行する孫悟空が、「パワー」を上げるために体に負荷をかけていました。しかし、悟空に初期に修行を付けながら、それまであまり、というより長らく役に立つ描写のなかった亀仙人が、「パワーや戦闘力などに囚われるな。今までの師匠から何を教わって来た」と注意して、戦闘力やパワーでは最低レベルでありながら、最強格の敵のジレンを苦戦させました。
 その動きは、宇宙で5本の指に入る大神官の息子の天使のウイスが破壊神のビルスや悟空に教えていた、体が相手の攻撃に勝手に反応する「身勝手の極意」に近い原理でした。
 ジレンに敗北した亀仙人について、ウイスは「生き残るより大事なものを見せたかもしれない」という評価をくだしています。
 また、亀仙人や悟空を含む人間が負ければ消されるはずの立場だったビルスも、このときは、自分にも完全には出来ない「身勝手の極意」を亀仙人が使えたのかと悔しがる、つまり死ぬことより自分の実力や勝利が崩れ去るのを恐れる感情がみられました。
 普段自分の快楽や安全ばかり重視する傾向のある破壊神が、それより「人間が自分の実力を超えた」ことを重視したわけです。なお、『ドラゴンボール超』アニメ版ではフリーザも、失格になってでもジレンを殺そうとする、「命よりプライドを優先する」ところがありました。
 こうして、弱そうな亀仙人の番狂わせが、人間や破壊神の「レベル」を上げたかもしれません。

分かりやすく指導出来る人間

 また、悟空の師匠の中では、「地球の神」や北の界王や天使の宗教的な修行が重要なようですが、天使もパワーに頼らない修行を教えていたのなら、亀仙人はたとえ勝敗では劣っても、天使より悟空に「分かりやすく指導する」点では優っているかもしれません。
 「地球の神」も、自分より弱いはずの亀仙人に、悟空を指して「良い弟子を育てたな」と言ったことがありました。つまり、弱くても戦いの指導をする「レベル」は高いかもしれないのです。悟空が悟天やトランクスに指導したのもそうかもしれませんし。
 「地球の神」を悟空が追い抜いたのは、「地球の神」の「悪の分身」であるピッコロが彼にも見切れないほどの速さで戦った頃でした。しかし、それはあとから振り返れば、サイヤ人である悟空とナメック星人であるピッコロの戦闘力の高さによるもので、宗教的、神秘的な「パワーに頼らない動き」が軽んじられるきっかけでもあったかもしれません。
 それがかえって、人間のレベルを下げており、それを天使は気付きつつ、天使以上にその点の指導が上手い亀仙人が破壊神すら驚かせたのが、「生き残るより大事な何か」、「レベルを測る天使を超える人間の存在を示すこと」だったかもしれません。
 

「悪人ばかり狙っていないか」という災厄

2022年11月19日閲覧

2022年11月19日閲覧

 
 『ターミネーター』や『ウルトラマンネクサス』や『蔭洲升を覆う影』や『SPEC 零』には、「悪人ばかり狙う災厄」のように思える存在がいます。
 『ターミネーター』で未来から目標の殺戮などを目指して活動する潜入型マシン「ターミネーター」は、服ごと時間移動出来ないときに、それを人間から奪うことがあります。しかし、その方針は、「悪人から奪う」という判断があるかもしれないと推測しています。
 第1作でも『2』でも、ターミネーターはいかにも素行の悪そうな服装の人間からばかり、そのような治安の悪そうな場所で奪っています。それは「悪人に罰を」といった善意や価値観、つまり意見があるのではなく、単に「そのような人間は服を奪われても、元々後ろめたいので通報しにくいだろう」という推測をしている可能性があります。
 逆に『3』小説版では、女性型で「自分の容姿には、任務に必要な範囲の外では無関心」なターミネーター「T-X」が、全裸の自分を見た女性が「大変!警察を呼ぶ?」と出来る限り良心的な対応をしているのを殺害して車を奪っています(服は液体金属で偽装したようです)。
 これは、T-Xが自分の偽装能力を事実寄りの推測として高いとみなし、良心的な人間のいる場所で犯罪をしても隠し通せるとみなしたためで、『2』までのターミネーターにはそこまでの自信がないために、通報しにくそうな、悪そうな人間を狙ったのかもしれません。
 『3』小説版では、T-Xは人間離れした武装を見られても、「アメリカ特有のある経済階級であろうあの人間は、教育もまともに受けていないだろうから、自分を目撃しても任務の障害ではない」と推測して口封じなどをせずに立ち去り、「野蛮な人間は自分の悪事を周りに通報するようなこともしないだろう。ならば殺す必要はない」とみなした可能性があります。
 つまり、「素行の悪そうな人間」にとって、人間社会に潜入したい超常的な存在は、自分が通報出来ないような状況で悪事をしたり、逆に自分が通報しなさそうなら見逃したりする可能性があるわけです。
 皮肉にも、第1作や『ジェニシス』などでは、人間もターミネーターと同じく、「人目に付かない、態度の悪そうな、つまり通報しにくそうな人間から服を奪う可能性」があり、人間が機械に近付く危険もありました。
 『2』では、警察官になりすまして人間を殺害するつもりのT-1000が、事故に遭ったように見える自分を心配する人間を殺害したり、ヘリコプターの中で人間を殺さずに地上に落としたりしています。つまり、「人間に見えるターミネーターを心配する人間はターミネーターの、一般的に見て悪事である行いの邪魔だから殺す。人間が自らの心配しかしないならば、危険なターミネーターの悪事の邪魔はしないだろうから殺さなくても良い」というような判断をしたかもしれません。

分断させられる人間の被害

 『ウルトラマンネクサス』では、人間を捕食して増殖するスペースビーストが、何故か素行の悪い人間を多く狙う様子があります。
 観光バスの運転を妨害する酔っ払った客、落書きをする若者、大音量で音楽を鳴らして空中のビーストに気付かず運転をする人間、不法投棄をする人間などです。
 しかし、別荘やキャンプに来ただけの人間も襲われていますから、悪人ばかり狙うという断定も出来ません。
 元々ビーストが人口密集地に来られないように、防衛組織が見えないバリアを張っていたのですが、それで人口の少ないところにいる人間ばかり狙われ、そこでは治安が悪くなっていた可能性があります。
 ここでは、人口の少ない、あるいは治安の悪い地域ばかりビーストに狙われ、さらに人が減ったり移り住んだりする循環や分断がされる可能性があります。
 犯罪心理学における、「割れ窓理論」のようにです。
 『蔭洲升を覆う影』でも、主人公の男が奇妙な言動をする老人に突然暴力を振るい、そのあと怪物に襲われるときに、知り合いの女性に助けを求めると、女性は男の行動を見ていたからと見捨てました。
 しかし、その女性もその場で老人を助けなかったところから、「厄介なことに巻き込まれたくない。だから被害者も加害者も助けない」という悪行の連鎖をしているとも言えます。
 そして、何故か女性も怪物に襲われ、男の妻にされたようです。
 この怪物は、一般的な基準から見ても悪いことをした人間ばかり狙う、悪行の連鎖を利用するところがあるかもしれません。
 『SPEC 零』小説版及びドラマ版で、超能力者のナンシーは、元々治安の悪い地域で活動していたものの、電気を司る超能力で、犯罪組織の口座の資金を無意識に盗んでしまい、「手段ではなく結果を問う」組織の方針で殺されかけました。そこで、超能力の事情を知り、持っているが使わない警察官の当麻に救われました。そのため、口が悪いながらも、本シリーズの超能力者としては謙虚なところもあります。
 しかし、彼女は「自分の能力が無意識に良い人も傷付けるかもしれない」と恐れる様子がなく、元々本作の超能力は人間の内面に関わる様子があるため、ナンシーの超能力は暴走しても、彼女にとっての「悪人」しか狙わないのかもしれません。
 このように、超常的な能力や行動体系を持つ機械や怪物や超能力者の一部には、社会に潜入したり、知られるのを避けたりするために、「悪い人間」ばかり狙うところがみられます。

『血戦のクオンタム』の「貧富」と「善悪」の分断

 この意味で私が注目するのは、漫画『血戦のクオンタム』です。
 歴史上で水素を発見したキャベンディッシュが、生まれ変わり、「物質の状態は観測して決まる」量子力学の法則から、水素を発見したためにその量を調整する能力を授かり、歴史を狂わせる「ペリル」という怪物と戦います。
 この怪物は、痴漢をする人間を狙ったところから、悪い行動をした人間を標的にするのかと、最初に私は考えました。
 しかし、当時のイギリスの衛生的に劣悪な環境で、川のゴミを拾う貧しい子供も襲われており、「貧しい人間も巻き込む」のは、『ネクサス』のビーストと地域格差の問題に似ています。
 ビーストが人口の少ない地域の人間ばかり捕食するように、この『血戦のクオンタム』の怪物も、貧富の格差などで分断され、身を守りにくい人間ばかり狙うのかもしれません。
 なお、キャベンディッシュは親の遺産で生活しており、人間関係を構築するのも怠る「選択」をしていたと指摘されています。
 貧富の格差を批判するために『資本論』を書いたマルクスやエンゲルスも、元々は豊かな家庭の生まれのようです。貧富の格差による治安などの問題を、豊かだったために何らかの強さを持つ人間が、突然そこから外れて解決を目指すのは、『血戦のクオンタム』のキャベンディッシュにもマルクスにも通じるかもしれません。
 この物語では、「怪物に狙われるような貧しい人間は元々悪いことをしている」というような偏見や分断や突き放しが描かれるかもしれません。

時間を操作する側の時間に沿ったエントロピーと生命

2022年11月19日閲覧

 『酔歩する男』では、タイムトラベルを目指す男が、「時間逆行を禁止する物理法則の例外を見つけることで時間をさかのぼろうとしたが、そもそも禁止する法則が見つからない。エントロピー増大も、時と共に流れると言っているだけで、時間の流れを前提としている。時間の流れを決めるのは人間の意識だ」という理論で、量子力学の、観測が対象の状態を確定させることから、人間の脳の時間を認識する器官を破壊することで時間移動の能力を手に入れようとしました。
 しかし、起きている間は、目を閉じても上下が分かるように周りの器官が感覚を補うので移動出来ず、眠る度に意識だけ別の時間に跳んで起きるランダムなタイムリープを繰り返しました。
 その中で、タイムトラベラーは、「体が一定の空間の領域に広がるように、時間の領域に広がる存在を垣間見た」と述べて、「よたばなし」だと言われました。
 しかし私はこれに、クトゥルフ神話としてタイムトラベルに関わる『ティンダロスの猟犬』を連想しますが、ある種の物理的な解釈を行いました。「並行世界のエントロピーを排出する、自己組織化された並行世界の何か」です。
 エントロピー増大を時間の流れの根拠として否定しつつも、このタイムトラベルには独特のエントロピーのようなものがあります。時間をランダムに飛び続けて、生活が狂い始めると、たとえば受験をする前に跳ぶと、ランダムな移動で勉強どころでなくなり、合格発表の日に着いても、合格しない確率の方が圧倒的に高くなるとされました。つまり、ある種の難しい状態を、ランダムな変化によって、達成するよりしない確率の方が圧倒的に高い意味で、彼は並行世界のエントロピーを増大させたとも言えます。それは通常の時間を戻しても、タイムトラベラーの主観的な時間に沿って増大するもので、不正確な表現では、「無秩序」、「乱雑さ」とも言うかもしれません。
 そして、タイムトラベラーがエントロピー増大の法則に僅かに反論した、「生物などは秩序を持った構造になる」というのは、「局所的なエントロピーの減少」であり、総合的には外部も含めたエントロピーは必ず増大するので、あくまで問題の先送りにしかならないはずですが、実はこれに、「時間の中に広がる存在」の鍵を見出しました。
 つまり、並行世界を移動して狂わせるとしても、それに一定の数学的な「パターン」とも言うべき構造があれば、たとえば劇中で挙げられた、タイムトラベルの日の周りに移動するときには一定の動きをするとある程度決まっていれば、エントロピーの増大が多少は抑えられるかもしれません。
 生物以外にも、何らかの法則のある物体や集合体は「自己組織化」として、エントロピーの増大を抑える動きがあるそうです。プリコジンの研究した、鍋で沸騰するお湯の中に六角形の蜂の巣のような構造が生まれるようにです。
 海水だけで、非線形の「ソリトン」という動きから生命体として振る舞う存在を描いたのが、『ソリトンの悪魔』です。
 どこかのnoteに、タイムトラベルをエントロピーや粒子の集合や相対性理論から考察したSF小説を書いたクリエイターがいたような気もしますが。
 また、暗黒物質が自己組織化する小説を書いたクリエイターもいた気がしますが。
 並行世界にも、タイムトラベルによりエントロピーが増大しても、ある程度それを抑える、あるいはエントロピーを追い出す存在が「ある」あるいは「いる」ならば、それは時間軸上の生物と言えるかもしれません。
 たとえば、同じ小林泰三さんの『時空争奪』では、川の流れが別の川に奪われるように、宇宙の異なる歴史同士が、エントロピーを押し付けるための歴史の奪い合いを行うとされました。歴史そのものがエントロピーを排出する生命と言えるかもしれません。
 『涼宮ハルヒの憂鬱』アニメ版では、未来人、宇宙人、超能力者がいますが、主人公のハルヒが自覚せずに時間を戻すのを繰り返したときに、未来人の帰るべき未来は消失し、時間を超越した宇宙人はその繰り返しを認識していました。ただ、自分からは教えられないようなので、「タイムトラベルについて教えられないこと」、「知ってはならないこと」もあるかもしれません。『酔歩する男』のホラーにも繋がります。
 「超時間の生命」とも言えるでしょうか。
 
 

まとめ

 似通った物語の微妙な差異を見ることで、さらに深く考察出来るところもあるようです。 

参考にした物語

特撮テレビドラマ

樋口祐三ほか(監督),金城哲夫ほか(脚本),1966-1967,『ウルトラマン』,TBS系列(放映局)

野長瀬三摩地ほか(監督),上原正三ほか(脚本),1967 -1968(放映期間),『ウルトラセブン』,TBS系列(放映局)

本多猪四郎ほか(監督),上原正三ほか(脚本),1971,『帰ってきたウルトラマン』,TBS系列

大西信介ほか(監督),根元実樹ほか(脚本) ,2001 -2002(放映期間),『ウルトラマンコスモス』,TBS系列(放映局)

小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)

八木毅ほか(監督),小林雄次ほか(脚本),2007,『ULTRASEVEN X』,TBS系列(放映局)

特撮映画

小中和哉(監督),長谷川圭一(脚本),1999,『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』,松竹(配給)

特撮オリジナルビデオ

神澤信一ほか(監督),武上純希ほか(脚本),1998 -2002(発売日),『ウルトラセブン』,VAP(発売元)
會川昇ほか(原案),鈴木清(プロデューサー),テリー・ラーセン(脚本),アンドリュー・プラウズ(監督),1990,『ウルトラマンG(グレート)』,バンダイビジュアル

特撮オリジナルビデオ(自主制作)

庵野秀明(総監督),岡田斗司夫(脚本),1983,『帰ってきたウルトラマン』,DAICON FILM

漫画

佐々木善章,大地幹,2022-(未完),『血戦のクオンタム』,コミックDAYS連載中

中村宏治・一峰大二(著者),2017,『ウルトラセブン 宇宙人たちの地球侵略計画』,マイナビ出版(一峰大二,2007,『ウルトラセブン ゴードの巻』,実相寺昭雄・上原正三,「宇宙人15+怪獣35」

荒川弘(作),2002-2010(発行),『鋼の錬金術師』,スクウェア・エニックス(出版社)

空知英秋,2004-2019(発行期間),『銀魂』,集英社(出版社)

城平京(原作),左有秀(構成),彩崎廉(作画),2010-2013(発行期間),『絶園のテンペスト』,スクウェア・エニックス(出版社)

鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)

鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)

和月伸宏,1994-1999(出版社),『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』,集英社(出版)

鍋島雅治/九和かずと(原作),はしもとみつお(作画),2000-2013(発表期間),『築地魚河岸三代目』,小学館(出版社)

久部緑郎(作),河合単(画),2002-2009(発行期間),『ラーメン発見伝』,小学館(出版社)

久部緑郎(作),河合単(画),2010-2014(発行期間),『らーめん才遊記』,小学館(出版社)

久部緑郎(原作),河合単(作画),2020-(未完),『らーめん再遊記』,小学館

井上純一/著,アル・シャード/企画協力,2019,『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』,KADOKAWA

手塚治虫,2003,『鉄腕アトム』,小学館

作画/大前貴史,原作/明鏡シスイ,キャラクター原案/tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,講談社

テレビアニメ

大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)

清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
内山正幸ほか(作画監督),上田芳裕ほか(演出),井上敏樹ほか(脚本),西尾大介ほか(シリーズディレクター),1986-1989,『ドラゴンボール』,フジテレビ系列
水島精二(監督),會川昇ほか(脚本),2003-2004,『鋼の錬金術師』,MBS・TBS系列(放映局)
谷川流(原作),西屋太志(総作画監督),涼宮ハルヒとやっぱり愉快な仲間たち(シリーズ構成),2009,『涼宮ハルヒの憂鬱』,tvkほか(放映局)

テレビドラマ

橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完),『相棒』,テレビ朝日系列(放送)
植田博樹ほか(プロデュース),西荻弓絵(脚本),2010,『SPEC~零~/警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿』,TBS系列(放映局)

実写映画

ジェームズ・キャメロン(監督),ジェームズ・キャメロンほか(脚本),1984,『ターミネーター』,オライオン・ピクチャーズ(配給)
ジェームズ・キャメロン(監督),ジェームズ・キャメロンほか(脚本),1991,『ターミネーター2』,トライスター・ピクチャーズ(配給)
ジョナサン・モストゥ(監督),ジョン・ブランカートほか(脚本),2003,『ターミネーター3』,ワーナー・ブラーズ(配給)
マックG(監督),ジョン・ブランケットほか(脚本),2009,『ターミネーター4』,ソニー・ピクチャーズエンタテイメント(配給)
アラン・テイラー(監督),レータ・グロリディスほか(脚本),2015,『ターミネーター新起動/ジェニシス』,パラマウント映画(配給)

小説

デヴィッド・ハグバーグ(著),富永和子(訳),2003,『ターミネーター3』,角川書店

西荻弓絵(原案),里中静流(原作),豊田美加(ノベライズ),2012,『SPEC~零~』,角川文庫

H・P・ラヴクラフトほか(作),東谷真知子ほか(訳),1983,『クトゥルー 4 邪神の復活』,青心社(『ティンダロスの猟犬』)

小林泰三,2008,『天体の回転について』,ハヤカワSFシリーズ(『時空争奪』)

菊地秀行/他,2000,『クトゥルー怪異録 邪神ホラー傑作集』,学研M文庫(小中千昭,『蔭洲升を覆う影』)

小林泰三,1999,『玩具修理者』,角川ホラー文庫(『酔歩する男』)

梅原克文,2010,『ソリトンの悪魔』,双葉文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(上)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(下)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 上』,朝日ソノラマ
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 下』,朝日ソノラマ

明鏡シスイ,『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,小説家になろう(掲載サイト)
https://ncode.syosetu.com/n9584gd/
2022年11月19日閲覧

明鏡シスイ,tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,ホビージャパン

参考文献

佐藤優,2016,『資本主義の極意』,NHK出版
マルクス(著),エンゲルス(編),向坂逸郎(訳),1969,『資本論 1』,岩波文庫マルクス(著),エンゲルス(編),向坂逸郎(訳),1969,『資本論 2』,岩波文庫
池上彰,佐藤優,2015,『希望の資本論 私たちは資本主義の限界にどう向き合うか』,朝日新聞出版
斎藤幸平,2020,『人新世の「資本論」』,集英社新書
斎藤幸平,2021,『NHK 100分de名著 カール・マルクス『資本論』』,NHK出版
佐藤優,2014,『いま生きる「資本論」』,新潮社
細江達郎,2012,『知っておきたい最新犯罪心理学』,ナツメ社,p.148
切通理作,2000,『怪獣使いと少年』,宝島社文庫
切通理作(編・著),1997,『ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ』,三一書房
池上彰,2009,『高校生から分かる「資本論」』,ホーム社
戸田盛和,1999,『ソリトン,カオス,フラクタル,非線形の世界,物理読本』,岩波書店
都田潔/著,2009,『自己組織化とは何か 自分で自分を作り上げる驚異の現象とその応用 第2版』,ブルーバックス
マックス・ヴェーバー(著),大塚久雄(訳),1989,『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』,岩波文庫
渡辺昭,1995,『資本の世界史 経済政策綱領』,税務経理協会
佐藤直樹,2014,『エントロピーから読み解く生物学 めぐりめぐむ わきあがる生命』,裳華房

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?