記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

物語の「名言」、「名台詞」には、限定的な状況でしか成り立たず、「暴言」になりかねないものもある危険性の考察


https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b

この記事の注意点などを記しました。

ご指摘があれば、
@hg1543io5
のツイッターのアカウントでも、よろしくお願いします。
https://twitter.com/search?lang=ja&q=hg1543io5




注意


これらの重要な展開を明かします。

特に、PG12指定の映画『ターミネーター』シリーズにご注意ください。

特撮テレビドラマ

『ウルトラQ』
『ウルトラマン』
『ウルトラセブン』(昭和版)
『帰ってきたウルトラマン』
『ウルトラマンティガ』
『ウルトラマンガイア』
『ウルトラマンコスモス』
『ウルトラマンネクサス』
『ウルトラマンメビウス』
『ウルトラマンギンガS』
『ウルトラマンX』
『ウルトラマンオーブ』
『ウルトラマンジード』
『ウルトラマンR/B』
『ウルトラマンタイガ』
『ウルトラマンZ』
『ウルトラマントリガー』
『ウルトラマンデッカー』
『ウルトラマンブレーザー』
『仮面ライダーW』

特撮映画

『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』
『ウルトラマンコスモス THE FINAL BATTLE』
『ウルトラマンギンガS ウルトラ10勇士』
『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』

実写映画

『ターミネーター2』
『ターミネーター3』
『ターミネーター4』
『ターミネーター・ニュー・フェイト』


ネットオリジナル特撮

『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』

特撮オリジナルビデオ

『ウルトラセブン』(平成版)

漫画

『キミのお金はどこに消えるのか』
『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』
『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』
『NARUTO』
『北斗の拳』
『鋼の錬金術師』
『賭博黙示録カイジ』
『銀魂』

テレビドラマ

『西郷どん』
『潜水艦カッペリーニ号の冒険』

テレビアニメ

『鋼の錬金術師』(2003)
『NARUTO』
『NARUTO 疾風伝』
『銀魂』

小説

『ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント』

はじめに

 私は幾つかの物語から何かを学べるか考えていましたが、それらで、ネットなどを見る限り「名言」、「名台詞」と呼ばれているものの中には、冷静に考えると限られた場でしか成立しない、他の場で安易に使えば役に立たないどころか「暴言」になりかねないものもあると最近考えました。
 その「名言」、「名台詞」を聞いて直ぐに反論の思い付いたものではありませんが、だからといって無視するわけにもいかず、むしろその偏りや視野の狭さから見出せることもあるのではないかと考えて、ここにまとめます。

『仮面ライダーW』の「拳銃を作る人間は犯罪者か?」は、現代日本なら「その通り」である

 『仮面ライダーW』で、人間をドーパントという怪人に変身させるガイアメモリを製造したフィリップは、それを探偵の助手の翔太郎に批判されて、ガイアメモリは強化するだけで洗脳しているわけではないらしいので、「拳銃を作っている工場の人間は犯罪者か?違うだろう?使う奴が悪い」と反論しました。
 これがネットでは「名台詞」のようにみなされており、そもそもガイアメモリでのちにフィリップと翔太郎が仮面ライダーダブルに変身してドーパントに立ち向かうので、確かに製造自体が悪という扱いではありませんが、勘違いしてはならないのは、「日本では拳銃の製造自体が違法であること」です。
 現実の法律をたとえに持ち出すならば、「作ることと使うことは違う」と言いたいのかもしれませんが、どちらも「別の罪」であって、犯罪になることに変わりはないはずです。
 仮面ライダーダブルになるにしても、拳銃でたとえるならば、その場で犯罪者を止める1回限りなら正当防衛や緊急避難かもしれませんが、それを繰り返して普段から持ち歩くのではさすがに法律に触れる可能性はあります。

『ティガ』の「人間が武器を捨てれば怪獣は出なくなる」、「怪獣は人の心が生み出す」の反例である『トリガー』

 『ウルトラマンティガ』では、地球の人間社会が武装を放棄して、そこに怪獣が現れて調査組織のGUTSが防衛戦力を増やすことに、隊長のイルマは警戒する傾向がありました。イルマは、参謀の1人が怪獣のデマを流しているうちに本当に現れたことから、「怪獣は人の心が生み出すと思わない?」と言っています。
 また、人間の科学技術による電磁波で、元々は無害であるものの共食いの性質がある生物のクリッターが怪獣「ガゾート」になり共存出来ないとみなされたことについて、電磁波対策をすべきかクリッターのうちに滅ぼすべきかという議論になっていました。ガゾートにより恋人を失ったマユミは、「人間が武器を捨てれば怪獣なんて出なくなる」と言いました。
 しかし、リメイク作『ウルトラマントリガー』では、明らかにそれに反する事態が起きています。序盤から、隕石が当たっただけで敵のカルミラの封印が解けて怪獣を操って人間を攻撃したためです。これ以降も、ガゾートはカルミラの仲間に操られただけで電磁波との関連は指摘されず、むしろ怪獣のバリガイラーや宇宙人のイグニスが怪獣の被害を招くことや、その怪獣のバニラとアボラスの毒が環境を破壊する危険が指摘されており、人間のせいではない災いが多々起きています。
 

『NARUTO』のネジの「運命は変えられない」は歴史や他の「闇」を知らない発言である

 『NARUTO』の木ノ葉隠れの里の忍者の日向ネジは、里と日向一族の都合で父親が切り捨てられ、自分より能力の劣る宗家のいとこのヒナタが優遇されることへの怒りなどから、「運命は変えられない」と主張し、木ノ葉の忍者の代表である火影を目指すナルトに「火影になるような忍者は元々決まっている」と否定しました。
 実際に、ナルトが四代目火影のミナトと、初代火影の遠縁のうずまき一族のクシナの子供で、最終的に七代目火影になっているところから、「その通りではないか」という指摘もネットにみられます。
 しかし、では火影が全員「生まれながらの運命」に従っていたかと言われれば、それは明らかに歴史を知らない台詞です。
 そもそも初代火影の柱間と弟の二代目火影の扉間の時点では木ノ葉隠れ自体がなく、彼らの千手一族は先祖の頃から他の一族と争ってばかりで、それを柱間の代で変えたからこそ木ノ葉隠れの里や火影の制度が生まれたのです。
 さらに、ネジはそう発言した中忍試験では落ちましたが、その試験自体が、柱間が未熟な忍者を若いうちに死なせないための教育の善意の結果でした。「簡単に火影になれない」こと自体がむしろ「柱間の世代で運命を変えた結果」だったのです。
 ネジの台詞を聞いていたとみられる三代目火影のヒルゼンも、二代目を助けられなかったことで跡を任じられたところがあり、実力が中途半端だからこそ火影になってしまったとも言えます。
 四代目火影のミナトは、ナルトの父親であること以外に特別な血縁関係が見当たらず、そもそも優秀な一族だったか分かりません。
 また、のちの五代目火影の綱手は柱間の孫ですが、何故か彼女の時点で千手一族が他に見当たらず、廃れている可能性があります。「運命」からも微妙です。
 これらの歴史をネジが知らないのは、意見としては教えない先の世代の責任の方が大きいでしょうが、「無知」である事実としては揺るぎません。
 このように、ネジの「運命は決まっている」というのは、火影に限ってもきわめて視野の狭い発言でした。
 ネジがそれに気付かないのは、自分が言い負かしたつもりのヒナタとナルトが、それぞれ気弱あるいは直情的あるいはネジと同じく無知だったために過ぎません。

 また、ネジとは別の意味で悲観的あるいは高圧的だったサスケは、一族を兄に殺されたことの恨みで様々な問題を起こしたものの、ネジとはほとんど会話していません。
 ネジはナルトにより変化したあと、「俺を闇から救い出したナルトなら、サスケも変えられる」と言ったものの、その「闇」の方向性がかなり異なり、直接話せば噛み合わない可能性があります。
 サスケは兄への復讐にこだわるものの、勝てるか勝てないかは断定せず、むしろネジの発言を聞けば、「俺は一族を兄に殺される運命だったのか?ふざけるな」と言って、ネジを混乱させる可能性もありました。
 結局のところ、ある意味で主人公のナルトに挑戦して疑問を呈する「敵役」に近かったネジとサスケは、直情的でまだ無知だったナルトとそれぞれ議論しているために言い負かされにくかっただけで、2人が争えばかえって互いの視野の狭さが露呈したとも言えます。
 「主人公補正」という言葉はしばしば聞きますが、私は悪役が他の悪役と争わずに主人公ばかり責める「悪役補正」というものもあると考えており、サスケとネジの問題もそれに近そうです。

『ターミネーター2』の「男だけが悪い」は続編で否定されている

 『ターミネーター2』では、未来から来たターミネーターの技術を利用しているうちに、新しい未来でさらなるコンピューターの暴走による核戦争を招くことになると知った技術者のダイソンが、それを責めるサラ・コナーに「私に未来のことが分かるわけないだろう」と言ったものの、サラはさらに激昂し、「あんたみたいのが水爆を作ったのよ。男達が作ったのは死と破壊だけ」と言いました。その場で息子のジョンは「今それどころじゃないだろう」とたしなめましたが、この台詞はのちの作品で否定されているところもあります。
 『2』の続編であり、サラが病死した『ターミネーター3』では、女性型のターミネーターが現れています。単に外見だけとも言い切れず、姿を変えられるはずが、その女性の顔のまま軍事施設の制服を着て潜入したことから、「当時のアメリカでは、女性が軍事に関わることもある」と示されています。
 『2』や『3』との関連が曖昧なようですが、『ターミネーター4』では、ターミネーターを操る機械軍のコンピューターのスカイネットが主に女性の顔を使うこともありました。そのもとの女性にしても、非人道的な人体実験に参加していた可能性はありました。
 『3』と分岐した『2』の続編『ターミネーター・ニュー・フェイト』では、サラ達が潰したコンピューターのスカイネットとは異なるAIのリージョンが別の未来でターミネーターを生み出して人類を追い詰めるものの、のちに新しい抵抗軍に関わるとされた少女のダニーについて、サラは誤解していました。病死していないサラはダニーを抵抗軍の指導者の母親と思い込んだのですが、指導者本人でした。つまり、「男が作るのは死と破壊で、女が産んで来た」というサラの言葉への反論とも考えられます。

『鋼の錬金術師』のエドワードは「等価交換」で人命を切り捨てたことはないはずである

 『鋼の錬金術師』原作で、錬金術師のエドワードは、劇中の錬金術について、質量保存の法則などの「何かを得るためには同等の代価が必要である」等価交換の法則を述べて、人間同士にもそれを適用して、見返りがなければ助けない冷たい人物のように描かれることがあります。
 それを現実の政治や法律や経済に適用するような議論もネットにみられ、元々幼い頃のエドを含む弱者にこの物語は厳しいところもありました。
 しかし誤解されているようなのが、エドは人の命を助けない言い訳に「等価交換の法則」を使ってはいないことです。
 たとえば、重税で苦しむ炭鉱の人間に、黄金を錬成して助けてほしいと頼まれて「等価交換」を理由に断って、その炭鉱の少年のカヤルを怒らせたことはありましたが、それ以前に軍人に斬り殺されそうになったカヤルをエドは見返りなく助けていますし、カヤルもその件の感謝はしていません。
 機関車ジャックで、将軍のハクロを含む乗客の命を救ったときも、管轄のマスタングに恩を売ったことはあっても、助けた乗客に直接的には何も要求していません。
 情報を提供したシェスカに大金を渡したことはあります。
 あくまでエドの「等価交換にこだわる」というのは、貴金属や情報の提供や物体の修復の話であり、人の命については、「体を取り戻すための賢者の石にも人の命が材料として必要だ」と物理法則としては認めても、助ける見返りに注目してはいないのです。
 そもそもエドは原作でも2003年のアニメ版でも国家や国民の危機を救い、見返りの意識は特にありませんでした。自分達の人体錬成などの行動が利用された負い目はあったかもしれませんが。
 逆に原作終盤など、エドは助けてくれた人間に感謝こそしても、それこそ見返りは与えていません。
 おそらく、人の命の場合、助ける側と助けられる側に力の差異が大き過ぎて、恩を返しようがないときもあるとエドも認識しているのでしょう。
 それを安易に、社会保障や国防などで「等価交換」の論理で「助けない言い訳」をするのは危険です。

『カイジ』と『北斗の拳』は危機的状況の意味が逆である

 『カイジ』原作で、債務者に危険なギャンブルを強いる利根川は、「金は命より重い」と言い、それがネットや書籍で「名言」、「金言」のように扱われることもあるようですが、それは偏った危機的状況によるものです。
 『北斗の拳』原作では、核戦争で日本全体が荒廃して、殺人をいとわない盗賊が、日本円の紙幣を捨てる場面がありました。
 これは、『カイジ』はあくまで日本政府が壊滅しておらず、信用されている日本円の通貨の不足で一部の債務者が苦しんでいる危機的状況であり、『北斗の拳』は政府が壊滅して紙幣の信用がなくなった逆の危機的状況であるためです。『カイジ』の時期の日本はおそらく長期デフレが始まっていた頃で、物価が下がり消費意欲が落ちて、多くの日本人が日本円を貯め込んでいてその価値が上がっていたのでしょう。その意味で『北斗の拳』のハイパーインフレに近い状況とは逆です。
 つまり、『カイジ』のこの「金言」は万能ではなく、あくまでデフレなどの通貨の価値が高い状況に依存しているのです。「世間はお前達のお母さんではない」という利根川も、日本円の信用価値を保つ日本の政治に依存しているのです。
 ちなみにMMTという新しい経済理論の一部とされ、MMTそのものは取り上げない井上純一さんも否定しないらしい理論によれば、現代日本の通貨の価値は、それで税金を納めないと罰する国税庁の強制力で成り立ち、それがハイパーインフレを防いでいるそうです。『きみのお金は誰のため』にもあります。つまり、利根川の「金は命より重い」という言葉は、彼も「世間」の一部である役人に通貨の価値を守ってもらっている証明なのです。
 インフレ率が逆ならば、それぞれの「金を命より大事にする債権者」と「人を殺しても金は捨てる盗賊」の考えが成立しなくなると言えます。

『ギンガS』の「名台詞」があとの作品で次々と否定されている

2024年11月24日閲覧

 『ウルトラマンギンガS』は、個人的にウルトラシリーズの中でかなり問題が多いと考えていますが、そこでの「名言」、「名台詞」が、よく考えるとのちの『ウルトラマンX』から『ウルトラマンタイガ』まででかなり否定されているところがあります。1つずつ説明します。
 『ギンガS』の問題の1つは、地底人の変身するウルトラマンビクトリーが地上人の隊員を攻撃に巻き込んだりウルトラマンギンガを攻撃したり怪獣と合体したような姿になったり、ウルトラマンに倒された怪獣が突然復活して人間の味方のようになったりする中で、敵か味方かの区別が難しいのを、ギンガに変身する隊員のヒカルなどがほとんど説明しないことです。その状況で、どのような意図か曖昧ですが、上官の神山が「ウルトラマンは得体の知れない宇宙人で、いつ脅威になってもおかしくない」と言ったのを、ヒカルは「取り消せよ!あいつが、どんな気持ちで戦っているか、知りもしないくせに」と激昂しました。
 本作に限っては、ウルトラマンが本当に味方か敵か分かりにくく、神山の部下のアリサもビクトリーの攻撃に巻き込まれているので、疑うのもやむを得ないと私は考えていますが、ネットのほとんどでは、ヒカルの発言が「名言」扱いになっているようです。
 さらに、神山がウルトラマンを疑い、代わりのためにウルトラマンビクトリーと同じエネルギーの鉱石から作り出した兵器が敵に奪われて暴走したのを、隊長の陣野は、「兵器に希望など託すのが間違いです」と言っています。
 そして、神山に反抗してヒカルと袂を分かったウルトラマンビクトリー=ショウは、そのあとヒカルの戦いを見て、共闘関係に戻るときに、「この力は、傷付け合うためにあるのではなく、かけがえのない命を守るためにある」と言いました。
 また、『ギンガS』劇場版などで、「ウルトラマンと人間の絆」が強調されることがあります。
 これらを、『X』から『タイガ』までの作品では、次々と否定する台詞があるのです。
 『ウルトラマンX』終盤では、防衛隊員のワタルが、「強力な兵器なしにどうやって戦うんだよ」と言っており、陣野の台詞に知らず知らず反論したと言えます。
 ワタルは宇宙人の科学者に料理を作ったり、弟が身元不明の宇宙人に協力するのを促したりしており、決して極端な排外主義者ではないのですが、それでも「兵器で敵に対抗する」ことは否定しないのです。それは多くのウルトラシリーズで当然のことでしょう。
 それへの反論の「最終的に必要なのは、愛じゃないですかね」というのも、確かに『X』最終回では、怪獣とウルトラマンと人間の協力で勝ったところはありますが、その過程で人間の兵器の技術も、ワタルも含めて使っており、「兵器が全て駄目」という結論にはなっていません。
 『ウルトラマンオーブ』では、『ギンガS』以上に敵か味方か分からないことをしたウルトラマンオーブを人間の防衛チームが攻撃することを決定して、レギュラーの隊長の渋川が「何かを守るのは、何かを傷付ける覚悟を持つってこと」と言っています。つまるところ、ショウの台詞への反論になり、「味方を守るために敵を傷付ける」のが、和解や降伏をしない限り、ウルトラシリーズのほとんどに必要なことなのです。
 『ウルトラマンジード』では、元々侵略者の種族だったシャドー星人のゼナをウルトラマンゼロが警戒するときに、地球の人間であり、ゼナのもとで働いていたモアに「ゼナ先輩のこと、何も知らないで」と言われて、ゼロは「お前はあいつの何を知っている?」と反論しています。
 「知りもしないくせに疑うな」というヒカルの台詞が非論理的であることの証明であり、むしろ「知らないから疑うのは当然」であり、反論する側も知らないなら黙るしかありませんし、知って反論したいなら説明する義務があるわけです。
 『ウルトラマンR/B』では、ウルトラマンロッソとウルトラマンブルに変身するアイテムを与えられた地球の人間のカツミとイサミが、本来の持ち主ではなかったらしく、本物の力を持つが怪獣にしかなれない美剣サキに「偽者」と呼ばれます。しかし美剣が様々な破壊行動をするため、カツミとイサミは、「偽者上等だ!」、「別に本物になんかなりたくない」と反論しています。『ギンガS』で、ウルトラマンビクトリーに「選ばれた」ショウが正しく、「選ばれない」神山が同じエネルギーを使うのは許されない搾取のように批判するのが、「本物だから正しい」という論理に支えられていたことに反しています。
 『ウルトラマンタイガ』では、ウルトラマンタイガに変身するヒロユキが、敵から奪った怪獣の能力を持つ指輪を、タイガの状態で使いますが、それにトレギアが仕込んだ罠で暴走しました。そのタイガにヒロユキは「思い出してくれ!君と僕の絆を」と言いましたが、トレギアは、「二言目には絆、絆、うるさいんだよ」と言っています。
 『タイガ』の怪獣の指輪は、『ギンガS』のビクトリーが怪獣の能力を使うのと同じく、逆に『X』の大空大地がサイバー怪獣を実体化するのと異なり、怪獣自身の協力する意思があるか分からず、「怪獣との絆」はこの時点で見当たりません。それで「君と僕の絆」は「怪獣の能力を奪う加害者同士の絆」にしかなりません。『タイガ』の指輪の怪獣は、最初だけは暴れていた加害者でも、それ以降は利用される被害者なのです。その意味で、『ギンガS』の「絆」の使い方が安易だったと言えます。

 こうして、『ギンガS』の「名言」、「名台詞」が、のちの作品で次々と否定されていると分かります。

『ウルトラマンZ』の「人類は人類を守っているだけ」の反例も多い

 
 また、『タイガ』の次の『ウルトラマンZ』にしても、人間の環境破壊で怪獣が暴れるなどの描写から、隊員のユカの「地球を守っているんじゃなくて、人類が人類守っているだけ」という台詞があり、これが「名言」、「名台詞」のようにみなされているところがネットにありますが、それも「人間ばかり責めている」と言えます。
 何故なら、『Z』では地球怪獣も自分達の種族しか守らない可能性があるためです。異なる種類の地球怪獣が手を組んだのは、ユカが地球環境にとって危険だとみなした兵器のウルトロイドゼロを破壊しようとしたときだけです。その危険性の源である超獣のバラバや、それ以上に地球生命を滅ぼしかねないグリーザについては、地球怪獣は何もしていません。その上、「家族を守ろうとしている」からと擁護されたレッドキングも、『ウルトラマン』などの他のウルトラシリーズでは他の種類の地球怪獣を攻撃してばかりであり、ウルトロイドゼロにも自発的には立ち向かわず他の種類の怪獣と団結もせず、結局「レッドキングなどの怪獣も自分達の種族を守っているだけ」なのが『Z』の世界なのです。
 というより、ウルトラシリーズでは、ほとんどの世界観で地球全体の危機が起きても、地球怪獣が人間や他の種族と手を組んでまで地球全体に貢献したとみなせるのが『ウルトラマンガイア』、『ウルトラマンコスモス』及びその劇場版3、『ウルトラマンX』最終回、『ウルトラマンブレーザー』ぐらいしかありません。
 そのため、まるで人類だけが自分達の種族だけを守り他に容赦しない利己的な存在かのように言うユカの台詞は偏っており、『Z』の展開がそれを分かりにくくしているのです。
 さらに、『トリガー』では地球に眠るエネルギー体「エタニティコア」により宇宙全体の危機になっても、地球の自然の怪獣は各地で暴れるだけで何も貢献していません。「被害者」と、その被害を解決する「守護者」が一致しないことが示されており、『Z』の怪獣の擁護が「被害者」だからと偏っていることも分かります。そして人間の兵器も含めた努力が、最終的に宇宙全体をエタニティコアから救いました。
 『ウルトラマンデッカー』では『トリガー』と比べて怪獣を擁護する主張もあるものの、やはり宇宙生命のスフィアの影響で地球怪獣が暴れるといっても、彼らはスフィアに直接立ち向かうなどはせず、被害を何も解決せず、むしろ操られて利用されるか出て来ないときばかりでした。
 『ブレーザー』でようやく、宇宙人による地球環境全体への被害に地球怪獣が対策を取り、人間に認められる展開になったのです。
 こうしてみると、ウルトラシリーズの怪獣が地球環境を守るなどの、人間の敵である存在を擁護して社会風刺などをするユカなどの「名言」、「名台詞」は、それの言われた周辺で成り立つときの方が例外や少数の事例であり、ほとんどでは人間の方が地球や宇宙全体のために努力しているのです。

『タイガ』の霧崎の言う「特別扱い」は、しない方が「恩知らず」である

 『ウルトラマンタイガ』では、従来の侵略宇宙人のような大規模な破壊活動をする宇宙人に加え、移民や難民のようなやむを得ない事情で地球に来て「差別」、「迫害」を受ける扱いの宇宙人もいましたが、従来通りの加害者がいる中で宇宙人を被害者の扱いにする論理に限界を感じる意見もネットにみられます。
 最終回で宇宙人排斥のデモをする人間が、ウルトラマンタイガを応援するのを、様々な被害を引き起こしたウルトラマントレギア=霧崎は、「ウルトラマンだって宇宙人なのに、守ってくれるから特別扱い、まさに混沌だ!」と笑っています。
 ネットで「名言」、「名台詞」のようにみなされていますが、この記事で挙げた中である意味もっともおかしな例かもしれません。
 何故なら、ある集団や種族に攻撃されて、その一部の人物が助けてくれたなら、自作自演などでない限り感謝や称賛をするのがほとんどの物語で当たり前のことであり、むしろそうしないのが「恩知らず」になるためです。
 具体的には、『コスモス』劇場版1のシゲムラ、『ウルトラマンネクサス』序盤の凪、『ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント』のハルザキカナタなど、明らかに敵対する宇宙人や生物がいるときに、味方するはずのウルトラマンごと敵扱いした人物はことごとく「恩知らず」の扱いを受けています。『ギンガS』の神山は先述した通り、ウルトラマンの行動が微妙なのですが。
 『鋼の錬金術師』原作のイシュヴァール人はアメストリス人に攻撃されたときに、その一部のロックベル夫妻の医師が助けたことには感謝しており、外見だけで敵と決め付けて殺害したスカーは明らかな「恩知らず」の扱いで、本人すら最終的には反省しました。スペシャルドラマ『潜水艦カッペリーニ号の冒険』の日本人に対するイタリア兵や、『西郷どん』ドラマ版の琉球の人間に対する吉之助についても似たような扱いがあります。
 『タイガ』に近い時期の『銀魂』原作でも、宇宙人を意味する天人あまんとのほとんどが地球人類を支配しようとする中で、終盤での抵抗に協力した天人の神楽やキャサリンまで一部の群衆に敵扱いされるのは、「恩知らず」の扱いでした。つまり、『タイガ』と『銀魂』の群衆は「ほとんどが敵の宇宙人のうち、例外的に味方する宇宙人」への対応が逆であり、「群衆の心理だから間違っている」と無条件に考える方が偏見であり、どちらかは正しいはずなのです。私は『タイガ』の群衆がタイガを誉める方が正しいと考えています。
 実際に、『ウルトラセブン』平成版で、周りの人間をほとんど信用出来なくなった防衛隊員のユキは、珍しく味方してくれる隊員すら精神世界の中で「偽善者!」と呼んで撃ってしまい、「もう1人の自分」に「もう救いはない」と言われています。つまり、「味方してくれる相手に感謝しないのが恩知らず」ということでしょう。『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』で、他ならぬ並行世界のトレギアも、精神世界で、ウルトラマンヒカリなどの人物に敵対された苦しみのあまり、助けてくれるウルトラマンタロウを拒絶しています。さらに、この作品では、タイガも自分達の母星を攻撃する宇宙人と戦い、味方してくれる(自分から見て異なる惑星の)宇宙人には明らかに感謝しています。
 つまり、「多数の敵の中で、例外的に味方になってくれる相手には感謝すべきだ」という常識が、霧崎=トレギアは見えなくなっており、それが、様々な物語で悪く言われがちな「群衆」を批判したことなどで、「名言」として正当化されてしまっているのです。

『アンデレスホリゾント』のカナタは宇宙人と人助けについて偏っている

 『アンデレスホリゾント』のカナタにしても、火星に開発に行った父親が正体不明の宇宙人に攻撃された恨みのあまりに、今作世界で基本的に味方してくれるウルトラマンまで「宇宙人」だからと敵視する、霧崎なら称賛すべき、そして他のウルトラシリーズならほとんどで「恩知らず」の様子がありました。
 しかし彼は、『帰ってきたウルトラマン』のメイツ星人が地球に観測に来て、侵略者のように扱われて射殺されたのを、「観測とはいずれ侵略するためではないのですか。言わばスパイなのだから、殺されて賠償だなんてどの口で言っているのか」と言い切っています。
 これは、きわめて人間に都合の良い二重基準です。何故なら、『メビウス』の世界観では人間も、それこそカナタの父親や職場も「侵略者になりかねない」ためです。
 『メビウス』の世界観の昭和ウルトラシリーズで初めて宇宙人の要素があるのは、『ウルトラQ』のナメゴンの回であり、これは火星に地球人類が関わったことへの「警告」という推測がありました。それ以降も、昭和ウルトラシリーズではたびたび人間が宇宙開発をしており、警告を無視した可能性もあります。『メビウス』ではカナタの父親に限らず、防衛組織のGUYSも兵器の材料を火星で採掘しています。『アンデレスホリゾント』では、ナメゴンの件がカナタの言動を根本的に揺るがす可能性がありながら、わずかしか触れていません。
 さらに、「観測とは侵略のためではないのか?」という疑いは、かつて『ウルトラセブン』でペダン星人が地球人類のロケットについて言っており、その台詞はおそらくのちの防衛組織隊員のカナタに知られていないので偶然の一致でしょうが、本来人間の方を戒めるための台詞を、メイツ星人にだけ適用したカナタは偏っています。
 このあとカナタは、メイツ星人の息子のビオが自分に似た境遇だからと歩み寄りましたが、「逆に言えば、自分の父親もメイツ星人の父親と同じ程度には悪かったのではないか?」という反省を最後までしていません。自分の父親が悪いという反省は多くの人物に難しいでしょうが、ビオは一応しています。
 その意味で、カナタは人間としての被害者意識ばかり強めており、加害者の自覚が足りないのです。トレギアの言葉を借りれば、「片方の面からしか見ない」と言えます。

 また、カナタは防衛組織の料理人のサユリが、都市の被害の中で本来の仕事でない子供の救助に向かい「命を落とした」と思われたときに、「残された家族だっているのに」と否定的でした。
 しかし、当然ながら救われた子供にも家族はいたはずですし、カナタは救った側の犠牲にしか注目していません。
 この原因はおそらく、カナタが「過剰な善意を持つ側が傷付く」ことばかり考えて、「善意の不足で傷付く」ことを見落としているためだとみられます。
 カナタは何度か隊員としてミスをしますが、それで死傷者はかろうじて出ずに済んでいました。
 また、カナタの父親は、宇宙に進出する意欲が人並み以上にあり、「カナタ」の名前もその影響があるのですが、息子本人に「それで自分が遠いところに行ってしまっては洒落にならない」と思われており、「過剰な勇気で身を滅ぼした」ところもあります。
 つまりカナタは、善意や勇気が過剰なことで傷付くことへの屈折した感情、劇中で言うところの「ヘソ曲がり」なところがあり、逆に善意や勇気の不足で傷付く可能性を想定し切れない偏りがあるのです。だからこそサユリの「過剰な善意」だけを問題視したとみられます。
 トレギアもそうかもしれませんが。
 それが文学として意図的なのかは分かりませんが、偏ってはいます。

『銀魂』の桂の台詞は一般化しやすい

 これらの物語で、「名言」、「名台詞」がかなり偏っていることを示しましたが、逆に一般化出来るものも見つけました。
 そこから、ここまで批判した台詞の問題点の整理もある程度出来そうです。
 『銀魂』の桂の幾つかの台詞の共通点です。
 「電波馬鹿」と言われることもある桂ではありますが、重要なことを言うときがあります。
 たとえば、革命家として行動するときに、「常識を壊すためには、常識を知らなければならない」と主張しています。メイド喫茶で採用面接をしていたので台無しになりましたが。
 また、雪像大会では、「アミューズメント」のような雪像を作り褒められ、「こういうものは本人の創作意欲を満たすのでなく、子供達を楽しませなければならない」と主張しました。銀時達に妨害され自暴自棄になって台無しになりましたが。
 さらに、無人島に漂流したと思われ、明らかな人工物に神楽が触ろうとしたとき、「勇気と無謀は違うぞ!侍は敵の恐ろしさを知った上で立ち向かわなければならない」と主張しました。そう言いながら触ってしまい台無しになりましたが。また、直前には「危機的状況を楽しんでこそ侍だ」とも言っています。

「願望と義務」への一般化から特殊化する

 これらに共通するのは、「何かをしたいなら何かを我慢するのが大事だ」ということでしょう。そして、多くの少年漫画に通じるテーマになり得ると私は考えます。
 「常識を壊したい」なら「常識を知る」勉強などの義務があり、「雪像で賞を取りたい」なら「見る人を喜ばせる」義務があり、「侍として危機に立ち向かいたい」ならば「その恐ろしさを知る」義務があると桂は言いたいのでしょう。
 これは『NARUTO』の「伝説の忍者」の柱間の「忍者とは耐え忍ぶ者」にも通じます。
 『NARUTO』の忍者は世襲の要素も強く、柱間の木ノ葉の他の里には香燐などの戦いを強制された忍者もいますが、逆にナルトは両親が忍者だったことすら元々知らず、誰も「忍者になれ」と強制はしておらず、むしろナルト、サスケ、サクラ、リーなどはカカシや綱手に「辞めろ」と言われたこともあります。つまり、分かりにくいのですが、『NARUTO』の木ノ葉の人間は、忍者になる義務は基本的になく、なりたくてなっているのです。
 つまり、柱間も一族や里の人間にどこまで職業選択の自由を認めたか分かりませんが、「忍者とは耐え忍ぶ者」というのは、一方的に義務を押し付けたのではなく、「忍者になりたいなら我慢しなければならないことがある」と言っていたはずです。
 そうして、『NARUTO』の忍者も「したいこと」と「しなければならないこと」を両立させたところがあります。ナルトの「俺が知りたいのは楽な道ではなく険しい道の歩き方だ」のようにです。
 自来也の「忍者に必要なのは術の多さではなく、あきらめないド根性だ」というのも、「忍者になりたいなら耐え忍ぶべきだ」ということでしょうし、「術の多さ」を自慢する大蛇丸にしても、そのために「忍耐」はしています。
 『銀魂』の「侍」にしても、新八が桂の失敗について、「こんなことをした馬鹿が侍なら、僕は侍を辞めます」と言ったことがあり、劇中世界の侍は生まれながらの身分ではなく「目指すべき目標」、「なるもの」の扱いなのです。だからこそ桂も、新八や神楽に「侍になりたいならこのような我慢をしろ」と言いたいのでしょう。天人の神楽が「なりたい」かは判然としませんでしたが。
 少年漫画の多くは、そうして子供らしい「したい欲望や願望」と大人らしい「義務」に折り合いを付けることが重要なのでしょう。
 仮に「したいこと」だけ主張すれば、欲任せの悪役が正しいことになりますし、「我慢」だけ主張すれば、悪役に従う部下や群衆が正しいことになり、そのどちらでもない状態になるのが、少年漫画の重要なテーマだとみられます。
 青年漫画『カイジ』の利根川は、「我慢」ばかりを「20を過ぎたお前らは、勝つことが全てだと心に刻まなければならない」のように主張するからこそ、批判もされやすいのでしょう。
 『鋼の錬金術師』原作の「等価交換」も、本来は「何かを手に入れたければ何かを我慢することが大事だ」という話が、いつの間にか「見返りがなければ助けなくて良い」という独り歩きをしてしまっているかもしれません。
 あるいは、「運命を変えるためには運命を知らなければならない」と変換すれば、ネジへの助言になったかもしれません。
 その意味で、「何かをしたいなら何かを我慢することが大事だ」と一般化して、他の「名言」、「名台詞」も吟味すべきかもしれません。
 

まとめ

 いずれにせよ、ここまで挙げた多くの「名言」、「名台詞」が、状況や立場、シリーズの作品などを入れ替えると途端に成立せずに、話が噛み合わなかったり暴言になったりする可能性があります。

 


参考にした物語



特撮テレビドラマ

円谷一ほか(監督),金城哲夫ほか(脚本),1966(放映期間),『ウルトラQ』,TBS系列(放映局)
樋口祐三ほか(監督),金城哲夫ほか(脚本),1966-1967,『ウルトラマン』,TBS系列(放映局)
野長瀬三摩地ほか(監督),上原正三ほか(脚本),1967 -1968(放映期間),『ウルトラセブン』,TBS系列(放映局)
本多猪四郎ほか(監督),上原正三ほか(脚本),1971,『帰ってきたウルトラマン』,TBS系列
村石宏實ほか(監督),長谷川圭一(脚本),1996 -1997,『ウルトラマンティガ』,TBS系列(放映局)
根本実樹ほか(監督),武上純希ほか(脚本),1998 -1999(放映期間),『ウルトラマンガイア』,TBS系列(放映局)
大西信介ほか(監督),根元実樹ほか(脚本) ,2001 -2002(放映期間),『ウルトラマンコスモス』,TBS系列(放映局)
小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)
村石宏實ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2006 -2007 (放映期間),『ウルトラマンメビウス』,TBS系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2014 (放映期間),『ウルトラマンギンガS』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2015 (放映期間),『ウルトラマンエックス』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本) ,2016 (放映期間),『ウルトラマンオーブ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),安達寛高ほか(脚本) ,2017,『ウルトラマンジード』,テレビ東京系列(放映局)
武居正能ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本),2018,『ウルトラマンR/B』,テレビ東京系列(放映局)
市野龍一ほか(監督),林壮太郎ほか(脚本),2019,『ウルトラマンタイガ』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),吹原幸太ほか(脚本),2020,『ウルトラマンZ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),ハヤシナオキほか(脚本),2021-2022,『ウルトラマントリガー』,テレビ東京系列(放映局)
辻本貴則(監督),中野貴雄(脚本),2022-2023,『ウルトラマンデッカー』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),辻本貴則ほか(脚本),2023-2024,『ウルトラマンブレーザー』,テレビ東京系列
田﨑竜太ほか(監督),三条陸ほか(脚本),石ノ森章太郎(原作),2009-2010,『仮面ライダーW』,テレビ朝日系列(放映局)

特撮映画

飯島敏宏(監督),千束北男(脚本),2001,『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』,松竹(配給)
北浦嗣巳(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2003 (公開),『ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE』,松竹(配給)
坂本浩一(監督),小林雄次ほか(脚本), 2015(公開),『劇場版 ウルトラマンギンガS 決戦!ウルトラ10勇士!!』,松竹メディア事業部(配給)
田﨑竜太(監督),三条陸ほか(脚本),石ノ森章太郎(原作),2009年12月12日(公開),『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』,東映(配給)


ネットオリジナル特撮
https://www.youtube.com/watch?v=GeDbbd_aaxc
『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』

2024年11月24日閲覧


実写映画

ジェームズ・キャメロン(監督),ジェームズ・キャメロンほか(脚本),1991,『ターミネーター2』,トライスター・ピクチャーズ(配給)
ジョナサン・モストゥ(監督),ジョン・ブランカートほか(脚本),2003,『ターミネーター3』,ワーナー・ブラーズ(配給)
マックG(監督),ジョン・ブランケットほか(脚本),2009,『ターミネーター4』,ソニー・ピクチャーズエンタテイメント(配給)
ティム・ミラー(監督),デヴィット・S・ゴイヤーほか(脚本),2019,『ターミネーター・ニュー・フェイト』,パラマウント・ピクチャーズ

特撮オリジナルビデオ

神澤信一ほか(監督),武上純希ほか(脚本),1998 -2002(発売日),『ウルトラセブン』,VAP(発売元)

漫画

井上純一/著,飯田泰之/監修,2018,『キミのお金はどこに消えるのか』,KADOKAWA
井上純一/著,アル・シャード/企画協力,2019,『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』,KADOKAWA
井上純一(著),アル・シャード(監修),2021,『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』,KADOKAWA
岸本斉史,1999-2015,『NARUTO』,集英社(出版社)
武論尊(原作),原哲夫(作画),1983-1988,『北斗の拳』,集英社
荒川弘(作),2002-2010(発行),『鋼の錬金術師』,スクウェア・エニックス(出版社)
福本伸行,1996-1999,『賭博黙示録カイジ』,講談社
空知英秋,2004-2019(発行期間),『銀魂』,集英社(出版社)

テレビドラマ

林真理子(原作),中園ミホ(脚本),野田雄介(演出),2018,『西郷どん』,NHK系列
ホイチョイ・プロダクションズ(原作),馬場康夫(監督),澤本嘉光(脚本),2022,『潜水艦カッペリーニ号の冒険』,フジテレビ系列

テレビアニメ

水島精二(監督),會川昇ほか(脚本),2003-2004,『鋼の錬金術師』,MBS・TBS系列(放映局)
伊達勇登(監督),大和屋暁ほか(脚本),岸本斉史(原作),2002-2007(放映期間),『NARUTO 』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登ほか(監督),吉田伸ほか(脚本),岸本斉史(原作),2007-2017(放映期間),『NARUTO 疾風伝』,テレビ東京系列(放映局)
藤田陽一ほか(監督),下山健人ほか(脚本),空知英秋(原作),2006 -2018(放映期間),『銀魂』,テレビ東京系列(放映局)

小説

朱川湊人,2013,『ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント』,光文社

参考文献

田内学,2023,『きみのお金は誰のため ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」』,東洋経済新報社

いいなと思ったら応援しよう!